【D&D】『赤い手は滅びのしるし』15・13~14日目 星歌う丘~ブリンドル
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(跳ね月、28日-エルフ語なら”黄金月の末の日”。日記13日目)
気持ちのよい朝でした。風は凪ぎ、雲は晴れ、夜のうちに降った雨も、木々を生き生きと輝かせています。
「あーぁ」
ジョンが溜息をつきました。まあ、無理もないですね? なにせ、これから沼を越えた後、魔女の森を抜けるかその縁を歩くかして、都合3日は夜襲の脅威に立ち向かわなければいけないのですから。
「おべんと、ヨシ!着替え、ヨシ!ブーツ、まあヨシ!さて、どっちまわりで行こうか?」
クロエがコンボイの首を優しく叩きつつ、全員を見回します。そこに、見送りの面々がやってきました。
「押忍、セリリアさま!クロエ、出発準備完了でっす!」
ドルイドは高位のドルイドに絶対服従、らしいです。“自然の掟”の模倣だそうですが、あれだけ真顔のクロエは、ちょっと珍しいです。……セリリアさまの背後からぬっと現れた超巨大なワニを見て、クロエ以外の全員も表情を引き締めます。
「逆らえねえー」
「うむ」
「おはようございます。もうご出立ですか?」
齢経たエルフにのみ具わる、僅かな憂いを含んだ微笑。只一度の出会いと別れが、時と相手を変えて何度となく繰り返されたとき、真珠が薄い輝きで身を守るように、エルフの魂は一種の諦念を纏うのです。
新しい友へ寄せる心からの好意と、その別れを悲しみつつ、揺らがない強さとを。
「アローナの祝福せる疾き歩みの仲間よ、その戦さ長、ジョン=ディー殿。まずはお礼を申し上げます」
「え、なんですか?」
「赤い手の軍。総勢1万の大軍が、竜や魔物を従えてエルシアの谷を襲わんとしている……そして、皆さんはその尖兵である緑の落とし子共を、そしてその悪しき守り手たる黒の竜をも滅ぼしてくださいました。さらには、ラニカルの亡骸まで取り戻してくださった。そのことに、星歌う丘の長として、尽きることのない感謝を」
す、と首を垂れるセリリアさま。お付きの少女二人も、ぺこん、と勢いよくお辞儀します。
「……成り行きだ」
バッシュが頬を掻きながら、照れたのか、下を向きました。対照的に、クロエは得意満面です。
「いやー、もう。なに?ホント、只の成り行きだから」
区々、と肩のカラスも声を潜めます。むむ、皆、感謝されるのに慣れてないんですか?
「……そこで、ジョン=ディー殿。ひとつお伺いしたいのです」
ややあって、頭を上げたセリリアさまが、ジョンをまっすぐに見据えて尋ねました。
「?」
「……これだけの恩義に、あなた方が何の報奨も求めないのは何故なのですか?」
「ええと……?」
「“丘としては、いろいろ世話になってしまいましたが、見返りを要求しないんですか?”という意味ですね」
腑に落ちない、という風情のみんなに、つい解説してしまいましたが、全員、瞬きすること数回。
「……え?」
沼を渡ってきた涼しい風が、私たちの間を吹き抜けていきます。
「ぜんぜん思いつかなかった!!」
大声で宣言するクロエ。……ですよね?まるで思いつかなかったですよね?
