【D&D】『赤い手は滅びのしるし』58・53日目 ブリンドル~邪竜の神殿(1)
* * *
「……あなたの拳は樫の木よりも硬く、あなたの牙は山査子より鋭い」
大猿、大あくび。ちょっときょろきょろして、クロエがいないのを見るや、ごろりと横になって、お尻を黒い指でぼりぼりと掻き掻き。唇をラッパのように突き出して『きもちいい』を表明しています。
「……誓う、アローナの名において我、御身を救う後見人たらん」
指で薄荷の葉をすりつぶして、中空に聖印を描けば、“信仰の後見人”の儀式は終わりです。バッシュとサンダースの分に加えて、前線に立つコンボイにもやはりこの儀式を、と思い立ち、クロエにお願いして10分間『おすわり』させていたのですけども。
バナナを食べ終わり、ゲップして、もういちど大あくび。……うん、いいんですよ。《言語会話》が無い以上、あなたには異国の言葉も同然の誓いですもんね、コンボイ。よく我慢してくれました。
我らの剣であり盾である大猿は、しかし、退屈を隠し切れずに、上唇と鼻の間に挟んだ棒で、自分の指輪をくるくる回す芸に挑戦し始めていました。わー、上手ー。コンボイはもの凄く得意げな表情で、うほうほと拍手をしながらますますスピードアップ。
あ、そっか。
「コンボイ、お疲れ様。これで儀式はおしまいです」
大猿は、ぴたりと動きを止めると、棒をぷっと吐き捨て、指輪を器用にはめ直し、一度だけ私の目を見ると、窓から屋根の上へと飛び出しました。クロエを探しにいったのでしょう。やれやれ。
嘆息もそこそこに、私は香炉へ豆炭と香を並べ、両の手を筒がわりにして、熾した炭に数回息を吹きかけました。馥郁たる香りが、銀の香炉から漂いだします。上蓋をかけ、ほそい銀の鎖を通し、軽く左右に振ってバランスを確かめました。よし。
「ジョン、ジョン=ディー? 次はあなたの《不屈の誓い》ですよ」
「押忍!マジお願いします!」
都合、小一時間は儀式のために使ってしまいました。なんとも厳粛な朝だったと言えるでしょう。……コンボイのことを勘定に入れても、です。
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「レンジでチン!10分でチン!それでも中身は《英雄饗宴》!食べてお得な英雄定食~!!」
クロエが歌いながら空の食器をがんがん打ち鳴らします。はいはい、いますぐ準備しますからおとなしく待っててくださいな。
10分かけて、巻物に用意されていた術式を解きほぐし、神界から英雄の宴を招き入れます。
「うは!メイドついてきた!すげえ!」
「なんか、みんな頑なっぽいが」
「ペイロア印だからきっと全員シアリングライト持ち!このアンブロシアも調理は陽光の熱で!!」
「ううっ、そう聞くと突然悲しい味に」
「アルウェンが生投射してればエルフのメイドがついたのか?!なんか全員トレドラさん似な気がするのは気のせいか?!」
気のせいです。とりあえず飲んだり食べたりしたらいいと思います。……ネクタルはおいしいですけど、二日酔いしないのはなんだかこう、スリルの無い飲み物ですよね。伝説的な英雄でも、お気に入りの食堂には時々顔を出す、なんて噂話がありましたが、あれは案外本当かもしれません。
私は、荷物の中に増えた、聖餐~給仕用の巫女服をどうしようかな、などと考えながら食卓を見回しました。旺盛な食欲の我が友人たちに、半透明の英霊的給仕たちは荘厳さを欠くことなく、ネクタルとさまざまな盛り付けのアンブロジアを、楚々として給仕し続けています。英霊は美女揃い(たしかに、どことなくトレドラさんに似ている気がしますが)、結い上げた金髪が凛々しいですね。――給仕の手は足りているようです。
そこで私は、食卓の戦況から判断し、むしろ喫緊の課題であるところの『巻物で用意した量でみんなの朝ごはんが足りるのかどうか』という設問に悩むことにしました。
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《転移》の巻物と《風乗り》で高速移動。今回は私の肩にスーが乗っています。スーとジョンの共感能力で、ジョンたち転移組との合流をスムーズにしよう、というジョンの思い付きです。
一時間後。邪竜の神殿手前で無事に落ち合った私たちは、昨日と同じ防御呪文を用意し――もちろん全ての“武器”には昨日のうちに、24時間まで延長されたサンダースの《上級鍛剣呪付》が呪付されています。
「18,000gpの7倍はー」
「126,000gp。すごく儲けた気分だな」
「何の価格ですか?」
「サンダースくらいの強さの秘術使い(ダスクじゃなくてウィザードな)が作れる魔剣の相場。数字にするなら3倍強い」
