「数学をするってなんなの?」
1.はじめに
記事を全く書かないでいるうちに、いつの間にか大学2年も終わりを迎えていました。大学生活は思ったより忙しい。勉強だけしていればよかった高校時代は、どれほど精神的に楽だったかを思い知らされる日々です。
今は成人式のために一時帰省中です。せっかくなのでちゃんと休もうと思い、授業を数回サボって、約3週間弱のバイトも授業もない休みをゲットしました。やったね!!長い休暇を活用して(同窓会シーズンを活用して)、たくさんの人と話しました。東京での生活の話や、昔の思い出の振り返り、全然上手くいっていない恋愛などなど、幸い話題に困ることはなかったです。
しかし、その中でも返答に困ってしまうものもあり、それが数学です。「カフェで数学をするって、よく言ってるけど、数学をするってそもそもなんなの?」「大学数学って高校数学と全然違うって聞くけど、どう違うの?」や、「素数とかの勉強をしてるの?」などなど。2年の秋からは数学科に内定していて、話すコミュニティも数学をある程度知っている、普段から数学をする人ばかりだったので、こういう会話にはならないものです。たしかに、言われてみれば自分は何をしているのだろうか、また数学をあまり知らない人には、どう説明したらいいものか悩みました。ということで久々にnoteを開き記事にしてみることで、考え直して見ようと思ったのです。
2."数学をする"という謎の単語
高校における数学をするとはなんだっただろうか。一般的には、試験問題を解けるようになるために、たくさん問題を解いて対策するという意味が強いだろう。もちろん大学でも試験勉強のために、演習問題や過去問を解いてることもある。しかし、そんなことを聞きたい訳ではないだろう。数学をするってなに?という疑問は、なぜかオシャレなカフェを探して、そこで数学をすると言っているのだから、なにか上記のものとは違うことを含意している感じがするのだと、訴えていると僕は解釈した。その問いの答えはYesであり、問題を解く以外のことを意味して使っていることが多い(問題を解くときは、今日は演習解くぞー!と言う)。
じゃあ何をしているのかと言われると、大まかに分けて僕は二つのことをしていることが多い。まず一つ目は数学書(教科書)を読むことだ。つまり感覚的にはほとんどカフェで本を読むと言っているのに近い。違うことといえば、理解が止まった時に、一旦色々ノートに書きながら考えるという行為が挟まることだろうか。そうはいえども、前に小説を読んでいて、わからないところがあったときに、手が写経(とりあえず書き写すことで、読むスピードを強制的に遅らせ、理解を試みること)を始めてしまうこともあったし、ちゃんと本を読もうとすると書き込みをしながら読む人もいるのだから、そんなに変なことでもないと思う。
それに対して高校での教科書を読むとはかなり違う。高校での数学では色好みはできただろうか。今日は三角関数の加法定理についての理解を深めたいな〜とか、好みを感じて取り組むことは稀じゃないか?(数学がとっても好きな人、得意な人はむしろそれができるから、高校数学でもとんでもなく深めている)。自分の中で知りたい概念や、解決したい疑問がたくさん湧いてきたら、指定教科書だけでは解決できないことも多く、もうそれは高校数学の域を超えていて、数学をすると言う状態になっているだろう。つまり、数学書を読むというのは、自分の中で湧いた疑問の解決策を探す行為、もしくは疑問が湧いてくるような概念の提供を求めている行為である。これは僕の中での文学像にかなり近いものがある。
では二つ目はなんなのか、自分の中の数学を創ることである。それは手に入れた概念と知識を用いて、自分で再構成していくことである。これは数学をするというときに目指している行為だが、とても難しい。その達成のためによく行われているものは、ゼミで発表をするということである。教授と行うゼミもあれば、学内の友人と行う自主ゼミというものもある。"数学の論理は有機的につながっていて,定義でも,仮定でも,補題の順番でも,何か理由があってそうなっているんですから,全体の構造を理解していれば,正しく再現できるようになります." これは僕の大学の教授、河東泰之氏の セミナーの準備のしかたについて からの引用である。自分の中の種々のものを有機的につなげることができたなら、理解できたと支配感に浸れることも多い。しかし、それには湧き上がる疑問を全て潰す必要がある。そのために、数学書を読んでは、考えて、読んでは、考えて、のループが必要不可欠で、たまにその一つの分岐した枝が葉に到達して、花が咲いたような快感を得ることができる。僕の中での数学をするという意味合いはこんなところだろう。
