ひぐらし業を終えて。黒幕とは何なのか?
ひぐらし業が終わった。
思えば毎週追いかけたアニメはとても久しぶりで、毎週「次はどうなるんだろ?」とワクワクするのは、やっぱりとても楽しいことなんだなあという至極当たり前のことを思い出せた半年間だったと思う。
さて、ひぐらし業が最終回を迎えた時点でも、まったくわかってない事だったり、断片的に残された謎だったりはそりゃ山ほどあって、だからこそ卒が楽しみなわけだけれど、ネット上で多くの人が話す推理、推測、考察のなかで、個人的にどうしても「その考えは違うんじゃないか?」と思っているものがある。
それは「黒幕が誰なのか?」という議論だ。
旧作ひぐらしにおいて黒幕は鷹野だった。
そして黒幕とは違うが、物語のキーになり、元凶と言えなくもない人物?として羽入がいた。
旧作ひぐらしでは解答編「皆殺し編」においてはじめて鷹野が黒幕という事実が判明した。
羽入の初登場も「皆殺し編」だ。
皆殺し編は旧作ひぐらし(原作)において解答編の3番目、最終編である「祭囃し編」のひとつ前に出た作品であり、つまりそれまでの間長きに渡り、黒幕が誰なのか?は伏せられていたと言える。
だからなのだろう、今回のひぐらし業/卒においても「黒幕は誰なのだろうか」という話題を放映当初から色んなところで目にした。
「黒幕は沙都子だ」「いやきっと別の上位存在がいるんだよ」「むしろ梨花自身が無意識化でなにかしてるという梨花黒幕説を推すね」
こんな具合に。
ひぐらしの考察をする上で「誰が黒幕なのか」ということが大きなウェイトを占めてしまっているのは、旧作の作劇が影響しているのは確かだろう。
業が終わって現状で言うならば沙都子は真っ黒も真っ黒、どう考えても黒幕というか悪役なのは間違いない。
だけどけれども、僕は「ひぐらし業/卒は沙都子が黒幕だ」というのは違うと思っている。
そもそも仮に別の誰かが黒幕として存在していたとしても、沙都子を救いようがない状態であるし、ハッピーエンドの方法が想像つかない状態になっている。
沙都子を現状から救い出して、ちゃんと物語にけりをつけなければいけないことを考えると、もはや黒幕が誰であろうとそこに意味はないというのがひとつ。
そしてもうひとつ、原作版ひぐらし祭囃し編のスタッフルーム(あとがき)において原作者竜騎士07氏が語っていた内容が忘れられないのだ。
(略)
この『ひぐらし』の世界にはたった1つ、魔法の法則がある。
それは、みんなに相談し、みんなの力を得れば、どんな困難にも打ち勝てるということ。
どんな奇跡も起こせるということ。
それが絶対法則として示されるなら、これはもはや魔法、…そう、「システム化された奇跡」と呼べるでしょう。
劇中で羽入たちが語ったとおりです。
これこそが『ひぐらしのなく頃に』の世界観です。
それに則って理想の結末を考えれば、最初に思いつくのは、登場人物全てが結束して鷹野と戦いこれを打ち破るという、爽快なエンドだと思います。
実際、「祭囃し編」の劇中でもそのシーンを爽快に描くことでそれを肯定しています。
ですが、同時に、鷹野という人物については非常に孤独に描き、爽快感とは逆行する演出をすることで、その解に対する疑問も提起しています。
鷹野を除く全員が結束して、鷹野を生贄の羊にして叩きのめし、鷹野を除く全員がハッピーエンド。
(略)
この、生贄を投じることで手を結ぶ禊ぎには、友好的関係を作りだすため、常に第3の敵(生贄)を求め続けなくてはならないという不毛(鬼)をも生み出すと考えています。
(略)
そこに敵を求めるというのはつまり、人同士が永遠に争いあうこと。
そして仲直りをするにも、また新しい敵が必要になるという、永遠の争いの連鎖です。
それこそが人の世の鬼だと、この度の『ひぐらし』の中では断じさせていただきました。
そこまで世界観を説明した上で「祭囃し編」を見ると、……鷹野という存在を叩きのめすのが果たして理想的な解なのか、少々の疑問が生じるのはないでしょうか。
(略)
彼らは、どうやったら鷹野と仲良くなれるのでしょう。
まさか、「東京」を新しい敵に据え、鷹野と共同戦線を張って仲直り…とは言いませんよね?
