「弥助は刀持ち」という説はどこからきた?

件の弥助の話に関連する話です。彼を調べている途中で気になったことがありました。それが弥助が「刀持ち」であった、というものです。

少し前の彼のことどころか武士のこともよく知らなかった私は、さらっと見つかるweb上の情報からなんとなく彼の役割を「刀持ち」である、という風に思い込んでいて、そこから刀持ちだから小姓だよね。だったら武士か?という風に考えていました。

しかし史実の資料をみれば「刀持ち」という記載自体はないんですよね。小姓であるという記録もない。では一体この彼は刀持ちはどこからきたのか、と疑問に思い色々webで調べまわっていました。

しかし有力な情報は見つからず。

道具持ち=刀持ちであると解説している人がいたり、将軍の道具持ちだから刀持ちのことなんだよ、それに扶持もらってたんだから弥助は士分!という事を言っている人がいたりしましたが

どれもエビデンス(参考文献)がなく本当かどうか判断できませんでした。

今のところ史実の資料としてもっともこれに近そうなのは織田信長という歴史 『信長記』の彼方へ』、勉誠出版、2009年、311-312頁に記載されているとされる「時には道具持ちをしていた」。くらいです。

なので「時には道具持ちをしていた」を足掛けに調べてみることにしました。


道具持ちをする役職、中間

平安時代以降,公家・武家・寺家などに仕えた従者。侍(殿原)と小者(こもの)の中間に位置し主人の弓・箭・剣などをもって供した。江戸時代には仲間とも書き,武家奉公人の一種別で,足軽の下で小者の上。戦時には兵糧・武器の運搬,平時には主人の供廻や諸役所の雑務に従事。

https://www.historist.jp/word_j_chi/entry/034995/

道具持ちという役割を持つ役職には中間というものがあり、主人の武器などをはじめとした物資の運搬、雑務を行う足軽より下の非士分身分です。

中間の役割にある「槍持ち」

そしてその中間の役割について調べるとその中に槍持ちというものがあるというのを見つけました。

槍は戦国期を通じて武士のメインウェポンでした。よって、大名行列では槍を持ち運ぶことは当然のことでした。

槍を持ち運ぶ役割のことを槍持ちと言い、これは中間(武家奉公人の一種。非武士階級)に割り当てられた役割でした。

https://daimyo-gyoretsu.com/armament/

ひょっとして刀持ちってこの槍持ちのこと?

と考え、刀持ち=槍持ち の線で調べてみたのですがこれも特にめぼしい情報は見つかりませんでした。

刀持ちはどんな身分の人が行うもの?


じゃぁそもそも刀持ちってそもそも何をするんだ、誰がやるんだと調べてみると、

刀持ちは小姓の役割である、というのが見つかります。中間ではないみたいですね。

戦国時代から江戸時代にかけて、武士のなかには、「小姓」(こしょう)と呼ばれる役職がありました。小姓は、主に少年などの若年層が担当する役職で、平時は雑用係として武将に仕えながら、戦時には親衛隊としての役目を担っていたと言われています。このことから、小姓は武将の刀持ちと呼ばれ、小姓と言えば武将の横で刀を持つ少年のイメージが定着しました。

https://www.touken-world.jp/tips/71998/

小姓は武士身分でかつ将軍からも信用を置かれる立場であるようですね。秘書のような立場でもあるようです。それなりの家格の出である必要もあり、かなりエリートみたい。平時は雑務(秘書のような仕事)をしたともあるので、それが道具持ちなどもしていたことも仕事の一つとしてはあったのかもしれませんが、秘書といわれるように教養も必要な仕事内容のようですから、ちょっと苦しい気が。

さらに刀持ちと槍持ちはどうやらイコールではないみたいですし。槍持ちは中間の役割で、小姓はただ武器を持つだけの簡単なお仕事でもないしそもそも少年が担当するものですし…

で、「弥助は刀持ち」という認識になった理由は?

振出しに戻ってしまった。刀持ちと槍持ちはイコールではなく、強いていうなら槍持ちが道具持ちとイコール(中間の役割)なので、小姓(武士)である証拠にはつながらない。

ではこの「弥助は刀持ち」は一体全体どこからきたんだろう、と。

かといってネットの海を闇雲に探すにはあまりにも広い…どこを探せばいいのか…

と、最近とても色んな意味でホットな、おそらく多くの人が弥助のページ(英語)を信用して参照した(そして多くの人を欺くことに成功してしまった)あるサイトがあることを思い出しました。

そうWikipediaです。先日"例のアレ"が見つかってネット上で大変騒ぎになりましたけどまだ何かあるのでは…?

