相手に遠慮するのは生まれ持ったもの

①相手のことが把握できないと不安になる
②集団の中でバランスを取って生きる
  =相手が動くまで待つ

①相手のことが把握できないと不安になる
 こうしないと、自分の身の振り方がわからないので
 相手が動くまで、自分も動かない

②私は集団の中でバランスを取って生きている。

バランスというのは、あくまで自分の中での表現に過ぎないが、
その集団の傾向と反対の行動をとることが多い。
(にぎやかな集団では聞きに徹し、静かな集団では自分から話す 等)

LDSの1回目の合宿で自分のOSの話になったときにこのエピソードを話した。
掘り下げていくと、このような態度をとるのは自分がいる意味を見出したい
=自分は相手に必要とされたい
のではないか、という話になった。

自分の旧OSを見つけ、それを新OSへ転換すべく、自分の改善したい考え方、価値観(旧OS)を是正する方向へ話が進んでいたが、

私はこの考えに気付いた時、特にこの考えで困ったことは無いことに気付いた。
だから私はこのままの自分で生きていく。

※随時更新予定