美少女と名曲喫茶
好きな人間と好きな場所へ行き、好きなことをする。
……と、いうのは人生の中でも大変に贅沢なひととき(あるいはいちにち)である。
先日、都内にある有名な老舗喫茶へ行った。
そこは立体音響装置による上質なクラシックが聴けるお店で、“大声厳禁”という、大変厳粛な喫茶店であった。
その上、店内は”写真撮影禁止”であるため、インターネットの口コミサイトなどで店内の様子を伺い知ることもできない。
かれこれ十数年前に存在を知り、行ってみたいと思いながらもなんだか敷居が高くて一人では行けなかった喫茶店だ。インターネット黎明期を思わせる風流な公式ホームページを何度か彷徨いては、実際の店舗に行ってみたいなと思いながらもそっとブラウザを閉じていた。
そんな喫茶店へ行かないか、と、彼女を誘ってみる。
口コミサイトでは「店内はお一人様しかいませんでした」「お喋りできないので人と行くのはやめたほうがいいです」「贅沢な時間を一人で楽しめる最高の喫茶店」……などのレビューが軒並み並んでおり、当然、通常であれば”彼女”と行くような場所ではないだろう。
しかし、行きたいのである。
……と、いうわけで店の趣旨をしっかりと説明し、例の風流なホームページのURLを共有し、了承を得て当日の外出プランに盛り込んだ。念のため説明するとそもそもその日は互いに多忙で、1日のうちのどこかで腰を落ち着けて各々作業をする、という主旨があったのだ。(”100%パワー”で頷いてもらった訳ではないので全国の”デート”を大事にする会の皆さんにはご安心いただきたい。)
当日。
ハロウィンには行き過ぎたお祭り騒ぎが起こるような街の中心から5分ほどの少々猥雑な裏通りにある『創業から約90年』という歴史深いお店は、その重厚な外観から大いに異質を放っていた。
思い切って店内に入る。
中はほとんど薄暗く、小さな蛍光灯のようなものがところどころの席にあるのみ。
そうして驚くほど静かで、しかし、爆音のクラシックが体いっぱいに鳴り響く空間。
店内は確かに、一人客がほとんどだ。
おお。
素直に、そして純粋に、圧倒される。
物腰柔らかな店員が、文字通りヒソヒソ話ほどに絞ったトーンで話しかけてくる。
「1Fと2F、どちらになさいますか?」
しばし考える。いつもの通りであれば店内を見物して席を決めるところだが、ここではそうもいかなかった。あまりやりとりを増やしたり、無闇に店内を歩き回ったりするのもこの心地よい空間の妨げになってしまうような気がして憚られたのだ。
店内を一瞥すると、隅っこの席の空いているのに気がついた。
指で指し示し、案内してもらう。
1人掛けのソファとも椅子とも言えるビロード張りの座具に腰掛けると、思った以上に体が沈んで驚いた。
古風な紙製のメニューを置いて、店員が一度立ち去る。
『素敵なお店ですね』
小さな声で感想を伝えると、彼女はにこりと微笑んだ。
外はほどほどに暑かったので、アイスミルクコーヒーを注文する。
シロップの有無を聞かれたが、少し甘味が欲しかったのでそのまま入れてもらうことにした。
(食べ物は”アイスクリームのみ”という硬派ぶりなのである)
少し経ってテーブルに運ばれてきたのは、厚みのあるガラスに彫刻のされたグラスだった。
下から順にミルク、コーヒー、シロップが層を成しており、氷がたっぷりと入っている。
シロップのまろやかな甘みが十分で、ミルクに包まれたコーヒーが優しい風味だけを演出している。
とても美味しい。
ミルクコーヒーを味わいながら、体に響くクラシックを堪能する。
確かに、贅沢なひとり時間が過ごせる喫茶店だ。
ずっと来てみたかった店に来られた達成感。
想像以上に素敵な店舗だった満足感。
日常生活では聴き得ない迫力の音量で奏でられるクラシックを浴びる充実感。
そして、それを気兼ねなく誘えるような人がパートナーだということ。
明らかに幸せな空間であり、贅沢なひとときだ。
と、さまざまな心地で胸をいっぱいにしながら彼女を見やると、気持ちよさそうに眠っていた。
こういうところが、とても好い。
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瀬戸際歩のデタラメマガジン
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