3.だから具体的には何をしてるんだよ
話が抽象的で、結局何をしてるんだよと、流石に自分でも思ったので、ここではもう少し具体的に分野を紹介して、二年間で僕は何をしていたのかについてと、今後の展望について書いていく。
1年前期(1S)
入学と同時に雪江明彦 代数学1, 2(通称赤雪江, 青雪江)を購入した。しかし1Sは必修や友達作りが忙しすぎて、数学をするということはできていなかった。面白いと思ったのは微分積分学の授業で、実数の連続性に関する四つの主張(Dedekind切断, 上限の存在, 有界単調数列の収束, 区間縮小法の原理)が全て同値だという話を聞いて、家で一人で再現していたのは覚えている。この辺は位相を学んだらもう一回戻ってこようと思っていたが、まだ戻ってこれていない、悲しい(泣)
また、期末テストの勉強が嫌すぎて赤雪江(群論の本)を進めていた(準同型定理くらい)。同値関係とwell-definedという概念を手に入れて少し嬉しかった。一度大きい対象をとりあえず取ってきて、同値関係で割ることによって、自分が欲しかったものが得られる。しかも準同型定理によって、写像のwell-definedがもうすでに確かめられているものも多く、たくさんのものが作れるようになったと感じた。
夏休み
期末テストも明けて、気合いを入れて数学を進めようと思った。早く青雪江(環論とGalois理論)に入りたくてSylowの定理までざっと読んで一旦終了した。今思えば、群論らしいところはここからだっただろうに、環論の魅力に取り憑かれて戻ってこれていない。8月は福島に帰り、ずっと青雪江を読んでいた、テンソル積の手前までだったと思う。ここで少し群論と環論について書いてみる。
定義は自分で調べていただくとして、一読してよく思うのは、環論は演算が一つ増えてるから群より難しそうとかだろうか。自分も群環体と難しくなっていくと思っていたし。しかし案外そんなことはないのだ。まず僕が環論から帰ってこれなくなったのには一つわけがある。それは環論ではなく可換環論だったからだ。可換とは何か、それは演算に対して交換法則が成り立つということだ。交換法則が成り立たないものとしては行列の積をイメージしてもらえばいい。そんなに変わるの?と思うかもしれないが、これが結構めんどくささに関わってくるのだ…。
例えば先に挙げた準同型定理が初学者を悩ませるのは、一般に非可換な群を考えると自然と出てくる正規部分群だ。非可換なせいで、商集合に演算を入れるのに少し工夫が必要なのである。しかし可換環ならイデアルを導入してすぐに商と準同型定理を導入することができる。なんなら可換環上の加群でやってしまうのが一番楽なのだが、ここでは省略。
そんなこんなで、概念の導入がグッと楽になったし、局所化やテンソルなど、様々な新しいものが出てきて、とても楽しかった。また、Euclid環や単項イデアル整域、一意分解環など、整数のある性質に注目した概念も登場し、自分で具体例を作って遊ぶのも楽しかった。
9月に入ってからは、線形代数の予習と集合位相の勉強をしていた。線形代数は教授が悪名高かったので、過去の受講者が作成した板書がもうすでに用意されており、それを読み進めた。行列式の導入あたりが良かったが、主に応用ばかりだし、解析寄りすぎてあまり興味が湧かなかった。集合位相は松坂をよくわからずに写経していたので、そこまで身になっていないが、チコノフの前くらいまで進めた。
1年後期(1A)
1Aはたくさん数学に触れようと思い、友達と関数解析のゼミを履修した。ヒルベルト空間と量子力学という本を用いて、関数解析のさわりのような分野を行った。自分で資料を用意して発表するゼミというものの雰囲気は、この授業で学ぶことができた。教授に指摘を入れられつつ、緊張しながらだったが、とても楽しかった。ゼミではルベーグ積分の知識を仮定しないで行ったことに加え、自分にとっては興味が向く分野ではなく、それ以降触れてないので、正直内容としてはあまり学びにはなっていない。
