【D&D】『赤い手は滅びのしるし』40・33日目 三度ブリンドル
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(良し月20日、地の日。日記33日目)
「一気に野戦派の主張をひっくり返せたな!」
「『……カール殿の意見にも一理ある。ここは……巨人の援軍を得るまで守りの一手だな』だと!あれだけ野戦にこだわってたくせにな!!殿様、始終トレドラさんから目ぇ離さなかったぜ!」
「カールのおばちゃんがんばった!クロエも鼻が高い!」
祝杯、と言っていいでしょう。みんなちょっぴり意地の悪い顔で笑っていました。その日の午後、ブリンドルに到着した私たちは、そのまま防衛会議に参加して、カール女史の論戦を応援すべく、さまざまな案を講じたのでした。
やれジョン=ディーの魅力の外套を貸し出そうだの(もっと上等のものを持っています、ということを婉曲に伝えられました)、呪文で魅力を引き上げて交渉を有利にしようだの(残念ながらそんな呪文の使い手は私たちの仲間にはおりませんでした)、いさおしの水薬を調達して会議参加前に飲んでもらおうだの(怪しすぎる上、ポーションを調達する資金が不足していました)。
「結局、ウォークルノーのお土産の『魅了の杖』が一番説得力あったね。振るまでもなく」
「あとは実際、どんな戦にするかだ!時間あるし、守りに徹するぞーう!」
クロエの指には強い力を持つ守りの指輪が輝いています。
バッシュの腰には獅子の浅彫りがついた古めかしい、しかし着装するものに巨人のごとき筋力を授けるベルトが。ジョン=ディーの背負いには古ぼけた、しかし炎の元素精霊の恐ろしい力を秘めた火鉢が眠っています。
サンダースは、一人個室で、古代の知恵を秘めた魔法の書と格闘していました。
これらの強力な魔法の品は、輝く眉トレドラが、神託を得てジャルマースの古い倉庫から探し出させたものでした。
「こんだけありゃあ負ける気がしないぜ」
「まあ、バッシュさま」
ミハです。バッシュ以外の全員の目から感情が消えました。
「おおっ、ミハ。元気だったかい」
「おかげさまで。バッシュさま、お食事はもうお済みですか?」
「ああ?ああ、いや、その」
バッシュが救いを求めるような視線をテーブルに走らせます。全員、バッシュとは視線を合わせません。唯一、バッシュを諫めそうなひとは、今、二階の個室で、偉大な知恵の書と己の魂をすり合わせ、輝く稲妻を脳裏にひらめかせているはずです。あれだけの大冊を読みこなそうとすれば、日のあるうちを全部研究に費やしても1週間はかかるでしょう。私たちが稼いだ時間は、こんなところでも我々の助けになってくれたのでした。
きゃあ、すてき、とかなんとかいう声がしたのに気がついて、顔を上げると、バッシュとミハは指きりしていました。私が、サンダースはどうしてるかしら、と意識を逸らせているうちに、どうやら夕食をふたりで取ることに決めてたようです。ミハはちいさく手を振って酒場から出て行きました。
「じゃ、オレそんなわけで晩飯食ってくる」
着替えるためかいそいそとテーブルを離れていくバッシュを見送る、さまざまな温度の視線。
「ぜったい裏があると思うんだがなあ……まあ今俺たち金ないし、大丈夫かな」
ジョン=ディーが独り言ちました。
「バッシュのあんちゃんの左手がおっぱいに挟撃されてた!そんでバッシュのあんちゃんの鼻の下が超巨大サイズにー!!」
クロエが敵意むき出しで興奮気味です。こうなったこの子はなんだか興奮した山猫に似ている気がします。
そこへ、カール女史からの使いが現れました。晩餐会へお招きしたい、というのです。私たちは顔を見合わせました。断わる理由はありません。ジョンが手を上げます。
「綺麗どころをつけてくれ。俺のとサンダースの分」
招待を了解した、という意味を含ませ、ジョンがニヒル気に注文をつけました。中身は軟派そのものでしたが。
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カール女史との食事会はくつろいだものでした。低いテーブルに豪奢なソファ、鳥の羽のクッションに蜜蝋燭のやわらかな明かり。すこしばかりの茘枝香とつよめの麝香と熟れたワインの匂い。旅の暮らしではお目にかからないものばかりですが、サンダースもジョン=ディーも然程気後れした様子はありません。
