代数幾何とスキームには、どちらも好きが隠れてる
最近向き合ってること、scheme
メロスにはスキームがわからぬ。メロスは、村の牧人である。笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。という、有名な一文にもある通り、私にもschemeがわかりません。
Qing LiuのAlgebraic Geometry and Arithmetic Curvesを真面目に読み始めたのが3年の初め頃、4年次で読んでいるLei FuのEtale Cohomology Theoryを含め、1年半近くschemeとは交流を続けているものの、一向に仲良くなれた気がしません。
何が分からないのでしょう。苦労しながらではあるものの、本は読めています。しかし、分かった気分というものが、どうにも得られないのです。分かった気分などというものに縋って数学をしているということ自体が、お門違いなのかもしれないですが。
現在、修士課程での師匠探しをしている最中です。面談はほぼ人生相談に等しくなってしまって、今後どのように勉強を進めていくべきか、そんなことを聞いたって仕方ないのに、聞き回っています。返ってくる言葉は、schemeは時間がかかるから、長い目でやって行くしかない、それが苦痛なら他のことでも研究はやっていけるよ、といったもの。
それはそう。なにか私は、簡単に勉強ができるようになる処方箋のようなものを、気づかぬうちに求めているのかもしれません。もう1年も勉強していると、そんなものはないのも分かっているし、とにかく時間をかけていないだけなのです。苦痛というほどではないのですが、単純に、やらなければいけないことが数学以外に多すぎること、また数学でも他のことに目移りしてしまうことがあげられます。
このように、言語化し難い、なんとも言いようがない悩みが、ふと頭の中を占拠することがあるのです。
分からないことを言語化する
schemeについて話していきましょう。まず、schemeはaffine schemeと呼ばれる、局所的なものの貼り合わせによって成り立っています。よって、schemeを知るにはaffine schemeを知る必要があり、それはほとんど環を知ることに等しいです。従って、環論的な部分で知識が足りてないということは往々にしてあります。私の場合はそこにあまり抵抗は感じていません。環は代数系に進むなら、どこでも必要になります。ゆえに、知識、具体例共に、人と相談しやすく、環は具体的なものという印象がかなりあります。
他の要素としては、schemeの話をaffine schemeの話に帰着させることがあります。この帰着は主に2つの場合が存在します。schemesの間の射に対して、両方localにできる場合と、baseのみlocalにできる場合です。例えば、flatやof finite typeなどは前者、closed immersionやseparableなどは後者です。この違いを意識し始めてから、少し証明の流れが読みやすくなりました。
このようなこと以上に、むしろ今ぶつかっているのは、(自分の中で)ちょうどよい具体例があまり浮かばないという問題です。複素多様体、特にリーマン面などを参考にイメージを考えていくという感覚が私にはあまり分かりません。多様体への類似を考えても、それが類似でしかないことに加え、私は幾何学にあまり明るくないので、正確な推測ができているのかとても不安になってしまうことがあります。ある程度、抽象化したまま議論を進めていく練習としてschemeをやっているという側面がある以上、そこは割り切ってやるしかないのでしょう。
総じて、好きになれるときはくるのか?
なにはともあれ、やるしかないのです。どの分野に進むにしても、自分の想像通りだなんていうことは決してないでしょう。ゆえに、なにかの縁で関わったことだ、と割り切って、一生をかけるとは言わずとも、あと2年くらいの月日は共にすごしてもよいのではないでしょうか。最後に、ふと思い出した、私の高校三年生のときのメモを、ここに残して終わりにします。
・勉強は信じること(2020/9/5)
世の中に沢山の勉強のやり方がある。学校、塾、youtubeや参考書。それの中から自分で信じるものを選ばねばならない。自分に合う合わないなどもあるため、中々これが絶対に正しい!と断言できるものはない。ここは自分で試行錯誤するしかない所なのだ。この試行錯誤は3年までには終わらせて、受験期はひたすら信じるしかない(勿論あまりにも成績が上がらない場合は再検討も必要だが)。