言語は本当に「ふたまたニョキニョキ」構造なのか?
動画解説 ver.も公開しました!
※現在は YouTubeメンバーシップ【Galileo’s Lab Members|研究生】(¥290/月) 限定公開
ゆる言語学ラジオさんで生成文法が紹介されたシリーズの中で、人間の言語は「ふたまたニョキニョキ」(専門的には「ふたまた枝分かれ:binary branching」)の構造を形成するという説明がされていました。
特に最近の生成文法においては、「ふたまたニョキニョキ」の重要性がますます高まってきていると言える流れがあります。確かにあらゆる言語において、ふたまたニョキニョキ構造が普遍的なものであるならば、人間の赤ちゃんの脳には「一度に2つの要素を結びつけて、より大きな構造を作れ」とだけインストールしておけば良く、子どもの言語(母語)獲得の問題を説明しやすくなるでしょう。
さらには、木の枝・稲妻・ニューロン・毛細血管といったものも、総じて「ふたまたニョキニョキ」的な枝分かれを示すことから、人間言語の構造も含めて、これらすべての現象において、ふたまた枝分かれが最適な解である→自然界の存在物として、言語は「ふたまたニョキニョキ構造」を持たなければならないのではないか?という趣旨の推測もなされており、チョムスキーはその推測を支持しているようです。 (cf. Smith & Allott (2016) Chapter 2, Note 187)
等位接続構造:「ふたまたニョキニョキ」の天敵
しかし、ふたまたニョキニョキ仮説に対して反例となりうるのが、ゆる言語学ラジオさんの動画でも軽く言及されかけている、等位接続構造です:
上の図で "XP"は任意の統語句を表しており、(1)では名詞句と名詞句・(2)では動詞句と動詞句・(3)では節と節が、それぞれ等位接続されています。
等位接続詞で結ばれる XPの数には(理論上)制限はありません。このことからも、等位接続構造においては、3また以上に枝分かれした "flat structure"と呼ばれる「nまたフラット」構造を仮定する必要性があると考えられます。
厳密ふたまたニョキニョキ仮説
他方で、等位接続構造すらも「ふたまたニョキニョキ」で捉えようとする考え方もあり、そこでは以下のような構造が仮定されています:
上は "Peter and Mary"という、2つの名詞句が等位接続された場合の構造を示しており、このような「厳密ふたまたニョキニョキ」を繰り返すことによって、"Peter, Paul and Mary"のように 3つ(以上)の句が等位接続された場合でも、ふたまた枝分かれを保つことができます:
厳密ふたまたニョキニョキ vs. nまたフラット
では、「ふたまたニョキニョキ」と「nまたフラット」どちらの仮説の方が、実際の言語現象をうまく説明できるのでしょうか?
理論の美しさだけで言えば、「言語構造は普遍的にふたまたニョキニョキである」と結論づけることができた方が好ましいかもしれません。
しかし、ガリレオの University College Londonでの恩師 Hans van de Koot先生も共著者の一人である、同じく UCL言語学研究科の Ad Neeleman先生らによる論文では、等位接続構造の振る舞い(特に "Peter, Paul and Mary"のように、等位接続された最後の要素にだけ接続詞が付く場合)を正しく捉えるには「nまたフラット構造」が必要であるとの主張がなされています。
本記事では、その論文で挙げられている事象を紹介しながら、言語学の前提知識がなくても理解しやすいように、議論の概要を解説していきます。
3つの要素が等位接続された場合の構造
まず前提として、「nまたフラット仮説」と「厳密ふたまたニョキニョキ仮説」それぞれにおいて、3つの要素が等位接続された場合の構造を確認しておきましょう。
「nまたフラット構造」の場合
こちらの仮説では、"Peter, Paul and Mary"のような例は (5a)、"Peter and Paul and Mary"のような例は (5b)の構造に、それぞれ対応します:
「厳密ふたまたニョキニョキ」の場合
先ほども触れたように、複雑な等位接続に対し、ふたまた枝分かれ構造を仮定することも可能です:
ここで重要なこととして、赤丸で示したように、(5a)では "XP₂ and XP₃"が、(5b)では "XP₁ and XP₂"が、それぞれ構成素としてまとまりを成していることです。したがって読み方としても (5a)と(5b)では異なり、複縦線(‖)の箇所で長めのポーズが置かれることになります。
【注】(4, 5)の樹形図は、本記事の上の方で示した樹形図と微妙に異なっていますが、以下で紹介する議論には大きな影響を及ぼすものではありません。
議論1:何台のピアノが持ち上げられた?
