羅列(大喜利について…)
===記録ここから===
大喜利について備忘のためもあるけどどうしても書かなきゃ…と思った内容があって、でも何回note開いてもろくに筆が進まないからかなり断念しかけてTwitter(=X)に放流しようかとも思ったけど、それはそれで長すぎる内容だったのでどうにか書きます。
箇条書きかつ推敲は極力しません。
分かってると思うけど今の自分にとっての話であって、みんなこうすればいいのにという話ではありません。
ないんだけど、考えてること言う機会ほぼないから何考えてるかわかんないだろうし、それがもし誰かにとってのヒントになるなら………いいかもねと思って書きます。
今の理想の話なので自分でできてないこともあります。あと全体的に重苦しかったので、chatGPTに頼んでトイレを限界まで我慢している口調にしてもらいました。やってみたら面白かったけど読みづらかったのでやめました
・自分にとって勝敗は遊びの延長であって、程よい緊張感を生むし楽しいけどそれ以上の意味は薄くあるべき(意識すると悪く運ぶタイプだし、参加機会も限られるため)
・戦略についても同様。色んなことができるようになりたいとよく思うけど、実際お題の前だと、それによって自分が面白いと思うもの探しが制限されることが多い。
素直に自分の中から出てくるユニークな発想だったり、その時の気分に沿った回答をぶつける方がやってて楽しい。
・フィジカルも勝つための手段ではなくて、頭の中の面白さをそのまま出そうとしてそうなるだけ
・優勝に意味はあるけどステータスではない
(人の評価についても「おもしろい人」ではなく「おもしろい回答の打率が高い人」という風に考えたいと思っている。そうありたいという願望もかなり入っているけど)
・そもそも何のために大喜利をやっている?→何回思い返しても面白い回答を出したい、印象に残りたい、経験したことのない面白さに触れたい
・なので勝ち負けは二の次(ただ負けると落ち込むし、何もできないと悔しい。タッグやチーム戦ならなおさら。勝ち進むことでもっとお題できるし……)(この前はじめて個人戦優勝できてちょっとだけ泣いたけど、それまでの期間が長かったからということにしてください)
・じゃあなぜ勝ち負けのつく大会に出るのか?→自分や他人にとって分かりやすい指標が欲しい、大人数が集まりやすい(大勢の前でウケたい)、高揚感を得たい、定評が欲しい(ステータスとして扱いたくないと思ってはいるんだけど、実際評価としては分かりやすいよな……………………………………………………)
・なのでとにかくリラックスして脱力して、お題に対してやりたいことをやる。結果ではなく、自分の面白いと思うことができたかどうかを重視する方がいい。負けても、自分がやりたいことできてウケればOK!場も盛り上がってなおよし!
・ただ、自分は何がやりたいか、他の人が何をしているかは普段から考えたり意識しておく。なぜその回答が面白いのか、どんなとっかかりで出てきた
ものかは考えて損はないと思う。でもいつも3試合くらい見て集中力切れてるかも
・結果より内容を重視したいという話の後にするのはおかしいかもしれないけど、自分の結果逆引きにいま載ってる10個の成績のうち7つは今年のもので、おおむねこのnoteに書いたみたいなことを考えている時期と一致すると思う。
(この考え方は決して、決して結果を出すためのものではないはずなんだけど、)そう考えると楽しんでやることはあながち間違いでもないのかもしれない……と考えられることも勝敗をつける意味のわかりやすい一つかもなと思う。
・より具体的に、会に参加する当日はこんなことを考えているよみたいな話も書くべきか書かざるべきか迷ったけど、趣旨に反するのでやめましてあ;ぁsd;d;あdfじゃ;えw;えwwふぁええ;あ;:えlfkじゃ;えl:かああlfjかfljぁえ
===記録ここまで===
【研究員記録】
猿にタイプライターを叩かせ、偶発的に既知の文字列を出力する可能性はゼロではない。
そのためより十分な時間を与えれば、猿がシェイクスピアの作品を書き上げる可能性も同様にゼロではない……という、いわゆる無限の猿定理と呼ばれる思考実験が存在するが、当該定理の根拠について確認するため今回の検証を行った。
猿とキーボードのみを小部屋に設置し経過を観察したところ、猿はタイプライターに興味を示し断続的に打鍵を行った。上記の記録はその際に得られた文字列である。
結果、4時間でおよそ1,500字程度の文字列が得られたものの、ほとんどが意味を持たない文字の羅列であったため初回の検証を中止した。
備考:末尾の文字列「書くべきか書かざるべきか」の箇所に関しては『ロミオとジュリエット』劇中の台詞「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」との類似性が見られなくもないが、読者の持つ前提知識が、文字列の反復の中に日本語の文章を見出させるだけの域を出ないと考えられる。