『夢は見るためにあるものではない、叶えるものだ』って心から思える人いる?
皆さん、机に顔をつけて、絶対に顔を上げないでください。
「夢は見るためではなく、叶えるためにある」と思える方は、手を挙げてください。
先生は怒りませんので、正直に手を挙げてください。
ここで、すぐに手を挙げた方は、この記事を閉じてください。
逆に、手を挙げられなかった方は、ぜひお読みください。学びがあるかは分かりませんが、「あ、こんな視点もあるのか」と思っていただけるかもしれません。
・夢を大きく掲げよう。
・声に出して諦めず続ければ、夢は叶う。
こんな言葉を聞いたことはありませんか?私はたくさんこういう言葉を聞いてきました。
正直、こんな押し付けがましい意見に息苦しくなることもありましたが、今は一定答えが見えかけている気がしています。
そんなことを紹介できたらと思います。
歴史の先人、墨子が抱えた矛盾と対処
歴史上の先人が、そんな疑問に示唆的な答えを示してくれました。その方は、春秋戦国時代の墨子です。
最近、COTEN RADIOにハマっていて、そこで知りました。めちゃくちゃ面白いのでオススメです。
当時は乱世で戦争が絶えませんでしたが、彼は理想として「非攻・兼愛」(戦争せず、愛で満たそう)を説いていました。つまり、愛で世界が満たせると考えていたのです。
しかし、戦国時代は戦いばかりでした。
理想と現実には大きな隔たりがあり、非攻・兼愛をすぐに実現できる状況ではなく、理解されなかったそうです。
ですが、彼は諦めませんでした。諦めず、できることを続け、行動を示しながら、理想を生涯説いていったそうです。
その行動は、戦争でした。非攻・兼愛を説きながらも、戦術が非常に優れていました。70戦無敗の記録を持つ名将でした。
この矛盾する行動と理想に対して理解されない中でも、現実の行動を決してやめませんでした。
しかし、結局彼が生きている間に、非攻・兼愛が実現することはありませんでした。墨子の死後、彼の思想に共感した人たちが、非攻・兼愛の理念を追求する組織を作りました。
時を越えて、墨子が私に教えてくれたこと
私が彼の人生から学ぶことができたことは次の通りです。
『現実との乖離があっても、絶対に諦めずに行動し続けること』
『やりたいから続けることの大切さ』
『今追い求めている理想が実現するかどうかは、わからない』
結局の所、「夢は見るためではなく、叶えるためにある」は本当か
この話を踏まえて、最初の命題「夢は見るためにあるものではない、叶えるものだ」という意見に対して、私はこう考えます。
・夢は人それぞれであり、大小も上下もなく、その人の意思に依存するものであること。
・だから、無理に夢を作らなくても良い。
・好きなことを自分に聞いてみて、その好きなことをやってみることが大切。
・好きだからという理由で、行動をやめられないことを見つけよう。
・今は理解されない夢や理想も、いつか理解されるかもしれない(誰もその可能性を否定できない)。
・好きなことをやっているなら叶わなくても良い。むしろその状態が夢がかなった状態なのかもしれない。
皆さんはどう思いますか?ぜひ意見お聞かせください!
私の理想も掲げてみた
だから、私も理想を掲げることにしました。
『全世界中の人が、今生きているだけで価値があると知り、体感している世界を作りたい』
この言葉には様々な思いが込められていますので、また別の機会に詳しくNoteに書きたいと思います。この世界を実現するために、今自分ができることをやっていきたいと思っています。
ありがたいことに、私の周りには理想を持って頑張って行動し続けている人がたくさんいます。仕事も無償・有償問わず、色々とあります。
何かやりたくてウズウズしている人や、理想を掲げてみたいと思っている人は、ぜひご連絡ください。面白いプロジェクトがたくさん出てくることでしょう。
今生きているだけで価値があるということを、全ての人に届けたいと思っています。
この記事がその第一歩になればと願っています。
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