代数学の方はかなり進められた。青雪江のGalois理論までついに到達することができた。しかしそのときはあまり興奮は覚えず、可換環論の方のもやもやの方が大きかった。そこでAtiyah-MacDonald 可換代数入門を次は読み進めていくことにしたものの、思ったよりその壁は厚く、第二章加群までは読んだものの、演習問題が何をやらせたいのかがわからず、進むのをやめてしまった。では、そのもやもやはなんだったかというと、環論に触れていると度々出てくる普遍性というものだった。先に挙げたテンソル積を学ぶときに、テンソル積は構成がややこしいので、具体的な構成法は覚えておく必要はなく、テンソル積の普遍性を用いて議論を進めることが多い。むしろテンソル積とは普遍性によって定義されると言っても過言ではないような気もする。何を言っているのかわからないと思うので、ニュアンスのみ伝えることを頑張ってみたいと思う。例えば筆箱について考えてみよう。筆箱ってどんなものなの?と聞かれた時に、筆箱というのはね、材料は〇〇で、これくらいの大きさで、箱のような形がしているものだよ、と伝えるのは上記で言う作り方、構成法の説明に近い。察しが良い人にとっては、何かを入れるためなのだなと予想はできる、これは概念を与えられただけで、使い方まで予想できるみたいなものだ。しかし、上記のように定義されるのではなく、筆箱っていうのはね、鉛筆とか消しゴムとかを入れておくものだよと、説明されたらどうだろうか。道具というのは、それが何でできているかより、どう使うかを説明された方が、使う側にとっては便利である。使い方でそのものを特徴づける、一意に特徴づけることができる、それが普遍性の意味するところだと自分は認識している。
数学における普遍性は射の一意存在がよく出てきて、それらは圏論において整理されている概念であることが多い。だから、可換環論の加群の途中あたりで圏論に寄り道して、よくわからなくなるということは、わりとあることだと思う。かくいう自分も昔なんとなく地元の本屋で購入した、ベーシック圏論という本を見て勉強しようと思ったが、それも随伴あたりで力尽きてしまった。そして代数学で路頭に迷っていた僕は、加群論および線形代数学をやっぱりきちんとやるべきだと思い、Twitterで知り合った人と、線型代数の世界という本でゼミを行った。世界は2年後期の授業の指定教科書で、線型代数の教科書としてはとても面白いが難易度の高い本だった。ゼミ自体はあまり進まず消滅してしまったが、自分でもしばらく読み進めた。Jordan標準形がわからなかったが、この頃は行列のなんか技巧的な理論だからつまんないだろうなどと思っていた。一応、加群から始める代数系入門も購入したがあまり読まなかった。
春休み
免許を取るのに忙しくて、線型代数対話圏論的集合論を読んで、青雪江の復習を行ったくらいだった。
2年前期(2S)
選択の授業では、常微分方程式、ベクトル解析、微分積分続論を取った。またp進数についての授業も聞いていた。ベクトル解析の授業を聞いて多様体に興味を持った。松本多様体を軽く読んでから、友達と坪井幾何学1の自主ゼミを行った。リーマン球面のこともここで少し知り、位相の復習にもなってとても良かった。
Galois理論の理解をもっと深めたいと思い、永田可換体論を買った。意外にも実閉体の章が自分にはとても面白く感じた。代数学の基本定理をうまく抽象化して、見通しよく証明できていると思い、嬉しくなって記事に自らまとめ直した。
いまだに全てを読み通せている訳ではないが、気になったら適宜読み直すことで、楽しく使えている本だ。Neother環の準素分解や、付値の話もあるので、ちょうど興味を持っていた整数論の話にも少し役立った。
p進数の授業を取っていたことと、可換環論をかじったことで、上述の通り整数論にも興味を持った。もちろん代数的整数論である。ここでもやはり雪江を選んだ(通称緑雪江 or 雪江整数1)。しかし青雪江と比べて自分にはとても難しいと感じた。素数についての勉強という意味では、代数的整数論においては素イデアルという少し一般化したものを扱う。数を拡張していくと、既約元分解の一意性(素因数分解の一意性みたいなもの)が成り立たないものがたくさん出てくる。そこで、単項イデアルという枠組みを超えて、もう少し奥に分解することで一意性を復活させるところから代数的整数論は始まる。しかし、これがかなり手強い…。Noether環の重要性すらわかっていなかった自分にとっては、何をしているのかわからず、しかし素イデアル分解の一意性ってすごいなという憧れを抱き、2Sは終了した。たくさんの新しいものに触れたが、どれも深みにはいけなかったという感じ、しかし必要な時間だったと今は思う。
