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モネに先に描かれてしまった!?「睡蓮」を巡る逸話とは?

印象派の画家、モネが後半生を過ごしたのはフランス北部のジヴェルニーです。
42歳でジヴェルニーに居を構えてから、86歳で没するまで、モネはジヴェルニーに住み続け、晩年は庭の池に育てた睡蓮を描き続けました。
ジヴェルニーには、今もなお、観光地としてモネの家が残されています。
当時のままに手入れされた庭園の池には、モネが見たのと同じ睡蓮が浮かんでいます。
このジヴェルニーで、モネと同じく睡蓮の絵を描いた画家が、現代の印象派として名高い、ギィ・デサップです。
今回は、2017年に来日したデサップのインタビューをお届けします。

――あなたの絵は、現代の印象派と呼ばれていますが、ご自分ではどう思いますか?

デサップ:印象派は写真のようなリアリズムを追求するのではなく、自分の感じた印象をキャンバスに表現した芸術家の先駆です。ですから、印象派以降の芸術家は、私も含めて全員が、印象派の影響を受けているとも言えます。その中でも、特に私が印象派と言われるのだとしたら、光の表現に凝っているからでしょう。しかし、19世紀の印象派の画家は、キャンバスにさまざまな色を表現しましたが、ディティールについてはそれほど細かく描いていません。私の場合は、詳細に描くのが好きなので、そこに違いがあります。

▲「朝の睡蓮」油彩 20号

――睡蓮の絵はとても素敵ですね。なぜ、いまモネの睡蓮を描こうと思ったのですか?

デサップ:睡蓮を描こうというよりも、水面で揺らぐ光の明暗とか、具象画だけれども抽象的な題材を描くことに興味がありました。モネは素晴らしい画家なので、先に描かれてしまっていたのです(笑)。もちろん、ジヴェルニーの池を描けば「モネ」と言われることはわかっていました。モンマルトルの街並みを描けば「ユトリロ」と言われるし、アルルの風景を描けば「ゴッホ」と言われるでしょう。そのように言われるのを避けるために、別の題材を選ぶ人もいますが、私は自分の心が描きたいものを描きます。何を描いても、そこには私の個性が表れるのでかまわないと思います。自分のスタイルを確立することができて、しかも、それが世の中に受け入れられた私は幸運でした。

▲「パリ、シャンゼリゼ(茶)」油彩 20号

――あなたの絵のスタイルとは、どのようなものでしょうか?

デサップ:私の絵はコントラストを強くとっていることが特徴です。明るい部分はより明るく、暗い部分はより暗く描くことを意識しています。パリの街を描くときには、ネオン輝く夜景が多いですが、それもコントラストを強めるためです。また、しばしば雨の上がった後の水たまりを描いて、水に反射する光を描くことで、絵の中の光を多くしています。それから、マチエールにも注意を払っています。実際に絵を見ていただければわかりますが、絵具を塗り重ねて立体的にしています。そして、ユトリロが絵具に漆喰を混ぜたように、私は絵具に砂や樹皮を混ぜています。土や木の幹を描くときに砂や樹皮を混ぜることで、本物のように見せることができるからです。

▲デサップ独自のマチエール

――そもそも、絵を描きはじめたのは何歳の頃からでしたか?

デサップ:最初に油絵を描いたのは、10歳のときでした。キャンバスがなかったので、飛行機の模型の羽に張ってあった布を取り外して、自分組んだ木枠に張ってキャンバスを自作しました。絵具を買うお金もなかったので、妹の貯金箱からこっそり借りました。そして、台所の窓から屋根に出て、屋根から見える街の風景を描いたのです。夢中で描いていると、母が帰ってきて怒られました。アパートの4階の屋根だったので危険だというのです。そのとき描いた絵は、70年経った今でも持っています。

▲初公開! 初めて描いた油彩

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