それにwikipediaは参考文献をほぼ必ず指定しているはずなので、刀持ちの記載があればその先にソースがあるはず。ならばこちらから探した方が早いと判断しました。

ということで英語のwikipediaのyasukeのページを確認してみました。

「刀持ち」の記載を英語のwikipediaのyasukeのページで探す。

まず2024/07/19時点での内容にはそれらしい記載はありません

ただsamuraiと記載はありますが。2024年09月20日までロックされてしまっています。あーあ…

過去の編集履歴からそれらしいのを探します。

2024年5月18日のリビジョン:弥助がkosho(小姓)であるという記載

2024年5月18日に小姓が弥助の役職(Rank)として追記されているようです

2603:7081:2600:20E8:5C2D:EA53:9FAB:5155というユーザー(IPアドレスかな?)によって弥助の役職に小姓が追加されています。

He was retained by the daimyō as a koshō (小姓, page), a lower-ranking samurai[3]

理由は以下

I removed a line stating that falsely that Yasuke was not a samurai, as this is directly contradicted by his proven rank of Koshou, a samurai rank, that is stated and sourced elsewhere in the article. I also cited a reference for what a Koshou is

"私は、弥助が武士ではないと誤って述べている行を削除しました。これは、この記事の他の場所で述べられ、出典されている武士の階級である小姓という証明された階級と直接矛盾するためです。小姓とは何かについても参考文献を引用しました。"

「参考文献」:

戦国の部分しか読んでませんがこの参考文献における小姓についての理解あってるように見えます。ただこれが史実に残る弥助の何と結びつくのかは私にはわかりませんでした…

「出典されている武士の階級である小姓という証明された階級と直接矛盾する」というのがよくわかりませんが、この人にとっては小姓が弥助の役職にふさわしいと考えたみたいですね。

2024年3月23日のリビジョン

He was employed by the Japanese Sengoku daimyō Oda Nobunaga and served as a koshō (小姓, page or sword-bearer).[4][5]

理由は以下

he was employed by the Japanese Sengoku daimyō Oda Nobunaga and served as a koshō (小姓, page or sword-bearer)," since that reference's content does not specifically address the content of the sentence. Also "indentured servant" was removed from second to last sentence of opening paragraph to remove confusion and because the cited source does not describe Yasuke that way

"彼は日本の戦国大名、織田信長に仕え、小姓(刀もち)として働いていました。この参考文献の内容は文の具体的な内容には触れていません。また、冒頭の段落の次から二番目の文から「奴隷制度に基づく奉公人」という表現が削除されました。これは混乱を避けるためであり、引用元もヤスケをそのようには説明していないからです。"

参考文献


参考文献は特にこのことについて直接触れてないけど彼は小姓(刀もち)だった?と。よくわからないな…

というか参考文献ネトフリの弥助のアニメとハリウッドの弥助映画じゃないか。アニメと映画って参考文献にできるんだ…いや、これ多分日本語のページで誰も読める人がいなかったとかだったりする…?

アニメの方のページには「時折、信長様の道具を運ばされた」とありますが小姓、刀持ちの記載はなし

と、wikipediaの概要の内容に目をやると小姓とセットで書かれているsword-bearerという記載がありますね。これが日本語の刀持ちに相当するもので間違いないかと思われます。見つけた!

いつからwikipediaでsword-bearer(刀持ち)に?


小姓の根拠になっているであろうこのsword-bearer(刀持ち)、そしてこの記事の本題ですが、ではこのsword-bearerはいつ追加されたのか。

2023年9月11日のリビジョンで追加

2023年9月11日ユーザーAroohcoreによってが小姓とsword-bearerの説明が概要に追加

He was employed by the Japanese Sengoku daimyō Oda Nobunaga and served as a koshō (page) of sword-bearer.[4][5]

参考文献は以下

さきほど同じ弥助アニメとハフポストの記事。刀持ちの記載はなし


weapon-bearerという記載がともに存在

ところで上記の2つのリビジョンでsword-bearerと一緒に、weapon-bearerという記載が彼のrankにありますね。sword-bearerが追記されるよりも以前から存在するようです。

参考文献:

 これも海外のURLですね。フランス語です。

 一部英翻訳してみましたが

" What made Yasuke remarkable, beyond his black skin, was his towering height—nearly 1.90 meters—and his impressive physical and intellectual abilities. Nobunaga, intrigued by this African man, not only welcomed him into his inner circle but also appointed him as a samurai, granting him the right to carry the two swords reserved for this elite class."

2本の刀を運ぶ権利を与えて侍の身分を与えたとありますね。しかし特にこの説に対する史実的なソースを示している文章はなさそうでした。

となるとソースからではなく単純にweapon-bearerという記載があったから小姓の役割sword-bearerを連想したんでしょうか?

編集理由がないのでわからないのですがどうなんだろうか…

※ちなみに2020年11月15日の更新でbodyguardという役職がついてます。参考文献は海外の書籍からの模様(ロックリー氏のではない?