夏休み(二回目)
斎藤毅数学原論のGalois理論に感銘を受けた。とてもうまく纏まっていると思った。実用的な面を考えれば、正規かつ分離な拡大(これをGalois拡大という)ならば、中間体と部分群は一対一に対応する、という主張が使いやすいのはわかる。しかし、一対一対応を導くためのキーとなる部分がなんなのかと言われたら、やはり自己同型群の位数と、拡大次数の一致だろう。そこに焦点を当てて証明を書いてくれていたので、やりたいことがよくわかり、少し理解が深まった。また、素イデアル分解は厳しいけど、準素分解は面白いかも!と思っていたら、進められていなかったアティマク3章以降に載っていることが判明して、こちらも地道ながら進めることができた。そんなこんなで楽しい夏休みが始まるぞーとワクワクしていたらコロナにかかって8月は何もできなかった。残念。
9月になり、体調がだんだん元に戻っていき、数学科への内定も決まったことで、可換環論欲が再燃して、ネットに落ちていたpdfとアティマクを両手にどんどん進めた。テンソルやHom, 局所化の完全列への影響や、局所的な性質もどんどんまとまってきて、第9章のデデキント環(前述の素イデアル分解の存在と一意性が成り立つ環)まで進めることができて、現在履修している代数的整数論の授業に大いに役立った。
2年後期(2A)(現在)
2Aからは数学科としての授業が忙しかった。授業としては、線型代数続論、集合と位相、複素解析学、あとは潜りで代数的整数論といった感じだが、どれも内容が濃く大変だ。まず線型代数、これは中間テストまでは主にJordan標準形がメインだった。気になったことを元に色々調べていく過程で、加群から始める代数系入門はとても役に立った。Jordanの難しさは線型代数と言いつつも、本質的に1変数多項式環上の加群の理論を、表に出さないようにして行っているからなのかなと思った。むしろそういった側面を出してもらったほうが自然でわかりやすかった。体の性質を調べるのに、少し抽象度をあげて、一変数の体上の多項式環という単項イデアル整域の性質(単因子論!)を用いるのは、とてもうまく、面白い理論だと思った。中間後は双対空間や商空間、外積代数などを行った。やはり線型空間だから完全性まわりの性質がめちゃくちゃよくて、加群との違いに感動した(それはそう)。
集合と位相は舐めてた。舐めてたね…。1年の夏休みに松坂で学んだ時は、抽象論ばかりやっていたので、それほど苦を感じた記憶はなかった。しかし、位相空間論は色々なものに応用してこそだったのだろう。演習問題があまりに解けなさすぎて、ずっとわんわん泣いている。同相でないことを示す方法の一般論に興味を持って、今は坪井幾何学2を読んでいる。また、収束列を用いた位相の定め方はあまり適用範囲が広くないという話を聞いて、Moore-Smithを読んで考えている。どちらもまだうまく自分の中で整理できてはいない。せっかくの機会なので期末試験までに頑張っていきたいところである。
この記事を読んでいると薄々感じているかもしれない、解析の話が少なすぎないか…?と。まさしく自分は解析学にあまり触れていない。だからもちろん、複素解析学は1番苦手だ。少しづつCauchyの積分定理や、一致の定理も理解してきた気がする。留数定理はもう少し頑張らなければいけないと思っている。
最後に自主ゼミと代数的整数論について書く。自主ゼミは現在は可換環論と代数幾何の二つを行っている。後者は発表を聞いているだけだが、整数論ではない可換環論の応用先を知ることができて勉強になっている。整数論は授業を聞いて、デデキント環は慣れてきたが、まだ完備化あたりの話が追いつけてないと感じた。この三つの分野は相乗効果を生むので頑張っていきたい。
4.今後の展望
試験が終われば、待ちに待った春休み。可換環論の知識を深めつつ、代数的整数論をもっと深めていきたい。前者は数物セミナーで選んだ分野であり、松村を読む可能性も出ているため、全力で取り組もうと思う。特に先に挙げた完備化、あとはあまり触れてない多項式環の話、次元論をやりたいと思っている。整数論の方は環論に頼る部分だけではなく、整数論特有の主張をそろそろ示したい。今目標としているのは類数の有限性を示すことだ。noteで数学の記事を書くかどうかはわからないが、mathlog等も使いつつ、今後はアウトプットの機会をさらに増やしていきたい。