美人をふたりずつ侍らせているからじゃないかな、と私は思いました。ジョン=ディーの要求を全部受けて、どこから呼んだのか猫科の動物を思わせる美人が四人、私たちの給仕として何くれとなく世話をしてくれるのです。しかし、場末の酒場女のように酒宴に口を挿むようなことはしません。じゃれつくジョンにも態度を変えず微笑んで、恋人に悪戯されたかのように、低くくすくすと笑い声を漏らすのみ。
自然、会話は女主人と我々の、この戦にかかる情報交換、というところに落ち着きました。赤い手の軍勢。緒力。目的。噂話。彼女もまた、独自の情報網で軍勢の行く手と大きさをある程度までは把握しているようでした。
「そんでさー」
とクロエ。
「ぶっちゃけ、おばちゃんはどこが街の最終防衛線だと思ってる?」
ぶっちゃけすぎです。それはつまり、カール女史の志の高さを聞いているのです。
「そうね」
女史がグラスを持ち上げて言いました。
「私の屋敷を。財産を……と言ったら軽蔑されるのでしょう?」
私はつい、手を固く握り締めました。ジョンは美人にちょっかいをかけていて聞いていません。サンダースは我関せずと辺りを見回しています。クロエが、獲物を狙う虎の目で女史の言葉の続きを待っています。
「私の財産とはすなわち、私の商売を支えてくれるお客を言うのだけれど。……私は欲張りかしら、お嬢さん?」
――驚きました。カール女史は街全部を、可能なら周辺の開拓地や農地の家々も守りたい、と言っているのです。それは無謀で、愚かで、しかし魅力的な提案でした。志、というなら、これほど高い志はないでしょう。
「わかった!よっし、おばちゃん超欲張りだ!でも自分に正直なのはすごくいい!!」
「……計画を聞かせてもらおうか、あなたのいう財産の保全のために」
「話はでかいほど聞く方は気分がいい。特に酒飲んでるときはな」
サンダースもジョン=ディーも、彼女の商売人らしからぬ、あるいはあまりに商売人らしい言い方に毒気を抜かれたようでした。私などは、むしろこの商人を好ましく感じさえしていました。
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「紹介するわ。私の協力者よ」
食後通された別室で、私たちはその男に引き合わされました。名はリラー・パーン。ブリンドルの暗部を引き受ける盗賊ギルド“黒ナイフ団”の首領でした。
「むっ……むむむむ」
クロエが緊張しています。リラーの一挙一動を見逃すまいと必死だった、とはあとから聞かされました。たしかに、気がつくと部屋の隅でワインを開けており、気がつくとカール女史の背後に控えていたりするのです。しかも、決して構えた風ではないのでした。長い間に身についた、自然な動作なのでしょう。
「なるほど、市街ではこれほど頼りになる連中もおるまい」
「褒められたと受け取っていいのかな」
「好きに取るがいい」
「おっちゃん凄腕だな!クロエ驚いたぞ!」
「どうも」
そして私たちは、カール女史の誘いを丁寧に断わって、屋敷を後にしました。
「好きな娘を選んでくれてかまわなかったのよ?」
というカール女史の言葉に、照れ笑いしながらもやんわり拒絶したジョン=ディーが、帰り道で見せたちょっと残念そうな笑い顔は……ええと、殿方と言うのは単純なようでよくわかりません。
「いやあ、だってなあ?!あの女の子たち、別の意味でプロだぜ、多分。間違いなく太ももに短刀の1本くらい準備してると見たね」
「なんだ、確かめなかったのか」
「確かめて急所に一撃喰らうのはカンベンだなあ」
「だいじょぶ!食事中に刺したり刺されたりしない!そういうのはあとでベッドの上でやるのが大人の常識で礼儀!」
けたけた笑うドルイドは、大猿の上で終始ご機嫌でした。夢を聞くとき、語るとき、人間は決して饒舌ではありません。しかし、他人の夢を笑わないものにとって、あいてと共有できる大きな夢は、どんな酒よりも楽しく酔える美酒なのではないでしょうか。
胸に沸いた暖かな気持を、口に出すのはなにやら気恥ずかしくて、私は皆のすこし後ろについて、ただ一緒に歩いて帰りました。
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