「普通の魔剣は『2,000gp』、名のある魔剣はその『4倍』、強烈なのは『9倍取引』ってのが世の習いだぜ」
「うむ、ただの農夫を歴戦の英雄に変えるほどの魔剣というのが、もっとも強力な魔剣という話だな」
「あとは特殊能力のあるなしか」
「クロエドルイドだから関係ねぇ!そんなの関係ねぇ!!……うううー、《幻の牡鹿》使いたかったー」
「ところで、ジョン。出発前にメイアーに会ってこなくてよかったのか」
サンダースが水を向けました。ああ、あの防衛戦前の晩、兵隊さんたちと宴会をやった時の主催。気風がよくて優しくて、孤児たちの面倒をよく見てあげてて料理が上手、しかも独身。可愛いひとでしたが、まあまあジョンったらいつの間に。
「うーん、そんな死亡フラグを立てて置けるほど俺は自信家じゃないぜ」
「ははは果たしてフラグそのものが立てられるかな」
「な?!俺だって案外モテですよ?ただ万一を考えて験を担いだというかですね」
『このあじはうそをついているあじだぜ』
スーがまぜっかえしました。
「さあ、そろそろ行こうぜ」
バッシュが促します。全員の目が、すっと暗くなりました。
「あー、屋内だよ」
「ダンジョン狭いんだよなー」
「《からみつき》も役に立ちませんしね」
「うむ、移動力の妙を殺されるのはちと辛いな」
全員ぶつぶつ言いながら、向かう先は邪竜の神殿。こんなに緊張感なくていいんでしょうか。
* * *
入り口の罠はバッシュが軽やかに解除しました。
「なーあんちゃん、どんな罠だったのだー」
「失敗すると普通のローグは粉々」
「((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル」
そっと進み入れば、正面にもう一枚の扉。クロエの《知覚連結》で、全員の五感は針の様に研ぎ澄まされています。
(扉の向こう、なにかいる)
バッシュが手振りで伝えます。
(ごー!!)
クロエが全身で応えます。全員首肯。かくて、邪竜の神殿の戦いは幕を上げました!
「ワイバーンゾンビ2、高所にアビシャイ2!地獄の尖兵だ、気をつけろ!」
サンダースの看破に、ひとつ肯いたバッシュが左手のワイバーンゾンビに駆け寄り、持ち替えた剣でしたたかに斬りつけます。痛みを感じぬ死体ながらも、その大きく開いた傷は少々堪えたことでしょう。
「亡者退散!」
聖印を掲げれば、不死化させられたワイバーンは慄き怯み、
「聖印を恐れるものよ!森を育てる陽光の名において、滅却せよ!!」
アローナの守護する太陽領域の効果『滅却』は、不死者を塵に還します。――結果、左手のワイバーンゾンビ『だけが』塵に還りました。
「……あれ?」
もう一撃入れようと身構えていたバッシュの前で、さらさらとした灰になっていくワイバーンゾンビ。
「バッシュのあんちゃん顔がにょろーん(´・ω・`)!アルウェン空気読め!いまからあんちゃんがかっこよく倒すはずだったゾンビから滅却することないだろっ!!K・Y!K・Y!」
「近い相手から滅却されるんですもの!廊下が狭いのがいけないんですよ!右にステップしたらジョンにぶつかっちゃうでしょ!!」
「まあ、では、とりあえず残ったゾンビを始末しようか」
部屋の天井は高く、奥の壁の高所に作られたアルコーヴから、アビシャイが『バッシュー、友達になろうぜー』とか『バッシュー、コンボイに抱きついてみようぜー、きっとふかふかだぜー』とか甲高い声で叫んでいます。
「《魅了》か《示唆》か。バッシュ、耳を貸すなよ」
「おう」
「……さて死体に電撃は効くのやら」
サンダースとバッシュ、コンボイがゾンビを殴り始めたので、私も少々お手伝いをすることにしました。
「木の実よ木の実、燃えて弾けて飛び回れ」
《炎の実》は、ドングリに爆裂するほどの炎を詰め込む呪文です。
「で、そーれ」
火力的には、ジョンの《引火》にも引けをとりません。下手からアルコーヴ目掛けて放り投げられたドングリは、過たずアビシャイの胸に着弾し、猛烈に爆発!!
したのですが。
「あー、司祭司祭?地獄の悪魔は火炎に対して絶対的な耐性を持っているのです」
ゾンビを始末し終えたサンダースが言いました。もうもうと上がる炎は一瞬でかき消され、その炎の立った場所に小揺るぎもせずアビシャイは身構えています。耳まで裂けた口が、にやりと自慢げな笑いを浮かべました。
「きゃらの!!悪魔が燃えなかった代わりにクロエが萌え転がっとく!『うっはーアルウェンはドジっ娘でちょー萌え萌え!!』」
「……まあ、ひとつ覚えたということで」
ジョンが火鉢を取り出しながら言いました。ううっ、目を合わせないのは笑ってるからですか?
