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おわかれのほしから考える生きることの意味について

はい。こんにちは。ちゃんこです。
ゲーム実況チャンネル、ゲーミングちゃんこにて実況しました「おわかれのほし」というゲームに関しての感想をつらつらかいていきます。
まず、「おわかれのほし」というゲームは

ひとがもういない惑星の、自分を人間だと思いこんでいる機械たちの村が舞台のアドベンチャーゲームです。
ひとり生き残った子供の機械が死んだ村人たちの身体を借りて、「明日したかったこと」を代わりに行うことで、ひとりひとりを弔い、きちんとおわかれをしていきます。

Steamストア( https://store.steampowered.com/app/1052580/farewell_planet/?l=japanese )より引用

※ゲーム内での機械たちの事を「ヒト」と呼んでお話ししていきますご了承ください

私たちは生きているけど、日々を何気なく過ごしていると生きていることの意味とはなんなのだろうかとふと思う時があります。
この作品なヒトが死ぬ間際に考えていた事、ヒトが生まれる装置にまつわる親と子の関係等、それらに触れることで「生きることとは」「親とは」「子供とは」という事について考えさせられる作品でした。
今回は特に「生きることの意味」について、この作品を通して私が思ったことを書いていきます。

私にとって「生きること」というのは過酷な事で、不幸自慢になってしまうので多くは語らないが、たった30年と数年で人生ゲームで言うところの「ハプニングマス」に止まり続けてきたような人間です。
これは自分の視点だけでそう思っていたのではなく、他人から見ても私の人生は過酷らしいです。
それだけ私にとって「生きること」は常にハードモードで、「生きる意味」を見つけなければ生きていけないと思ってます。
この作品に触れて、そんな「生きる意味」について考えさせられましたが、正直明確な答えは出ませんでした。
何故なら生きる意味というのはその時々で変わってくるからです。

人生百年時代。
長い人生の中で、「生きる意味」というのは生きているうちに変わってくるものだと思います。
学生、社会人、結婚、出産育児、老後…人には大きな区切り目が色々あると思います。
その区切り目で「自分が生きる意味」というのを考えるのでは無いでしょうか。
私はそんな人生の節目にこの作品に出会って本当に良かったなと思います。
私は妊娠中このゲームを妊娠中に実況し、出産育児中に編集、動画投稿しました。
そんな時に色んなヒトの最期の記憶や想いに触れて、自分に当てはめて読んでいると「私はどうしたいのか」「私は娘とどう生きたいのか」ということについて考えさせられました。
明確な言語化は難しいですが、とにかく言えることは「私は娘のために自分も家族も大切にする」という事が私にとっての生きる意味なんじゃないかと思います。
子供が産まれるまで、活動も育児も家庭を回すことも頑張りたいと思い描いていましたが、実際生まれてみるとそれは難しい事でしたし、子どもにハンディキャップもある事が判明したので活動を頑張れるのだろうか、育児も家事も出来るのだろうかと不安になった日々がありました。
もういっそ活動を辞めてこの子のために…と思っていたのですが、ふと「自分を大事に出来なくて家族を大事に出来るのだろうか」と思い、この作品の編集に着手しました。編集することで妊娠中に考えていた事や、物語に触れる事で「自分はなんのために生きたいのか」ということについて見つめ直すきっかけになりました。
ただここで思ったのは今の時点での「生きる意味」についての答えしか出ないということです。
愛する奥さんのために装置を作ったヒト、子供がどうしても欲しかったヒト、子供なんていらないと思ってたけどハンディキャップがある子供を引き取ることになったヒト…様々なヒトに触れることで、その時々で答えは変わってくるのかもしれないと考えたからです。
だから今全ての答えが出なくてもその時々で自分の正解を見つけることが出来たらと思ってます。

生きる意味に最終的な答えはない。
そう思ったらもう少し長く生きて、色んな「生きる意味」を探してみるのも悪くないなと思います。
また人生に迷ったとき、この作品に触れてその時にどう思うか考えれたら良いですね。

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最後まで読んでいただきありがとうございました。
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是非遊びに来てください!

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