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画家にしかなれない人が画家になる

フランス語と英語しか話せないデサップとの間で通訳をしてくれたのは麻弥子夫人です。
名前からわかるようにマダム・デサップは日本人で、その縁でデサップは何度も日本に滞在しています。
実は、デサップは15歳のときに日本人女性の絵を描いています。夫人と出会って結婚したのは55歳のときですが、昔から何らかの縁があったのかもしれません。

▲デサップと麻弥子夫人

――アルルに住んでいたことがあるそうですね。やはりゴッホを意識したのですか?

デサップ:はい、私は若い頃、ゴッホを崇拝していました。そこで、ゴッホのようにアルルに移住することで新しい経験を積むことができると考えました。アルルに行ったのは、兵役を終えた22歳のときです。ゴッホがアルルに住んだのは、南フランスの強い光を求めてのことですが、私もアルルで新しい光を見つけました。しかし、お金がなかったので、水道も電気も通っていない小屋に住んで絵を描いていました。冬なので寒かったし、食べるものもなくてひもじかったです。当時は、今とは似ても似つかないくらい痩せていました。私を憐れんだ村人が、一袋のじゃがいもと大瓶のワインをくれたことを覚えています。まるでゴッホの時代のようでした。描いた絵を売って生活費を稼ぎたかったのですが、まだ自分のスタイルができていなくて、ゴッホの絵にそっくりだったので、ほとんど売れませんでした。

当時描いていた絵を特別に公開

▲「Les vignes rouges automne 1962 a Arles(秋の紅葉のブドウ畑)」油彩 12号
▲「Autoportrait Tarascon 1961(自画像)」油彩 15号

デサップ:アルルの風景を見ると、どうしてもゴッホのように描いてしまうのです。ゴッホが入院していた精神病院にも、当時すでに閉鎖され廃墟と化していましたが、こっそり忍び込んで一晩を過ごしてみました。当時の私には、ゴッホの魂が乗り移っていたと思います。しかし、あまりにもゴッホになりきって、自分がわからなくなってきたので、一年後にサントロペに移住しました。そこでようやくゴッホから解放されました(笑)

――サントロペも、新印象派のシニャックの絵などで有名な街ですね。

デサップ:サントロペも有名なリゾート地です。ここで、街中の風景を描いて、街の人相手に売ることで、だんだんと自分のスタイルが確立されてきました。一般の人に絵を売るときは、相手の好むように仕上げないといけないので、ゴッホのようにばかりは描けないのです。サントロペでは、中古の救急車を買ってキャンピングカーの代わりにして、ヨーロッパ中を回りました。私と同じ1938年生まれの車だったので、よく覚えています。
特に絵が売れたのは日曜日の教会の前です。礼拝に来る人々は、慈善を施したい気持ちになっているので、私の描いた教会の絵をよく買ってくれました。あるとき、次にどこに行くべきかを決めようとして、車の中で世界地図を広げてダーツを投げました。刺さった場所が、ニューヨークでした。もう一度やってみましたが、やはりニューヨークになりました。そこで、車を売ってニューヨーク行きの片道切符を買いました。所持金は全部で120ドルでした。

――以降、ニューヨークを拠点に活動されたのですよね。

デサップ:当時、アートの中心地はニューヨークでした。しかし、私はフランス生まれのフランス人で、英語がろくに話せなかったので最初は苦労しました。そのうちに、私の絵を買ってくれる画廊が見つかって、飢え死にせずにすみました。サントロペやベニスなど、ヨーロッパの風景を描いた絵の需要があったのです。値段は安かったのですが、生活はできました。しかし、私は観光ビザしか持っていなかったので、三カ月ごとにいったんアメリカを出て、再入国する必要がありました。たいていはメキシコやカナダといった隣国に行きましたが、ときどきヨーロッパにも帰りました。そのうちにアメリカの永住権(グリーンカード)をもらえて、結局、17年間も住むことになりました。最初はそんなに長く住むつもりはなかったので、意外でした。

▲「ニューヨーク、タイムズスクエア 1930」油彩 20号

――その後のご活躍は、みなさんご存じのとおりです。画家として生計を立てるのは難しいと聞いたのですが、あなたはなぜ成功できたのでしょうか?

デサップ:画家になれるかなれないかは、すぐにわかります。なぜなら、世の中には画家よりも簡単にお金を稼げる職業がたくさんあるので、本当に絵が好きでなければ、画家を続けられないからです。逆に言えば、画家を続けている人は、たいてい良い画家になります。私も、子供の頃から画家にしか興味がありませんでした。授業を聞かずに、教科書の挿絵を模写していたので、成績も悪かったです。素行も良くなくて、4、5回は退学と転校になっています。親はがっかりしていましたが、どの学校に行っても絵を描くことはやめませんでした。私は画家にしかなれなかったし、画家にしかなれない人が、画家になるのだろうと思います。

日本でも人気の高い、ギィ・デサップ。今後の活躍にも注目です。

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