「いやそれよりも。バッシュ!構え!」
スーが右手のアルコーヴに飛んでいきます。バッシュは全身を捻り、連打を叩き込む姿勢。スーがアビシャイに接近した瞬間、
「《位置交換》」
ジョンの指が鳴りました。スーと入れ替わったバッシュが、そのまま猛烈な連打を悪魔に叩き込みます。
「スーは反対側から悪魔を撹乱しろー」
共感しているので、命令を口に出す必要は無いはずですが、ジョンは使い魔と喋るとき、ちいさく口にしていることがあります。癖でしょうね。
* * *
わきわきと壁を登ったコンボイとクロエが、左手のアビシャイを殴りつけます。が、
「かたい!なんか鉛の板を殴ったみたいなかたさ!手ごたえはあるけど効いてない風味!!」
「魔力・斬撃・殴打・刺突とも効果なし、か」
クロエの悲鳴を受けて、サンダースが分析します。《即行飛翔》で駆け上がり、コンボイと対極の位置へと滑り込み、一撃。
「なるほど、これは手ごわいぞ」
「ならば」
私は、右手のアビシャイに銀と冷たい鉄、そして普通の矢を続けざまに射掛けました。矢は当っても、その身体には傷ひとつついた様子はありません。
「銀もダメと」
ジョンがつぶやきました。火鉢で呼び出した火の精は、部屋の入り口でがんばって、通路の私たちを守っている格好です。火が効かないのはさっき確認済みですし。
「……となると秩序とか善とか」
ジョンがこちらを見ました。(武器の属性を変える呪文とか、ない?)という視線です。あー、ごめんなさい。2回は用意してません。そして、ここで使えばあとで苦労するのは目に見えています。
「!!」
バッシュに直撃したアビシャイの爪が、尾が、接触と同時に青い電撃を放ちました。
「バッシュ!」
「このやろう!!」
怯みもせず、狂戦士は反撃を加えます。しかし、攻撃に対する悪魔的な抵抗能力が、私たちの剣から鋭さを奪っているのは確かでした。
「こりゃ長引くかなあ」
ジョンが言います。直接戦場に介入できない、それは援護を旨とする呪文使いの背負う性です。私にもできることはもう――いえ、ダメージを減らすことができれば、それだけでも楽になるはず。
「《力術属性抵抗共有》を使いましょう」
「全員は入らないよ、アルウェン」
え、あ?あ、本当だ。どこに位置取りしても、誰かが対象になれない距離があります。
「だから俺は、あとでいい」
ジョンが、行った行ったと人差し指を振りました。
「前衛だけでも、頼む」
私はひとつ肯くと、部屋の真ん中まで駆け出しました。そして、
「風よ、舞い上げよ!《上昇気流》!!」
クロークと髪の毛とスカートとが、強い風に翻ります。これぞ即行呪文、《上昇気流》。踏みしめられるほどに強い風の柱が、私を一瞬でアルコーヴの高さへ押し上げます。そして即座に、
「《信仰よ、雷に対する我らの守りとなれ》!!」
「きゃらの!ジョン!ジョンたいへんだ!アルウェンがパンチラ呪文《舞い上げる風》を!!ちくしょーここからじゃ高度が同じで見えないよ!!」
「あー、うん大丈夫アルウェン、見えなかった」
「見えたとか見えないとか何の話ですかっ」
「きゃ、きゃらの?!アレだけ強い風でも見えないということはつまり『はいてない』?!」
「戦闘に集中しなさーい!!!!!」
「もちろんだ。さあ来い、善なる来訪者!今後お前と誼を通じて、悪呪文を使った汚名を雪ぎたい!!
《ハウンド・アルコン招来》!!」
ジョンが、もの凄く都合のいいことを言いながら右のアルコーヴを指差しました。まばゆい光が走り、そこに現れたのは、赤銅色の肌を持つ短躯狗頭の善なる戦士。手には巨大な剣を握り締め、全身から悪に対する怒りのオーラをぎらぎらと放っています。
そのオーラに気圧されたか、一歩後退ったアビシャイを、アルコンは容赦なく打ち据えます!悲鳴を上げるアビシャイ、そこへ、
――バッシュの苛烈なる6連撃。
「おー、しっくすひーっとこんぼー」
「フタエノキワミ、アッー!!」
クロエの歓声に、アルコンがゲラゲラ笑いながら返句を繋ぎました。どうやら天上界のジョークかなにかではないかと。
アビシャイは、そのままどうと倒れ、事切れたようでした。
「負けるかー、コンボイ!善属性とか関係ないぞ!おまえの拳には『きもち』がいっぱい詰まってる!!」
「なんかいいこと言った気になってるが、特に効果は変わらないぞー」
「善の気持ちでふるぼっこ!おまえに届け、この拳!!」
12秒後、コンボイが口からアビシャイを咥えてぶら下げておりました。アビシャイは首の骨を折られたネズミのごとく、だらりとぶら下がっています。完全に死んでますね。
「Say-Bye!」
クロエが親指を下に向け、全員、親指を立てて返答しました。
「さ、アルコンのいるうちに次の部屋行こうぜ次」
先は長そうですが、幸先のよい一部屋目だったと言っていいでしょう。私たちは正面の扉を開きました……。
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