呼び愛 誘い愛
みなさん、呼び水って知ってますか?
よびみず【呼び水】
[名]
(1)ポンプの水が出ないとき、水を導くために上から水をそそぎ込むこと。また、その水。誘い水。
(2)ある物事を引き出すきっかけとなる事柄。誘い水。
他にも、フライパンに薄く油を敷くことでそれが呼び油になり、お肉からたーっぷり油が出てきたりしますよね。
今日は、愛っていうエネルギーが他者にどんな影響を及ぼすのか、について少しお話したいと思います。
多分、勘違いされてる方もいると思うんですが、人は、他者からの愛で満たされるようにはできていません。
例えば、お誕生日にパートナーから、心のこもったプレゼントをもらった時、心が満たされた、という場合。
ここで、パートナーからの愛によって満たされた、と勘違いしてる人がいると思うのですよ。
これは実際には、パートナーから愛のシグナルを受け取った瞬間、自分の心の奥底から、パートナーへの愛や感謝、ポジティブな感情がわき上がってきて起こることなんです。
つまり、心の奥底からわき上がる、自分自身が生み出した愛によって、満たされているわけなんです。
これが、呼び水ならぬ、呼び愛、というわけです。
さて、愛のシグナル、ってなんでしょうか。
相手が、自分のことを思ってくれているような仕草だったり、言葉だったり、いろいろあるとは思うのですが。
ここで重要なのは、人間というのは、欲しいと思う愛のシグナルしか見ないし、受け取らない、ということです。
例えば、一人の女性が、二人の男性に思いを寄せられていたとして、二人の男性から同じようにアプローチされても、片方の男性からの花束は受け取るのに、もう片方の男性からのプレゼントは拒否したりします。
どちらも、愛のシグナルだというのに。
友人関係でも、親兄弟との関係でも同じです。
小学校五年生の子供が、
「ほかのクラスメイトはみんなスマホ持ってるのに、僕だけ持たせてもらえない。
今時スマホも持たせてくれないなんて、うちの両親なんて親とは呼べない! 毒親だ!」
なんて言い出したとしても、この両親の子供への愛情を疑う人はほとんどいないと思います。
でも、この小学校五年生の子供一人だけは、自分は親から愛されていないと確信しているのです。
愛って、意外に他者に伝わらないんですよね。
相手の求める形で渡してあげないと認識してもらえないし、そもそも嫌われていたら、こっちを見てもくれない。
受け手が若いほど、この傾向は強い気がします。
じゃあ、形にならない愛って、まったく役にたたないものなの? というと、そんなこともないです。
愛は、祈ることで、エネルギーとして相手の元に届きます。
人知れず祈っても、問題なく届きます。
その愛のエネルギーは、相手にとって一番都合のいいように使われます。
エネルギー不足の人には補う形で、巡りの悪い人なら巡りが良くなるように、深い癒しが必要ならば、癒しを呼び込むように作用します。
目には見えないエネルギーですから、身体的なものよりも、精神的な部分での支えになる事が多い印象です。
過酷な体験のさなかにある人に愛のエネルギーを送れば、わずかでもストレスを軽減する作用があります。
そんな愛の一番の効能は、相手の心の中に、その人自身の愛を呼び起こすことができる、という事です。
他者からの愛のエネルギーが、呼び水、呼び愛になるのです。
心の奥底から愛が染み出していくと、その存在に本人自身が気付いていなくとも、少しずつ心全体が暖まり、ストレスにも強くなります。
ただ、他者からの愛についての感受性って、人それぞれ違います。
感受性の高い人は、それこそ、あらゆるものから愛を受け取りますし、感受性の低い人は、頑ななまでにそれを浸透させません。
どっちがいい、どっちが悪い、という事ではありませんが、感受性の低い人は、若いか、心身ともに健康状態があまりよくない印象があります。
なんにしても、自分自身を深く癒し、満たしてくれるのは、自分の心の奥底からわき上がってくる愛なんです。
愛って、本当にそこらじゅうに溢れています。
飼い犬と一緒に散歩している人が、ふと愛犬に話しかける一言にも。
古いお宅の玄関に設置された、真新しい手すりにも。
ガードレールの支柱の上にそっと置かれた、落とし物のキーホルダーにも。
あらゆる事から悪意を感じ取れるなら、あらゆるものから愛を感じ取ることもできるはずです。
自分宛の愛じゃなくてもいいんです。
呼び水、いえいえ呼び愛になればいいんですから。
世の中の、いろんな形の愛に気付けたら、そこから少しずつ変わっていくと思います。
どうか、皆さんの心の奥底から、たくさんの愛が湧いてきますように。