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彼女と猛暑とアイスティー


今日は猛暑になるらしいよ、と言うと、じゃあ散歩に行きましょうか、と彼女は言った。
食パンにバターを塗った簡単なトーストを朝食にして、歯を磨き、顔を洗い、清潔なシャツを着る。ちょっと迷ったが足元はチノパンにした。
彼女はノースリーブのワンピースに、たしか去年どこかの雑貨屋で一目惚れして買った大ぶりの麦わら帽子をどこからともなく出してきた。髪は簡単に結ってあって、なんだか夏という感じだった。
もう出られるものだと思って玄関でサンダルを履いてみたけれど、なかなか出てくる様子がない。キッチンで何やら音がして、しばらくしてから「お待たせ」と言って出てきた。


玄関を開けると、まだ9時を過ぎたばかりなのに暑さを予感させる日差しが降り注いでいた。
実は、今日はてっきりエアコンの効いた部屋で現代的に過ごすものだと思っていたので少しだけ怯みそうになる。だが、隣の女性はそんな素振りもなく「いい天気ね」と機嫌良く言うのでそうだね、と返して一歩踏み出した。


彼女はこうして時々、意外な提案をする。突拍子もない、というほどとんでもなくはないのだが、毎回なるほどそうくるか、と妙に感心させられてしまうのだ。そうして、感心した拍子につい、頷いてしまう。なんだか魔法のようだな、と思う。


外行く人々はみなマスクをしている。屋外だから外せばいいのに、熱中症になりますよ。と、他人事ながら心の中で声をかける。逆に彼らからすると、このご時世にマスクもしていない私たちはどううつるのだろうか、と思ったりもする。おまけに、ど平日の朝にいかにもな散歩ルックというおまけつきだ。
少し前に、厳密にロックダウンされたNYで人間の入れる風船越しにデートする恋人たちの動画を見た。とてもロマンティックに感じたし、まさかこんな“未来の恋人たち”の姿は誰も予想しなかったろうな、とも思った。事実は現実よりも奇なりとはまさにこのことだ。
もしも私たちが同じ状況下に置かれたら巨大バルーンで会いにきてくれるのは彼女の方のような気がした。


私がわざと半歩遅れて歩いているのを、彼女は気づいているだろうか。その横顔はどこまでも上機嫌だ。私たちに日常から散歩の習慣があるわけでもなければ、どこに行くか打ち合わせしたわけでもない。どこへ向かえばいいのか、どこへ向かっているのか皆目見当もつかない私はあたかも余裕を持ってゆったり歩いている様を装って、それとなく彼女についているのだ。


「もう昼間みたいな暑さね」
「そうだね」
「心なしか鳥も鳴いてないみたい」


言われてみればそうだった。ここは都内まで電車で1時間程度の閑静な住宅街だが、朝晩は
意外と鳥が鳴くのだ。それは季節によってヤマバトだったりカッコウだったりする。それが今日はとんと聞こえてこなかった。


「もうシーズンオフになったのかな」


特に頭を使わず思ったままを言うと、彼女は笑った。
そんな野球みたいに、との感想を得たためらしかった。


彼女は迷わぬ足取りでルンルンと歩いていく。駅へ向かっていくのでまさか電車にでも乗るのか、と身構えたが、そのまま駅構内を通過し、駅の反対口へと進んでいく。
線路を挟んで向こう側の地区は、駅前のスーパーがあり、コンビニやちょっとした飲食店があり、広い公園があった。なるほどもしかして、と思っているうちに信号を2つほど渡り、予想した通り公園へと辿り着いた。


木陰になっているベンチを指差して、あそこ。と言うので2人で歩いていって座った。
家を出て15分くらいしか歩いていないが、すでに汗をかいていた。ハンカチで額の汗を拭いながら、途中のコンビニで何か飲み物を買っておけば良かった。公園の入り口に自販機があったな、と思案していると、彼女が手提げから水筒を取り出して、はい。と差し出してきた。
下手すると12色鉛筆入れくらい小さくてコンパクトなそれは、最近になってよく見るタイプのやつだった。
たしか350mlとか、それくらいしか入らなかったと思うが、誰がこんな小さな水筒を買うのだろうと常々不思議に思っていたらここに居た。なるほどこういう女性が買うのか、と密かに感心する。
蓋を開けると茶色い液体が入っていた。遠慮してお上品な量を口に含むと、キンキンに冷えたアイスティーだった。鼻から抜ける華やかな香りに、少しだけ暑さを忘れる。


「ありがとう。いつのまにこんな用意を」
「夜のうちに水出ししておいたの」


そういうことか、と思う。


「本当は部屋で本でも読みながら一緒に飲もうかと思ってたんだけど、猛暑だって言うから」
「そこであえて外に出る選択肢をするところが君らしいなあ」


正直にもらせば、「今のうちに暑さを体験しておけば後で家に帰ったときの涼しさもひとしおでしょ」とのことだった。


なるほど。その発想はなかったなあ。


しばらく休憩して生まれたての暑さを身体に浴びてから、あっさり公園を出た。駅前のスーパーでちょっとした買い物をしていると、彼女が持っていた水筒と同じサイズのものが売られていた。今どきのスーパーはなんでも売られている。公園で飲んだよく冷えたアイスティーがあまりにも美味しかったので、買おうかな。と彼女に言ったら「また一緒に飲めばいいから」と言ってくれたので、なんだか嬉しくなって買うのをやめた。
日用品と桃を買って、スーパーを出る。
ますます暑くなっている気がした。
今日はこれからどんどん暑くなるのだろう。
まるで猛暑の体験入学みたいな散歩だなあ、と思いながら帰路についた。

正午過ぎて、涼しい部屋で食べる桃と水出しアイスティーはこれまた格別だった。


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