豪雪カフェとバケカレー
あたり一面雪景色だ。
昨日は晴れていたのに今日は朝から吹雪だった。
山の天気は変わりやすいとはよく言ったものだが、それにしてもこの辺の天候は不規則だ。
ちなみに一昨日の早朝はオーロラが出ていたらしい。
見逃した。
道路標示も植込みも真っ白に塗りつぶされた足元をゆっくりゆっくり踏みしめる。
とつぜんの寒さに生存本能が働いたのか、猛烈に腹がへった。
しかし、あたり一面シャッターが降りている。
ふと見た店先の貼り紙には『本年分のレモネードは終売しました』と書いてある。
“本年"がはじまってまだ3週間と少ししか経っていないが、それで良いのだろうか。
さらに歩いていくとますます雪が激しくなってきた。
と、人の気配がする。
気配のするほうへ目を向けると、店先の雪かきをしている男性と目が合った。
のれんには『cafe』と書いてある。
入店をせっつくようにして鳴る腹に素直に従って入り口へ向かう。
男性は歩を進める私の様子をじっと見ていたが、店へ入る気だということが分かるや否や勝手口へいそいそと消えていった。
軒先で入念に雪を払う。
傘地蔵のように雪が積もった帽子、洒落っ気のあるカフェのフォンダンショコラのようになった上着を、本来の黒地が見えるまでしっかりと払った。
店に入ると「いらっしゃいませ」と声がした。
カウンターには先ほど見かけた男性が何事もなかったかのように立っている。澄ました顔をしているが息はしっかり切れていた。
手作り感あふれるメニューとしばらくにらめっこをする。豪雪の中不安定な足元を歩いてきたせいか頭がぼんやりとして目がかすむ。それだけ疲れたのだろう。
店内にはメニューをめくる紙擦れの音だけが響く。
雪かきの男性、もとい店主は何やら戸棚をごそごそといじっていた。
在庫の確認でもしているのだろうか。
作業中の背中に「すみません、」と声をかける。こじんまりとした静かな店内では声量を出さずとも声が届く。背を向けたまま「はーい」と返事する店主の背中を見守るがなかなか動かない。ようやくこちらに来た、と思ったら店内にBGMが流れ始めた。
なるほど。そういえばこの店、BGMがかかっていなかったのだ。
この天気だ。客がくるとも思っていなかったのだろうな、と思う。
メニューの中から"カレーライス"を注文した。やはり寒い日はカレーライスに限る。しばらく待つと、白い皿に乗った上品な量のカレーライスが出てきた。
全体的にやや赤っぽい。食べるとトマトの甘みと酸味がしっかりと伝わって、次から次へと口に運んでしまう。気づけばぺろりとたいらげていた。
食後の余韻に浸りながらじんわり温まった身体でくつろいでいると、店主が水を注ぎに来てくれた。
「カレーライス、おいしかったです。」
感想を言うと「ありがとうございます」と返事がかえってきた。
「隠し味にはンポヮカカを使用しています」
ん?と思って聞き返す。
「隠し味にはンポヮカカを使用しています」
私がポカンとしていると、「普段は口外しませんが、この雪の中ご来店いただいたサービスです」と言われた。『サービスです』と言われても、“ンポヮカカ”とはなんなのだろう。まったく検討がつかない。検討がつかないので、自宅で再現もできそうになかった。
水を飲みながらぼんやり窓の外を見ている。15分ほど経っただろうか。店主が切羽詰まった様子でやってきた。
手には会計伝票とトレイを持っている。
「すみません、お代はこちらに置いていていただければ結構ですので。私は少々雪かきへ行ってきます」
そう、言うや否やこちらの返事も待たずに店の飛び出していった。
確かに私が来店した時は雪かきの途中だったのだ。雪は今もこんこんと降り続けている。積もりきる前にやってしまった方が良い。
それにしても、いくら人間の旅行者が少なくなっているとはいえ、たった1人で店を切り盛りするのは大変だろう。置いといてください、なんて言ったって私が踏み倒して退店したらどうするのだろう。と、リアリティのない“もしも”を想像して少しだけ心配になった。きっとこの街は平和なのだろう。
主がいないのをいいことに、店の中をぐるりと一周眺めてみる。店の端、ちょうど窓に対面するような席に座ったため、店内の様子をきちんと見るのはこの時が初めてだった。
カウンター席がある、と思っていたがよく見ると寿司屋のような風貌をしている。
通常の寿司屋で魚介が入っているガラスケースにはケーキが入っていて、そのミスマッチな様子がなんとも言えない雰囲気を醸し出していた。
寿司屋のような喫茶店。カレーの隠し味にはンポヮカカ。
店主は雪かきで不在。
なんだかこの吹雪の中、別世界の店に迷い込んでしまったような気分だった。
雪はまだまだ止みそうもない。
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