【D&D】『赤き手は滅びのしるし』44・42日目 ブリンドル(6)
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(収穫月1日、星の日。日記42日目/昼)
「というわけで、テロリストを3人始末しました」
3つの死体とその所持品と、特に黒装束の下から現れたその異様な風体――黒竜の相がある人型生物――とをジャルマース卿に示し、私たちは事の次第を手短に説明しました。
「ふうむ、棺桶屋と言ったな?あの広場の先にある?」
「ええまあ。……なにか?」
「うむ、開戦直前にあの広場で演説をするつもりだったのだが」
ジャルマース卿の発言で背中に冷たいものが走る私たち。では、あそこに奴が篭っていたのは……
「最悪のタイミングで、最悪の暗殺をするつもりだったわけだ。図らずも、ジョンの殺られたように」
「オレ死んでねぇし!ていうかテレルトンで命拾いしたのはコンボイとクロエのお陰だからな」
照れて頭をかくクロエとコンボイ。その横で、私はまざまざと『ありえた世界』の様子を思い浮かべていました。
――指導者の演説に気炎を上げる兵士たち。ジャルマース卿が拳を振り上げた瞬間、その胸に突き立つ毒矢。大パニックになる広場、狙撃現場に準備も無く吶喊する私たち、廃屋で待ち受ける透明なソーサラーと黒装束……
垣間見た幻視に頭がくらくらしました。最悪です。そして、その最悪を私たちはかろうじて回避したのでした。なんという幸運。
「他に、敵の本拠と、竜魔将ハーンについて尋ねましたので」
確認の意味を込めて、私たちはそれらの情報もジャルマース卿に伝えました。
「ううむ、しかしなんという……よし、こやつらの死体を大門の外に吊るすのだ」
「お待ちください閣下。しばしのご猶予を」
「なぜだ」
「うむ、裏切り者をもう一人始末してくる」
「な、なんと?」
「夕餉までにもう一人、あわよくば生け捕りで。まあたいしたことは知らないでしょうが」
「死んでても質問は4つまでOKだもんな!」
「まあ……バラバラにされない限りは。……でも、殺さなくてすむならそのほうがいいんですよ?」
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『臆病鴉亭』。ミハの定宿です。上流階級の顧客も多いこの小さな宿に、私たちは日の傾く前に到着しました。
「で、どうするのですか?」
午前の熾烈な戦いで、呪文の予備などありません。ですが、全員で吶喊すれば、人数の差で制圧も容易でしょう。
しかし、その上でなお、みんなはバッシュの……意見を尊重しました。
「……俺、最後に話をしてきたい。ちょっと時間をくれないか」
「いいよー」
「ああ、気をつけろ」
「たぶらかされるなよ」
「……それで、あの、アルウェン。今朝の《信念》呪文を……」
「残念ですが、あれで打ち止めなんですよ」
「……『力の真珠』でもう一回だけかけてもらえないかなあ」
「あー、そういえばそんなものを購入してましたね」
『力の真珠』は、一度使った呪文をもう一度使えるようにする魔力が込められた小さな真珠です。私は快く引き受けて、彼の精神を強化すべく呪文を唱えました。
「いいですかバッシュ。呪文にくじけそうなときは一昨日の晩、自分がどんな目にあったか思い出すんですよ?」
「それ呪文か?」
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ほかの皆を宿の外で待たせ、バッシュは宿の扉を開けた。中に入ると、瀟洒な店内に似つかわしくない、いかつい男たちが3人、店奥のテーブルで飲んでいるのが見えた。前回も居ただろうか? かすかな違和感を感じつつ、宿の主人に声をかける。
「ミハに会わせてくれ」
「あれ、お客さん。ミハさんに呼び出されたのかい?」
「? いいや、違うが」
「ああー、じゃあダメだよ。いま先客がいるんだ」
顔色の変わった店主に、さすがのバッシュも状況を悟る。別の男がミハと一緒にいるのだ。
「……通してもらうぞ」
「だ、ダメですよ!約束のない方を二階には」
バッシュは眼光鋭く宿の親父を睨み付けた。巨人さえ怯む怒りの視線である。街で暮らす一介の宿屋の主人程度に、耐えられようはずもなかった。
「ひ、ひい」