参考文献は先ほどのフランス語のサイト

weapon-bearerはいつ追加されたか?


2015年09月11日 ユーザーTottoritomによってこの記事からweapon bearerが追加されたようです。日本語に直訳すると武器持ちでしょうか。

ここにも彼の痕跡が。

Weapon Bearerが追記される前の状態は?


上記のリビジョン編集前の2015年09月07日 でそれらしいのは、槍持ちという記載です。となると槍持ちであることから武器持ちへと範囲を拡大した…?どういうこと…?

Nobunaga also assigned him the duty of carrying his personal spear.[5]

槍持ちをしていたという記載も同じくないのですが、道具持ち=中間=槍持ちをしていただろうという連想ゲームからのものでしょうか?

武器持ちの追記も中間がいろんなものを運んでたから槍持ちから武器持ちにしたんだろうか。いや、だったら道具持ちの方が正しいじゃないか…

ちなみに出典[5]は本記事冒頭でも書いた

「織田信長という歴史 『信長記』の彼方へ」、 Bensei Shuppan:Tokyo, 2009, pp.311-312.

です。(時には道具持ちをしていた)

槍持ちであるという記載はいつから?

2014年6月2日のリビジョン:道具持ち、槍持ちであるという事が追加

2014年6月2日~19日にかけて Mad like madhatterというユーザーによって彼が道具持ち、槍持ちであるという事が追加されたようです。

Yasuke was also mentioned in the prototype of Shinchōkōki owned by Sonkeikaku Bunko (尊経閣文庫). According to this, Yasuke was given his own house and a short katana by Nobunaga. Nobunaga also assigned him the duty of "Dōgumochi" (道具持ち), the porter of his Yari[3][4]

参考文献:

「織田信長という歴史 『信長記』の彼方へ」、 Bensei Shuppan:Tokyo, 2009, pp.311-312.

Spears in Sengoku period were so long, that the personnels who carry spears were necessary.

過去にはちゃんと道具持ちと記載されていた模様。しかし道具持ちの任務にアサインした、はちょっと正確ではないような。「sometime」とか時々を表現する副詞が必要だと思いますし、時々ということなら信長の気まぐれでやらせていた、という可能性も残るわけですし。

そしてその後ろにしれっと「槍持ち」ということが書かれています。

参考文献、というか出典にある直書き文章の翻訳↓

戦国時代の槍は非常に長かったため、槍を持つ人員が必要不可欠でした。

なぜそれが弥助が槍持ちをしていたにつながるんだろう…?

やはり道具持ちをアサインされたことから弥助を中間と考え、それから槍持ちもやっていただろうという事を書きたかったのでしょうか。常に信長の近くにいたと想像し、武装して護衛していたと想像したから?まぁでも連想ゲーム、推測ですよね…。

2014年10月18日:リビジョン 道具持ちの記載が削除

でちょっとここでさかのぼってきた時を逆に進めるのですが、2014年10月18日  ユーザー209.211.131.181によって道具持ちの記載が削除されます。

道具持ちの文脈が消え、ただ槍持ちを任命された、というような情報に変わりました。理由は不明

Yasuke was also mentioned in the prototype of Shinchōkōki owned by Sonkeikaku Bunko (尊経閣文庫). According to this, Yasuke was given his own house and a short katana by Nobunaga. Nobunaga also assigned him the duty of carrying his personal spear.[3]

しかし出典は変わらず「織田信長という歴史 『信長記』の彼方へ」。のまま。内容的にはもうかすりもしてない。

が、信頼置ける出典の書物という情報からだよ、というような情報だけは残っている形に。

まとめると…

1. 弥助のページにてユーザーMad like madhatterが信長が弥助に道具持ちの職務、つまり(?)槍持ちを任命したを追記

2. ユーザー209.211.131.181が道具持ちを削除、ただ槍持ちを任命されたというだけの内容に変更される(内容が参考文献の内容にかすりもしていないものに変わってしまっているにも拘らず参考文献の指定は変わらず。)

3. 槍持ちであるということが信用できる参考文献からの情報だよというお墨付きを与えられているような形のまま残る

彼が槍持ちであったということは、wikipediaにおいて信用度は高かったんじゃないかと想像。この情報を信頼して読んだユーザーがどれくらいいたのかは謎ですがはたして…

ここからは私の完全な推測

彼が道具持ち、槍持ちの役割を任命されたと記載され、のちにそれが槍持ち(信頼できる参考文献からの情報のようにみえるもの)に変わり、そのあとにweapon-bearerが追記され、ボディーガードやsword_bearer、小姓などの情報が確かな参考文献もなく追記されていったのを見ていると、

元々の「時には道具持ちをしていた」という情報から複数の編集者によって情報の欠落や誇張の連想ゲームが始まってどんどん情報が変質、盛られて彼が侍であるという理由の一つに変質していったのではないか、という気がします。一種のマッチポンプのようなことが起こっていたのではないか…?とこちらも推測してしまいますが…

