現場仕事の出張と昔の話

いよいよ出張の仕事が近くなってきたからか、
それで思い出した事がある。

僕は昔20歳の時に大学を休学して
日産の期間工(派遣)で働いていた時期があった。

その当時は大学には全く行かずに、反対方向の電車に乗って
雀荘に行っていた。


レートは点五の4人麻雀のフリー雀荘だ。
その雀荘は駅の目の前でいつ行ってもすぐに打てた。

それにお金が無くても給料日払いのツケで
打たせてもらう事も出来たのでお金のない大学生時代は
完全に常連になっていた。


大学に入学してまともに通ったのは最初の3ヶ月くらいで、

高校を卒業出来た事による達成感で
勉強するつもりも無かったし、なりたい職業も無いしで

その時はもうアニメにハマってずっと見ていた。


そしてあるアニメにどハマりしてしまう。


      

        『咲ーSakiー』


麻雀をしている人なら知っていると思う。

かわいい女の子たちが特殊能力を使いながら
麻雀で戦うアニメだ。

麻雀のルールは咲で覚えたと言っても過言ではない。

その後はもう早かった。


『哲也』 『アカギ』


それはもうハマりにハマった。
毎日麻雀の事しか考えられなくなっていた。

そしてフリー雀荘に行きたくなった僕は友達を誘って
一緒にフリー雀荘デビューをした。


・・・が、結果は惨敗。


仲間内でのセット麻雀では僕は負けなしで
フリー雀荘でも通用すると思っていた。


結局、ボッコボコにされて二人とも1万円ずつ失って
その場を後にした。


当然、帰りの車の中で反省会が始まる。

あの時はあーするべきだったとか、
ルールについても全てが新鮮だった。


緊張していたがとても興奮したのを覚えている。


それからはもうバイトして雀荘に行って負けてを
繰り返して、そのうち負けなくなっていった。

そうやって約2年間雀荘に入り浸っていたある日、
親に大学を辞めたいと伝えた。


雀荘のメンバーをしてみたかったからだ。


これだけ雀荘に入り浸ってゲーム代を払うくらいなら、
従業員になってタダで麻雀を打ちたいと思った。


すると親は、


『勉強せずに大人になったらどうなるか勉強してこい』


と言ってきた。


そして、

  
  『期間工でとりあえず半年ほど働いてこい』


と言われ、そのままトントン拍子で面接を受けて
期間工の仕事に受かった。

僕が受けたのは日産のライン工だったが、
そこは寮生活で、二人一組で団地のような場所だった。

玄関が同じで、冷蔵庫とトイレが共用。
部屋は扉一枚で仕切られているだけ。

相部屋のおじさんは薬物中毒者で、
腕にロープを巻いて注射を打っていた。


  『シャブ食ったら3日は働ける』


それが口癖のおじさんだった。
(実際は普通にカレーとか食べていた)


初日は仕事も無く、寮の説明だけだった。

どうやら今回の面接で入ってきたのは約30名程。


でも、そこで僕は衝撃を受けた。


みんなとにかく本当とは思えない話ばかりする。


この時に『虚言癖』というものを知った。


自慢話や、これからの夢など今思えば
凄くヤバイ集団だったことは間違いない。


そして次の日の勤務が始まり、そこでも絶望した。


僕の仕事はラインから流れてくる車にひたすら
車体番号のシールをひたすら貼り続ける仕事だった。

歩いてしゃがんでシールを貼ってを8時間繰り返す。
軍手をつけないといけなかったので、シールを貼るのが
難しい・・・

埃やゴミが入ればやり直し・・・
何より空気が入ったらめちゃくちゃ怒られた。


なんとか1日を終えたが、帰る頃には足が震えて
まともに歩けない。

大袈裟でもなく、足を引き摺りながら歩いて帰った。

明日からこれが続くと思うと絶望だったが、
とりあえずやり切ってみようと思い
その日は風呂にも入らずに倒れるようにして寝た。



次の日、


なんと昨日いた期間工の仲間が『半分』になっていた。



昨日まで大口を叩いていた連中の半分がなんと
1日にして『飛んだ』のだ。


まあ無理もない。

気持ちは分かる。


・・・分かるが、大人が仕事をこんな簡単に飛ぶとは
思わなかった。


この時、世間の広さを知った。
世の中には信じられないことを言ったり、
信じられない事をする人がいる。

それもこんな身近に・・・



おかしいとは思った。
月給40万円でボーナスもあるのだから。

まあでも、給料がいいからきつい仕事だというのは
少し考えれば分かるので僕は続けようと思った。


体というのは慣れるもので、2週間もすれば僕は適応していた。


ただ、トライアルで800円で買った運動シューズは
この2週間で底が無くなった。


それがこの仕事のキツさを物語っている。


次からはちゃんとした靴を買おう・・・
そう思ったのを覚えている。


そうして1ヶ月経つ頃には初めにいたメンバーは
もはや4人程になっていた。
(相部屋のシャブ中おじさんはまだ健在)



相部屋のシャブ中おじさんは、冷蔵庫から
僕のビールを勝手に飲んでいた。

何度注意しても勝手に飲むので、
冷蔵庫に



  『勝手に飲んだら殺す』


という張り紙をした。

するとその日の晩にカレーを作ってくれた。

レトルトじゃなくて、ちゃんと作ってくれたやつだったし
美味しかったのでそこで和解したのも
今ではいい思い出だ。



そこからは期間の半年間、いろいろ考えさせられた。

そして逆に勉強したくなった僕は契約満期で辞めた後は
専門学校に行く事にした。

けどその話はまた別の日に書く。


ともかく、また現場仕事ということで
今回この期間工時代の話を思い出した。

あの経験があったおかげで人間的にも
本当に成長したと思う。

あの時、
期間工を薦めてくれた親には感謝しかない。

だから今回のこの出張でも人間的に何かの
成長につながればいいと思っている。



会社を作って給料未払いになって、
借金はどんどん増えていって


それでもこの人生は楽しかったと言えるように
この出張も頑張りたい。


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