エチオピアの"普通"
どうも。
今回から【エチオピアの"普通"】シリーズを書いていきます。
エチオピアでの"普通"について。
日本で何気なく生きている中で普通なことってあるじゃないすか。
でも異国の地に行くとそれって普通じゃないんや!って気づかされることが多くて僕はこの時のショックが大好き。
エチオピアを行き来してコーヒー貿易をする僕が「え、これって普通なん!?」って感じたときのことを何回かに分けて書いていきます。
①「ありがとう」ってめったに言わない。
日本じゃ何かあることに「ありがとう」って言うじゃないすか。
何かものを買ったら売る側が「ありがとう」
買ったものを渡されたときは買い手が「ありがとう」
ご飯おごってもらったら「ありがとう」
なにか近くの物とかを取ってもらったら「ありがとう」
これ全部エチオピアではありません。
エチオピアに行き始めた当初、エチオピア人の友達とご飯に行って僕が奢った時があって店を出たんです。
そしたらなんか違和感あるなぁと。
日本やとこのタイミングで軽くでも「ありがとう!」がある。
でもない。。
違和感を感じた僕はその友達に別に怒る訳でもなく、「なんで"ありがとう"って言えへんの?」って聞いてみたら
その友達は平然とした態度で「なんでってお前が奢りたいから奢ったんじゃないん?」って。
もし僕が日本にいて日本人の人にこう言われたら
ちょっと腹が立つと思います。
でもここはエチオピア。
その時、僕は身も心もエチオピアに溶け込もうとしていたのですんなりとその考え方が腑に落ちた。
そもそも「ありがとう」を気にしている自分がバカらしくなってきて
そんなん求めてやる行動なんか最初からやるな。と。
自分のやりたいことをやればいい。
それで周りの人が良い思いをすれば尚良い。
はなから「ありがとう」という見返りを
頭に置くのは違う。
勿論、僕はこれからも「ありがとう」って言うけれど
「ありがとう」って言葉は素敵な言葉やけど
「ありがとう」って言われなくても
自己満足できるような行動を心がけようと。
その時感じて今でもそう考えている。
エチオピアではそこまで考えているのかは分からないけれど
僕はそんなひょんなことに
思考を巡らせて何かしら自分に落とし込む。
カルチャーショックこそが
頭を柔らかくして今までの自分を変える最高の衝撃なのだ。
tsuzuku...
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