【私を駆け抜けていった(小田原の)ゲーセン達(3)】ゲームスポットサン
【基本情報】
住所:神奈川県小田原市栄町1-14-57(推測)
経営:個人経営?
通っていた時期:1989年頃~1993年?頃
80年代後半から90年代前半にかけて、ゲームセンターは儲かるロケーションビジネスだったのか、多分に漏れず、小田原駅周辺にも無数のゲームセンター、ゲームコーナーが存在していました。
当時のゲームセンターのイメージと言えば、カップルや家族やゲーマーコミュニティを中心としたターゲットの現在のそれとは全く違い、暗い店内にタバコの煙がただよい、不良学生や不良社会人がたむろする「溜まり場」のイメージでした。
当時のアーケード筐体のブラウン管は今の液晶画面と比べて非常に発色が弱かったため、窓からの陽射しや蛍光灯の強い光の下ではゲーム画面が見づらくなってしまいます。そのため、蛍光灯を外したり、窓を塞いだりなどして薄暗い環境を作ったり、テーブル筐体であればダンボールを加工して「日除け」を作るなどして工夫されてきたため、そういったイメージがついたものだと思われます。(立ってプレイするタイプの筐体のほとんどがモニタを囲む形で日除けがついていました)
小田原駅前にあった「ゲームスポットサン」も、そんな当時のイメージ通りの「ゲーセン然としたゲーセン」でした。暗い照明で窓はなく、タバコで煙った空気、小田原駅周辺の高校から集まった品行方正とは言いがたい学生達、そして脱衣麻雀コーナーの存在と、とても入りやすいとは言いがたいゲームセンターでしたが、当時小学生で怖いもの知らずだった我々は、その怪しい雰囲気と無数のアーケードゲームに誘われ、度々足を運ぶようになりました。
先のエントリーでも書いた忠実屋のゲームコーナーなど、スーパーマーケット内のゲームコーナーにはたびたび遊びにいくことはありましたが、それだけでは飽き足らなくなった我々は、電車に乗って、当時もっともゲームセンターやおもちゃ屋などの「刺激的な」遊び場が密集していた小田原駅まで移動し、数々のゲームセンターめぐりをするという遊びを覚え、それが当時の我々にとっての最も贅沢な遊びでした。
スーパーマーケット内のゲームコーナーと言えば、やはり子供が入る場所ということで、子供向けのメダルゲームやエレメカが併設されているところが大半だったのに対し、このゲームセンターは純然たる「ゲーマーのためのゲーセン」であり、アップライト筐体、テーブル筐体がメインでした。
印象的だったのが、「ガントレット(1985)」の4人同時プレイできる純正筐体が1プレイ10円設定で店の外に置いてあり、基本的に連コイン前提のゲームとは言え、お金がない小学生でも楽しめることができたことを覚えています。
メーカー直営店ではなかったためか、いろいろなメーカーのゲームが置いてあり、アイレムの「R-TYPE(1987)」、カプコンの「大魔界村(1988)」などの、上級者、スコアラー向けのゲームが人気で稼働していました。基板交換型の筐体だけでなく、上記の「ガントレット」や、初代「ストリートファイター(1987)」の圧力センサー(2ボタン)筐体も置いてあったと記憶しています。R-TYPEについては、突然知らない人に「君このゲーム遊んでいいよ」と言われてゲームをプレイさせてもらうと、4面の中盤からスタートし、手も足も出ないまま終わってしまった思い出があります。
また、脱衣麻雀のコーナーが明確に設けられており、当時小学生でまじまじと凝視するわけにもいかなかったので(笑)きちんとタイトルは覚えていませんが、かの有名な「麻雀学園」がこの当時にリリースされているようですので、ニチブツやDYNAXなど、いくつかのメーカーで賑わっていたようです。
「ストリートファイターII(1990)」に端を発する格闘ゲームのブームにより、このゲームセンターでも多くの台数が導入されましたが、現在では当たり前になっている、1枚の基板を2台のモニターに映して2人で遊ぶ「対面スタイル」をいち早く導入しており、ストIIを対CPUではなく対人で遊ぶ楽しさを知ったのはこの店が初めてだったと思います。(ストIIダッシュだったかもしれませんが)
少なからず素行の悪い人が集まる店、というイメージは実際にも本当だったようで、私や友人もここで悪い人につかまりトラブルに巻き込まれたことがあるのも今となっては印象的な思い出です。
「スーパーストリートファイターII(1993)」が稼働していたような記憶があるため、その当時までは営業していたかと思うのですが、ゲームスポットサンは、予告もなく突然に閉店してしまい(頻繁に通っていたわけではないので不明ですが、閉店数カ月前は普通に営業していたはずです)、次に訪れた際には跡地にはカラオケボックスができていました。
というのも、その当時は格闘ゲームブームと同時に空前のカラオケブームでもあり、似たようなロケーションビジネスということで競合していたのかもしれません。客入りは常によく、営業不振だったわけではなかったと思うのですが、時間と面積単価ではカラオケボックスの方が高かったと推測されましたので、商売替えしたか、あるいはテナントを売却したのでしょう。(その後、カラオケボックスもチェーン店が主流となり、現在ではそのカラオケボックスも閉店しています)
格闘ゲームのブームや、クレーンゲーム(UFOキャッチャー)のブームによって、ゲームセンターが市民権を得始めた頃だったこともあり、明るい雰囲気で入りやすいゲームセンターが増えてきた中では、最後の「昭和のゲーセン」という風情のゲームセンターでしたので、この電撃的な閉店は、時代の移り変わりを象徴する事件だったと思います。
【その他、よく遊んだ(見かけた)ゲーム】
・ギャプラス(1984)
・オペレーションサンダーボルト(1988)
・ワンダーボーイIII モンスター・レアー(1988)
・ゴールデンアックス(1989)
・ポンピングワールド(1989)