殺される、と確信してカウンターの奥に転げ込む主人を尻目に、バッシュは階段を登る。宿の主人は、がくがく震えながらその背中をただ見送らざるを得なかった。
# # #
目的の部屋を前に、戦士の癖が顔を出した。息を殺し、気配を探る。
――室内からは、なにも聞こえない。
「ミハ、開けてくれ」
バッシュは、ドアをノックした。
「……バッシュなの?」
「ああ、俺だ。話したいことがある。開けてくれないか」
――室内から、呪文を唱えるささやき声がした。
バッシュは舌打ちした。聞こえなければよかった。いや、用心のための占術呪文かもしれない。“ドアを開けずに攻撃呪文を唱えることはできない”。
ドアには聞き耳を立てる冒険者としての癖を否定する感情と、いまだミハを庇う気持が自分の中にあったことへの驚きと、昔聞いた警句と、さまざまな思考とが一瞬でバッシュの脳内を駆け巡った。
その躊躇は一瞬だったが、
そのわずかな隙にドアは内側に開き、
ミハが微笑みながら戸口に現れて、
仮面のような笑顔を貼り付けたまま、その右手に溜めていた呪文をバッシュに叩き付けた。
――こんな女だったのか。
呪文の効果か、裏切りを目の当たりにした人間の感情喪失か。バッシュは呆然と立ちすくんだ。《鏡像》を纏って数人に増えたミハの後ろから、見たことのない中年男が下卑た笑い顔を隠そうともせず、低い姿勢で駆け込んでくる。
――ローグだ。手練に違いない。
どこか冷静な頭の奥で、バッシュはそう判断した。男がドアを抜け、バッシュの隣、廊下側に立つ。視界の右に、男の構えたショートソードが鈍く光って……剣はバッシュの身体に深々とつきたてられた。
「バカねえ」
血のごうごうと下がっていく感触。視界が急速に暗くなる。目の前のミハが、必殺の威力を込めた《凍結球》を、バッシュへ押し付けた。
――!!
悲鳴も出ない。流れ出した血液が凍りつく。自分はこのまま死ぬのだろうか。
「……?! なぜこれだけ威力ある一撃で死なないの?」
「ビンゴー!お前のようなビッチは、ぜーったい冷気呪文を使うと思ってたのだ!!」
応、と吼えた大猿が室内右手の窓から、ジョンの使い魔の小竜が室内正面の窓から、相次いで飛び込んできた。
「このクロエすでに!《集団冷気耐性》を投射しておいたんだっぜ!」
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『じゅもんとなえてるっ』
二階の窓にしがみついていたスーが、精神感応で私たちに急を知らせるやいなや、コンボイとクロエはひと飛びで屋根に乗り、ミハの部屋の窓をぶち破りました。スーも体当たりで窓を壊します。
サンダースは《次元跳躍》の口訣をつぶやき、姿を消しました。まっすぐ二階に飛び込んだに違いありません。
「やっぱりこうなったかー!」
ジョンが右手で印を組み、召喚動作を始めました。あそこから一階の様子を見ていましたから、まっすぐ店内に従属生物を召喚する気なのでしょう。
「……あ」
うっかりしていました。コンボイに同乗していれば私も二階に行けたじゃないですか。しかし後の祭り、私は普通に宿に入るほかありません。
「ごめんくださ」
空気を裂く音、手元のドアに響く振動と木の砕ける音、鼻先に届く鉄の匂い。開けたドアに阻まれて、そのショートソードは私に届きませんでした。が、もう一歩踏み込んでいたら、間違いなく私の顔に……。
入り口には、いかついのが3人、『ここは貸し切りだぜ』とばかりに立ち塞がっていました。全員抜刀して。
直後。燃え盛る大猿が彼らの背後を占めます。ジョンの召喚した炎の魔猿でした。
「ぎゃーっ!!」
店主が大猿を見て悲鳴を上げています。ほぼ同時に、階段から誰かが駆け下りてくるのが聞こえました。
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# # #
――んでもヤバイ、ヤバイよ!
クロエは珍しく焦りを露わにしていた。『不屈の誓い』と『激怒』でかろうじて立っているに過ぎないバッシュの、そのすぐ脇に剣を持った男の影が見える。今バッシュを正気に戻さなければ、あの扉の影の男が今度こそバッシュの命を奪うだろう。
――前進して、心術を破壊すれば!
扉の影は殴れない。バッシュを庇って立つ隙もない。ならば手段は一つ、彼を正気に返すこと!