なんか弥助がク〇ウザーさんにみえてきたぞ…

私が無意識に思い込んでいた「刀持ち」も、元をたどればこれが原因のものだった…のかもしれません。無意識的に弥助のこと武士とか侍みたいなイメージでみてたのもこれか…怖い怖い。今どきの洗脳っていうのはこういう外堀から始まるんでしょうか。まぁwikipedia上の話なんで確かなことではないんですけど…

すくなくともwikipediaではこんな形で編集されてきたようですよ、という分析、メモでした。

彼が刀持ちであるというのは、少なくとも私が調べた限りですがwikipediaとその参考文献から見れる内容としては根拠はないようでした。

「時には道具持ちをしていた」をしていたという記載からだけでは、道具持ちの何かしらの職務、つまり中間、小姓などをアサインされたかどうかは不明瞭だと思います。信長の近くに常にいたかどうかも謎。常に近くにいたなら、ほかの家臣や小姓などが残した文献の中にできそうなきもしますがはたして。
無理やり役職をつけようにも中間もありますし、小姓というには情報が不足していますし、森成利(森蘭丸)についての記載がある兼山記のように、蘭丸が小姓として召し抱えられたこととか、500石の知行を与えられたとかのような、そういった記録も一切ない。

なんの職にも割り当てられたというような正式な史実の記録がないのでどちらとも言い切れない。(とはいえ、脇差しをもらっているということなど中間っぽい記録があるんですけど。苗字もないし。一方で私宅をもらってもいるという記録もある。どんなものなのかにもよるのかな。使用人がいるかどうかとかも。でも記録ないんだよな)
追記:鞘巻=鞘巻之太刀である説があり、彼が士分であるという可能性自体は高いようですが…
追記:と思ったら太刀と短刀はやっぱりわけて記載されている箇所もあるようで書き分けているのではないかとのこと。結局微妙な説の模様。そもそもこの記載自体が創作の可能背もあるようで…

なにか給与帳簿のようなものがあってそれに残っていればわかりそうなもんですけど、ないんでしょうかね?扶持って当時の給料みたいなものなのでしょう?武家も組織なわけですし、記録はつけてそうな気がするんですけどね。

家忠日記の扶持をもらっていたという旨の記載のを考慮しても、武家奉公人なら扶持はもらうのでそれでイコール士分とはならず、やはり判断はつかない。

なんなら「道具」すら具体的にどのような道具をもったことがあるのかすらもわからない。

身分も不明、何をしていたかもほとんどが謎。

彼を侍としようと武士としようと刀持ちとしようと小姓としようと中間としようと槍持ちとしようと道具持ちとしようと、
このような彼の役割、身分を具体化しようとすると、肝心のその決め手である要素がとことん不明なので結局彼を何かしら具体化して書こうとしたり、定義しようとしたりすると、ほぼ必然的に史実に書いていないことを少ない文献から「推測」して「補足」しなければならず、結果として創作が入り史実ではなくなってしまうんではないでしょうか。

結局そのまま字面通りに「時には道具持ちをしていた」受け取るしかないの
かな、というのが私の個人的な考え。彼の身分を明確に記録しているものが何もないのだとすると、そもそも身分が設定されていなかった(イエスズ会の人だし客人的な扱いで不要だったのでは?)、とも考えらるんではないかとも思います。

「信長から私宅と腰刀もらって、信長の近くにいて扶持もらってた、時々道具を持ち歩いた。」

これで十分彼の説明足りてませんかね?甲州討伐で信長の視察についていったのも、本能寺の変で戦ったのも、単に近くにいたからでしょ?

知行をもらったとか、どこどこの戦いに参戦したとか、誰かの首とったとか、部下がいたとか、そういう「実績を伴う記録」があったら、「あぁ武士だね、侍かもね」って言えると思いますが、ないわけじゃないですか。

じゃぁそれが全てじゃないの?

残っている情報がこれだけだからといって、「いやいや侍のような情報が見つかってないだけでまだどこかに埋もれているだけかも」なんて言うのは、その辺の農民が実は武士だったかもしれない、侍だったのかもしれないという議論と同じレベルではないですかね。

ありのままの彼を無理やり脚色して何かの身分に当てはめようとすること自体ナンセンスではないでしょうか。

強いて彼の身分をいうなら、信長の個人的なゲストというところじゃないでしょうか?

まぁ仮に、刀持ちであるという一次資料をwikipediaを編集しユーザーのだれかが持っていれば別にはなるんですけどね…あるんだったら教えてほしいですよね。歴史的発見なんですから。

終わりに:wikipediaの編集履歴関連で似たようなものを見つけました。ドイヒー


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