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裏梅花芳


1.はじめに

こんにちは。東京大学理科一類に進学予定の福島高校の卒業生です。梅花芳に載せたものは、ある程度尖ってないほうがいいだろうということで選んだものです。ここにはちょっと変わった内容、参考には全くならないだろうが、自分が書きたいことを書き残しておこうと思います。

2.天才フェチ、天才を目指す。

『こいつ、天才だ…!』とあなたが思うのはどんな人だろうか。やはり数学ができる人ではないだろうか。Google検索で’天才 人物’などと調べても、数学者の登場率は高い。天才が好きだった僕は、天才だ!と思えるような人と交流するには、自分も擬似天才にならねばならないと思い、天才を目指す物語が始まった。

・小学校時代

小学6年生の夏、当時11歳だった僕は、友達と喧嘩をしていた。そんな時、とある保育園時代の友達が附属中を受けるらしいという話を親伝えに聞いた。余談ではあるが、この保育園時代の友達は東京大学文科二類に合格をした、とある福高生である。附属中ってどんなところなの?と聞いたところ、母は火星人みたいな人がいっぱいいるところだよ、と教えてくれた。友達と喧嘩していた僕は、浅はかな考えではあるが、こんな奴らと同じ中学になんか行きたくない!という思いと、火星人か〜、どんな面白い人がいるのだろうという思いが合わさり、附属中受験を9月に決意した。

附属中受験は12月に行われ、多くの人が能開センターという塾に通う。9月に入塾はかなり遅い方で、小規模な小学校で少しテストの点数がよかった程度の僕は、正直附属中合格は中々厳しいものだった。塾内の模試も判定はいつもD、よくてCだった。小学生なので、あまり意味も分かっておらず、それほど危機感を抱いていなかったが、今思えば、高校、大学受験の時よりも判定が悪い。結果としては、この言葉は嫌いなのだが、僕は附属中に’逆転合格’をした。塾で仲のよかった友達にも、正直落ちると思ってたと言われた。そんなこんなで僕は火星人がいるらしい、附属中に行くことになった。

・中学校時代

結局火星人はいたの?なんといたのだ。同じクラスに。あの時の衝撃は忘れられない。あれは中学校が始まったばかりの数学の授業だった。累乗かなんかの授業をしていたのだろう、数学の先生が二乗したら負になる数って知ってる人いる?と問いかけた。その頃の僕は問いの意味すらあまり分かっていなかった。まだ二乗したら2になる数の存在すら知らないのだから当然である。そんな中、とある生徒が『i』と答えた。何でアルファベット?と思いとても混乱した。先生はその後虚数について喋っていた気がするが、よく分からなかった。今思えば、ただちょっと知識があるだけの中学生なのであるが、当時の僕にとっては、なんかよく分からないけど頭の良さそうなことを言っててかっこいい!と思ったのだ。数学できる人って天才って感じする!僕も数学頑張ってみようかな、そんな風に思った瞬間だった。

しかし、僕はあまり成績がよくなかった。その数学ができる子は中学最初の定期テストで学年のトップ5に入っていたのに対して、僕は140人中72位。担任には福島高校は今のままだと厳しいぞと最初の三者面談で言われた。そんな僕の成績低迷期に、能開センターで仲の良かったある友達が、一緒に勉強しようと誘ってくれた。中学受験の合格発表の時に落ちると思ってたと言った彼、ここではH君と呼ぶ、H君だった。H君は中学受験期から不真面目で有名だった、と同時になぜか成績が良いことも有名だった。H君と一緒に勉強をしてみた、それは僕の勉強観の大きな転換点となった。

H君との定期テスト勉強、それは主に喋りを主体とするものだった。書いて覚える暗記をやめろ、話して、問題を出し合って覚えるものだと言われた。勿論例外はあるが、書くのをやめたことで勉強効率がかなり上がった。暗記ものに時間をかけなくてよくなったおかげで、数学に当てる時間を増やせた。その結果、1年の後期中間テストでなんと学年9位をとることができた。これはとても驚いた。勉強法の工夫によって、こんなにも成績が変わるのか!と思った。

その後、余裕が持てるようになった僕は、中学1年時に中学数学の全範囲を、中学卒業時までに数Ⅲを含めた高校数学の全範囲を独学で終わらせて、高校に入学したのだ。そんな感じなので、最も東大合格に繋がったと思われることは、僕の場合、中学の時点にあるのである。

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