「《ディスペ――》、きゃ、きゃらのっ?!」
移動した先から見えた、バッシュを刺した男の顔。それは、昨日カール女史から紹介された、この街のギルド長。“黒ナイフ団”首領、リラー・パーンに間違いなかった。
「なんでアンタがここにいるんだよーっ!!」
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* * *
階段から駆け下りてきたとたん、炎の猿と上から迫るサンダースとに挟まれる形になったミハは、数度の攻撃を鏡像に受けさせながら、
「おぼえてらっしゃい!」
と捨て台詞を吐いて『転移』の巻物で何処かへと消え去りました。
「ああ、やれやれ」
サンダースとコンボイとクロエとが、見覚えのある男を引っ立ててきました。それをみて、目の前の男たちも急速に戦意喪失します。
ミハに見捨てられた、と見た男たちは、その場で全員降伏しました。やれやれ。
そこで、わたしはようやく、その男の顔をどこで見たのかに思い至りました。
「あなたはリラー……!」
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「きりきり吐けっ!ミハにたぶらかされたのは他に何人いるんだ!お前の裏切りをカール女史は知ってるのかっ!!」
拾い物の『真実の霊薬』で、ジョンとクロエが新たな裏切り者リラーの尋問をする傍ら、大きなベッドに大の字になって動かないバッシュに、私は声をかけられませんでした。
最悪のその一瞬前、死地のバッシュを救ったのはまたしてもサンダースの《次元跳躍》でした。敵の誰からも手の届かない場所、すなわちこのキングサイズのベッドのうえに彼を投げ出して、サンダースとクロエは一気に敵ふたりを分断する位置取りを行ったのでした。
「やはり我らの敵ともなると、一筋縄ではいかんな」
サンダースがつぶやきます。コスに《飛行》で逃げられたときも、ディスプレイサー・ビーストに《次元扉》で逃げられたときも、もう一手先を読んでいれば防げたはずの逃亡であり取りこぼしでした。問題は、逃がしたことではなく、逃げた相手が我々の存在を脅威として『赤い手』の軍勢に伝えてしまうことなのです。追うのではなく、追われる立場。
「まあ、ここまでくればあとは戦争であって冒険者の出る幕はない。必要なのは戦士ではなく兵士さ」
「きゃらの!兵士でどうしようもない敵はクロエたちがやっつけるんだな!ドラゴンとか巨人とか魔法使いとか!」
カール女史はこの男の裏切りに関与していないと聞いて、私たちは少々安堵しました。信用できそうだと思った人が裏切り者だ、というのは結構悲しいものなのです。
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「ミハは豪勢な暮らしをしていたんですねえ」
残された調度や装身具は、どれも金銀宝石をふんだんに使ったものばかり。ざっと金貨10,000枚は下らないでしょう。これが裏切りの代価なのでしょうか。
「2トルカンだな!」
「なんだそれ」
「むかしよく死ぬ勇者トルカンって男がいたんだ!だから蘇生1回1トルカン!10,000gp2トルカン!」
「蘇生費用の5,000gpのことか。いやな丼算だな」
「アンクレットまで忘れていってますよ」
「ふつう外すか?」
「うむ、外すようなことをしていたのだろう。……売女の払う一番安い報酬、ってやつをな」
その報酬を支払われた男たちの前でよく言えますねっ。リラーは目を背けるしバッシュは動かなくなっちゃったじゃないですか。
バッシュをフォローするようなことをなにか言いたかったのですが、耳まで赤くなってる今の状態ではちょっと無理だと思い、私は口をつぐみました。
「バッシュのあんちゃんは正しいことをした!騙されてると分かってて最後までミハを説得しようとした!無駄だったけど!」
クロエが椅子をがたがた鳴らしながら言いました。
「あんちゃんはやれること全部した!だから次にあのビッチに会ったときは、遠慮なくぶっ殺していい!よかったね!」
「……おう」
「間違えるなよ、あんちゃん!『ぶっ殺す』じゃないぞ!『ぶっ殺した』なら言っていい!!」
「……おう」
クロエの道徳はまったくシンプルです。この部屋に来てはじめて声を出したバッシュを見て、皆視線を交わしながら小さく頷きました。彼の受けた屈辱は、きっちりあの女に返してやらなくてはなりません。
『赤い手』の軍勢が到達するまで、あと6日。
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