「……だって、もう二晩も泊めて貰ったし。なあ?」
嗚呼、とカラス。うむ、と肯くサンダース。同意を求めてか、肯きながらも周りを見渡すバッシュ。
目を丸くするお年寄、というのは、……なんでしょうね、適切な言葉がないのであえてこう書きますが、……可愛いです。大抵のことでは驚かなくなっているはずのセリリアさまが、目を丸くして(といっても人間にはわからない程度にですが)一瞬、言葉を失ったようでした。
「見返り、つっても。勝手にやったことだから、気にしないでください。
……ああでも、もし良かったら、沼の向こうまで送ってもらっていいっすか?」
ジョンが、カラスを左の肩から右手に乗せ、ひょいと右の肩に乗せ換えながら尋ねました。黒い頭をぐりぐりとジョンの頬にすり寄せるカラス。
ざあ、と森の梢が鳴る音。それは、丘の外れから、ジャイアントアウルたちが羽撃いて、こちらへ……広場へ飛んでくる前触れでした。
湿った地面は埃を立てず、ただアウルたちの大きな翼が私たちのそばに近づいたかと思うと、彼らは音もなく見事な着陸をして見せました。
『むこうまで、などと。ぶりんどるまでおくるとも』
「喋ったー?!」
「うむ、魔獣だからな」
「ジャイアントアウルは賢いですから、人の言葉を喋りますよ?」
「……聞こえて、いたのか?」
『わしらはみみがいいからなあ』
「ていうか、マジ?マジ?ホントにブリンドルまで送ってくれる?」
くす、とセリリアさまが笑みを零しました。
「黒沼の野エルフは恩知らず、などと言われては困りますからね。乗り手を同乗させますから、どうぞブリンドルまで私どもに送り届けさせてくださいまし」
「……」
「……や」
「やったー!!これで1日儲けたー!おまけに森を通らなくて済むー!!ばんざーい!!ばんざーい!!」
「うむ」
大喜びする私たちをみて、セリリアさまは嬉しそうに微笑んでいました。
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(良し月、1日-エルフ語なら”陽花月の朔日”。日記14日目)
「くぅー、エルフのテント最高ーっ!!」
快眠したらしいジョンの、それが朝の第一声でした。
「そんなに具合がいいのん?」
「はははコイツのよさが分からないとは残念な人生だなっクロエ!」
嗚呼、と突っ込むカラス。その会話を聞いて、オウルと乗り手たちもくつくつと笑っています。昨日、森を上空から見た限りにおいては、敵軍の姿は未だ遠いらしく、魔女の森の向こう、竜煙山脈の麓が、赤い靄のようなもので霞んでいるのが見えたきり、でした。
「彼らは……どくろ大橋を越えて……森に差し掛かったくらいでしょうか」
「うむ、なんとも言えません。情報が少なすぎる」
「ばっちり時間は稼いでる!前向きにいこう!!」
「ま、とりあえず、だ」
ジョンが乗り手とアウルたちに向き直りました。
「ブリンドルの手前、5マイルくらいで降ろしてほしい。城塞都市に空から近づいて、下手に衛兵を刺激したくないし……あんたがたを無用のトラブルに巻き込みたくないから」
『いくさのうわさでぴりぴりしてりゃあ、そりゃあ、したからゆみでうたれてしまうかもしれんねえ』
乗り手たちも同意してくれたので、私たちのブリンドルへの帰還は、徒歩で、と言うことになりました。
* * *
街道を埋める、人、荷駄、馬、馬車、人人人! 空から見えた、街道を行く群れ群れは、あかつき街道沿いの危険に敏感な人々のあつまり、でした。みな一様に疲れ、怯え、それでも必死で歩き続けています。
ささやくように交わされる噂話は、どれも私たちの顔を曇らせるのに十分なものでした。
曰く、ホブゴブリンの野盗が方々で出るらしい。曰く、連中は軍勢を駆ってあかつき街道をすりつぶすが如く進んでくるらしい。曰く、敵には竜がいるらしい。曰く、敵はみな統制の取れた、まるで軍隊のような連中らしい。曰く、赤い手の軍団と名乗る彼らは、慈悲の欠片もないという。曰く、この騒ぎに乗じて野盗に鞍替えする人間もいるらしい。曰く、曰く、曰く。
「うあー」
「絶望的なご意見が多数」
「あにはからんや、そうでもない」
曰く、ブリンドルまで逃げ込めば大丈夫だ。曰く、何者かが北のレスト街道の封鎖を突破したらしい。曰く、どくろ大橋で竜を倒した連中がいて、そいつらが橋も落としたから軍勢は立ち往生だそうだ。曰く、すでに敵の作戦は彼らの手で暴かれ、ジャルマース卿の元に詳らかになっているそうだ。曰く、ジャルマース卿はもう赤い手の軍団を迎え撃つべく、その英雄たちをブリンドルに呼び寄せたらしい。
「……うわさって本当に当てになりませんねえ」
人と馬車とを追い越すように、街道の脇と丘とを歩き、時には街道を横切りながら、バッシュの先導で最短距離を、ブリンドルまで。
アウルたちと別れて、小一時間。
少々回り道してから到着した城塞都市ブリンドルの周囲には、早や、難民のテントがあちこちに立ちつつありました。
「戦が始まる前に、みんなをブリンドルの中に入れてもらわないとね」
「うむ」
肯きあいながら門に近づけば、門を開放してどんどんと避難民たちを中へと導きいれている衛兵たちの姿がありました。
「……わりといいひとなんじゃね?ジャルマース卿って」
「の、ようだな」
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とりあえずの宿は、行きにも使った『呑み足りないゾンビ亭』にすることになり、
「衛兵さん? ティヤニさんかドレリンのウィストンさんに伝言をお願いします。『“急行”が“ゾンビ亭”にいます』と」
門番へ金貨と共にそう告げました。
……まずはブリンドルでの足場を固めて、
1.手に入れた情報を、会える限りいちばん偉い人に託す。
2.ようやく大きい街についたので、今までの戦利品を売り払って戦力を強化する。
の二つを平行して進めるためです。
* * *
(続く)