この話を延々と続けていくと、最後には宗教的な次元にまで達してしまうような気がしますので、これ以上の議論は控えましょう。
『ひぐらしのなく頃に』の世界観に沿った、最高の結末とは果たしてどのようなものなのか。
……それはひょっとすると、「祭囃し編」よりも、もっともっと素晴らしい物語なのかも…。
この問題はきっと、『ひぐらしのなく頃に』の卒業問題になるかと思います。
この最後の出題を『ひぐらしのなく頃に』という物語に、4年半もの長きにわたりお付き合いくださりました皆さんへの、最後の置き土産ということにさせていただければ幸いです。
(略)
ひぐらしのなく頃に解 祭囃し編スタッフルームより引用
新たな敵を設定しての一致団結は「永遠の争いの連鎖」であり「それこそが人の世の鬼」だと竜騎士07氏は言っている。
旧作ひぐらしにとって解決していない最後の問題はこれだった。
その後に出た ひぐらしのなく頃に礼「賽殺し編」はある意味でこれに対する回答のひとつの形だったのではないだろうか。
すなわち「黒幕がいない世界」。
誰も罪がない、しあわせな世界。黒幕なんていないし陰謀もない。
でもこれが「永遠の争いの連鎖」を断ち切る方法か?と問われたならば、そこには疑問が残る。
だからなのか、最後には元の世界 ―すなわちみんな罪を抱えていて、黒幕がいて、巨大な陰謀があった世界― を梨花は選ぶことになった。
ひぐらし礼は後日談的な意味合いの強い、ある種のおまけシナリオだったからこんな見せ方をしたのだと思う。
それから15年近い歳月を経て生まれた今作ひぐらし業/卒は、そこに踏み込んだ話にしているに違いない。
前述のスタッフルームにあった
>>この問題はきっと、『ひぐらしのなく頃に』の卒業問題になるかと思います。
>>この最後の出題を『ひぐらしのなく頃に』という物語に、4年半もの長きにわたりお付き合いくださりました皆さんへの、最後の置き土産ということにさせていただければ幸いです。
この文章そのままにひぐらし卒業問題が今作で、だからこそ「業」「卒」(逆にすると「卒業」)というタイトルになったのではないだろうか?
「みんなに相談し、みんなの力を得れば、どんな困難にも打ち勝てる。奇跡だって起こせる」というひぐらしの絶対法則は、今作でももちろん生きているだろう。
鷹野が富竹に相談して山狗から逃れたのもその一つ。
しかしながら、物語のキーとなる梨花と沙都子はいまのところ「みんなに相談」していない。
ひぐらし世界で問題を解決するのならば、まず大事なのはそれで、仲間を信じて全てを打ち明けない限り、沙都子も梨花も救われないし、世界に閉じ込められたままになるのではないだろうか。
「みんなに相談してみんなの力を得れば」くらいで解決できそうにない気もする?
それはその通りだけれど、いままで培ってきたひぐらしの世界があるから、―それがたとえ魔法のようであっても、ちゃんと納得できる形になるはずだ。
公開されたひぐらしのなく頃に卒PVのラストで梨花が「あなたは信じられますか?」と話している。
これにも様々な意味があるのだろうけど、「仲間を信じられますか?」という意味で捉えるならば、それこそがクリアの鍵だからだ、という意味に他ならないだろう。
我々視聴者、とりわけ過去作を経験してきた人間が今回考えなければならないことは「誰が黒幕か?」ではなく、「どうやったらババ抜きのババを出さない形で終わる話と成り得るのか?」なのではないだろうか。
それこそが今作での出題そのものであると思う。
#ひぐらし考察 #ひぐらし業 #ひぐらし卒 #ひぐらしのなく頃に
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?