ある青年の悪夢
苦しい。
息ができないまま、必死で足を運ぶ。
疲れ切った脚と酸素の減っていく血液のせいで、体は全然前に進まない。
視界はぼやけてくすみ、まるで80年代のセルアニメを見ているかのようだ。
否、本当は息を吸うことはできる。しかし、今息を吸えば…数秒前に急速に流れ込んできたあの枯葉色の気体を吸い込むことになる。命がないのは明白だし、想像するのすら憚られる苦痛の後に死ぬことになる。
脳の酸素が尽き、意識が暗転し始める。こんなことなら、肺活量をもっと鍛えていれば、もう少し足掻けたのかもしれない。
息を止めた顔面にだけ力の入ったまま、私は意識を手放すはずだった。
刹那、重力が反転するかのように、不明な原理で強く目覚める。意識が覚醒する。
眼の前にあるのは、よく知る天井だ。
即ち、私は悪夢にうなされていたに過ぎない。気体状の苦痛も、戦争の物資不足も、全てはまるで価値のない幻想に過ぎなかった。
近頃私はこのような悪夢ばかり見る、決まって戦争中で、物資は不足し、民間人の虐殺の場面にいる。
私は決まって虐殺される側で、方法は様々だがいずれも苦痛を伴う。私はそれから逃れるべく単独行動で足掻くが、決まって実を結ぶことはなく、死と苦痛の直前で目を覚ます。
まるで休まらないのは、きっと気のせいではない。私が洋画の主人公で戦場帰りなら、洗面所で薬瓶を取り出し、頭を掻きむしりながら錠剤の向精神薬を噛み砕く場面だろう。
しかし私は2024年を生きる日本の民間人で、向精神薬は…使ったことはあるが今手元にはない。
疲労と恐怖に呑まれぬよう、重い体を動かして、救いを求める。イヤホンを起動し、やたらとうるさいアナウンスが私に非接触性の痛みを与える。
一時しのぎで、幻想で、現実に強く繋ぎ止められた人々にとっては、気持ち悪い趣味と思われるかもしれない。
私にとっては…狂気から知性を繋ぎ止める為の、柔らかくも丈夫で暖かな命綱。
誰の声が、私の精神を繋ぎ止めうるだろうか。
恐れを上書きするかのように、私は今日も音が彩る甘美な暗闇へと飛び込んだ。
※この小説は事実を元に脚色したフィクションです。