以上を踏まえて、Neeleman et al. (2023)では、まず Borsley (1994)などの議論を引用し、(6)と (7)では解釈の幅が異なることを示しています:
(6)の "Tom and Dick and Harry"の場合は、4通りにあいまいな解釈が生じるのに対し:
(7)の "Tom, Dick and Harry"では、「3人がそれぞれ (=7a)」か「3人が一緒に (=7b)」の2通りの解釈しか許されません。
もし、(7)の "Tom, Dick and Harry"の部分が、Radford (2009)のような「厳密ふたまたニョキニョキ構造」を持つのであれば、少なくとも (6c)の解釈は許されることが予測され、英語ネイティブスピーカーの判断と矛盾が生じることになってしまいます:
よって、(7)に対応する構造としては、(4a)のような flat structureを仮定する方が妥当である、という結論に達するわけです:
議論2:どの花が黄色?
また同様に、形容詞の意味が影響を与える範囲(専門的には scope)という観点からも、「nまたフラット構造」を支持する言語現象を観察できます。以下の例文 (8)〜(11)の解釈を考えてみましょう:
(8), (9)のように、"A and B and C"となる場合であれば、ふたまたニョキニョキ構造でもネイティブスピーカーの解釈を説明できます:
一方、(10), (11)のように、等位接続される最後の要素にのみ接続詞が付く場合では、やはり解釈の幅が狭まります:
意外かもしれませんが、(10)の解釈は1通りであり、"yellow"という形容詞は、直後の名詞(句)である pansiesだけしか修飾できません。
このことから、右下に向かってふたまたに伸びていく構造は破棄され、3また(以上)に枝分かれする構造の存在を認める必要が生じてきます:
また、(9)が3通りにあいまいであったのに対し、(11)が持つあいまい性は2通りに限られます:
すなわち (11)では、"yellow"は等位接続された最初の要素である crocusesのみを修飾するか、等位接続された3つの要素全部にかかる解釈が可能ですが、最後の tulipsを除いて最初の2つの要素 (crocuses, pansies)を修飾する読みは得られません。
したがって、(11)は (5b)のようなふたまた構造ではなく、(4a)のような flat structureを持つという説が支持されることになります:
まとめ
以上、今回は、ゆる言語学ラジオさんの「ふたまたニョキニョキ理論」から最新の言語研究まで発展させて、等位構造構造を分析するには 3また(以上)に枝分かれする flat structureも必要であるという論を紹介してきました。
言語は、日本語と英語のような見かけ上の違いを抽象化すると、驚くほど普遍的な共通の構造を持っていることが分かります。
しかし同時に、美しい一般化ができそうでありながら、完全には割り切れないところが残るのも、言語の持つもうひとつの側面と言えるのかも知れません。
だからこそ、ことばは不思議で面白い—その一端を感じていただければ幸いです!
参考文献
Neeleman, A., Philip, J., Tanaka, M., & van de Koot, H. (2023) "Subordination and Binary Branching," Syntax 26, 41–84.
https://doi.org/10.1111/synt.12244
Radford, A. (2009) Analysing English Sentences: A Minimalist Approach, CUP.
Smith N., & Allott N. (2016) Chomsky: Ideas and Ideals, 3rd ed. CUP.
(今井邦彦・外池滋生・中島平三・西山佑司 [訳] (2019)『チョムスキーの言語理論—その出発点から最新理論まで』新曜社.)
中村捷・金子義明・菊地朗 (2001)『生成文法の新展開—ミニマリスト・プログラム』 研究社.
※ガリレオ研究室は、Amazonのアソシエイトとして適格販売により収入を得ています。