【D&D】『赤い手は滅びのしるし』55・52日目朝 邪竜の神殿まで
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(収穫月11日、神の日。日記52日目)
「《幻の牡鹿》とー、《動物との感覚共有》とー、《数多の目》とー、あー《動物との会話》はいらないかなあ」
《水の創造》で空中の朝露から水を紡ぎ、朝食の用意をしていると、クロエがコンボイと差し向かいでなにかやっています。そっとのぞき込むと、地面になにやら書いて、両の手を使って何かの勘定をしているようです。
「どうしたんですか?」
「うん!今日はクロエは偵察してこようと思う!目立つからコンボイは途中で置いていく!一人で神殿のそばまで行ってぐるーっと様子見て帰ってくる!たぶん悪い神殿だからこんなんで!!」
木の枝で差された先の地面に、尖塔と丸屋根と柱とで構成された……と思しき、クロエ描くところの『邪竜の神殿』の線画がありました。
「《幻の牡鹿》で森の爺様の霊を呼ぶ!爺様はでかいヘラジカだからすげえ足が速い!こう!びゅーん!!!」
ずずずずずーっ。枝が描く線がまっすぐ神殿のそばまで伸びてゆきます。
「そこで話の分かりそうな動物探す!《数多の目》で魔法の目を神殿のなかのホブゴブにリレー!たとえて言うならば『レリクス-暗黒要塞-』!!」
「……クロエの喩えは時々よく分かりません」
「《数多の目》はクロエの目が相手に乗り移る呪文!その相手からもっと別の相手にも乗り移る!どんどん奥に行ける!じょうほうは多いほどいいからなっ!
逃げるときは鷹に変身してー、とにかくどのくらい敵がいるのかをぐるーっと見て回ってー、それからみんなで突撃する!そうするとー、でも戦う呪文が減るなー、どうしようかなー、どれをあきらめようかなーって」
目がきらきらしています。ハイキング前日の子供ですかクロエ。
「私たち、獅子窟でもクロエの偵察で命拾いしましたからね。朝ごはんは用意しておきますから、ゆっくり考えてください」
うおー、なやむー、と髪の毛をかきむしるドルイドをその場に残し、私は朝食の準備に戻りました。ジョンのベーコン、まだ残ってるかしら。
コンボイは、かまってくれないクロエに飽きたか、自分で物入れ袋を漁り、彼のお弁当であるキャベツを取り出すと、ばりぼりと噛りはじめました。普段のクロエならあそこで「待て!」を出すところですが、今日の呪文選択の難しさはそれどころではないようです。
がんばってくださいね、クロエ。
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竜煙山脈の山道を進むことしばし。道は切り立った崖に張り付くように伸び、また山肌も並みの山とは違った奇怪な風食を受けており、行けども行けども道の先は常に崖の向こう山の後ろへと隠れ伸び続けます。
やがて、ひとつの山脈を越えたか、道は尾根沿いに北西へと伸びはじめました。道の左右はかなり急な斜面です。
「落ちたら助からんなあ、はは」
ジョンが言わずもがなのことを言いました。落ちたら、体が止まるまでに100フィートから200フィートは崖に叩きつけられ続けるでしょう。あまり楽な死に方とは言えません。
「む」
バッシュとクロエが、足を止めて遠くの空をにらみました。
「どうしたんですか?」
すこし目を凝らすと、私にも見えました。ううん、緑色の……翼竜?……いえ、額に大きな角を持っています。あれは一体?
「うむ、あれは噂に聞く魔獣アーソック!」
「なにぃ、知っているのかサンダース!!」
「盲目の翼竜、音撃の魔性。生来狡猾であり遠隔からの『音波の槍』で獲物を容赦なく仕留めるというぞ」
「おんぱー?そんな攻撃聞いたことねぇー!!」
「音波も力術のうちですよ。だから《力術属性抵抗》で防げます」
エルシアの谷での旅は、私の信仰を大木のごとく育て上げてくれました。したがってアローナの遣わす信仰の盾もまた、頼もしいほど強力になっているのです。私は聖印に触れ、全員に音波抵抗の守りを投げかけました。
「ううむ、この防護強度ならアーソックの音波の槍はないも同然」
「おっ、この高い音が音波攻撃か?!」
「すげー!地面がドカンて言ったドカンてー!!」
音波の槍の余波で、周囲の地面が砕け吹き飛びますが、私たちを傷つけることはまったくできません。こうなると、もはやアーソックは敵ではありませんでした。音波攻撃の不発に業を煮やしたアーソックが突撃してきたものの、コンボイの足止めに遭い、全員に袋叩きにされた、とだけ記しておきましょう。
「げげぇー、やっぱり魔獣だけに何にも持っていやがらねぇー!!」
ジョン、残念でした。
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道はもう一度谷へ降り、何度も折れ曲がり、登って下り、そしてまた登り……不意に、道の先の空が開けました。
坂の向こうに、今までよりもさらに大きい谷が開けていました。いえ、周囲を崖に囲まれた盆地とでも言うべきでしょうか。道は左の崖に添うように進み……それよりも、私たちは正面に現れた威容に言葉を失っていました。
150フィートはありそうな崖のその側面に、巨人が手を広げたかのように五つの首を広げ伸ばしもたげる、巨大な多頭竜の姿を模した建造物。首のそれぞれは石材の種類を変えているのでしょうか、それぞれの色の竜の特徴と同時に、その色をも再現していました。緑。黒。白。赤。青。差し渡し、200フィートはあるでしょうか。
「……でけぇー」
ようやく、ジョンがそう呟きました。
「4、500ヤードってところかな」
バッシュが神殿のある正面の崖までの目測を立てます。直線距離でそんなものでしょうか。
「うむ、目と鼻の先だな」
《背に風受けて》の効果を考えれば3分かかりません。実際には、崖にへばりつくように進むあの道を進むことになりますが、然程差はないでしょう。
「ち……ちっ……」
「ち?」
坂を上りきって、神殿を目にしたところでぽかんと口を開け、やがてうつむいて一言も口をきかなかったクロエが、肩を震わせながら何か言葉を搾り出そうとしていました。
「なんですか?クロエ」
「ちっっ……近いよ!!近すぎるよ!!うわあああん、近いっ!こんなんじゃ偵察とか意味ないじゃん!!今朝用意したクロエの呪文の使いどころを返せ!返せよう!!」
コンボイの上で駄々をこね始めてしまいました。鞍の上でなければひっくり返って手足をばたばたさせかねない勢いです。
「うむ、いい駄々だ。分別のある大人にはなかなかできることではない」
「和むな。うん、和む」
「すげえやる気なくしたー。あーあ、もう帰ろうよ」
「まあまあ。近くまで行ったら気分も変わるかもしれないぞ」
「えー、バッシュのあんちゃん適当なこと言うなー。あれ建物だぞー。このあとあの中に入らなきゃいけないんだぞー。クロエたちが獅子窟でどんだけ苦労したか覚えてないかーぁ?」
それを聞いて、全員、動きがぴたりと止まりました。獅子窟の戦い。ああ、あれは酷かったですよね……
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