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ルーイシュアンの宝石~5

9 魔法使いモンティア

次の日の朝早く、ティックと別れたジーとイシュは、リブソラの町の少し北東にあるモヤという港町へ向かった。道中何度かゼラゼラ種に襲われたものの、ジーの敵ではなかった。
モヤ港から定期船に乗り、リピア海を渡った。約一日半かけて船は無事にダルコーズ大陸の小さな港町ディヴァに着いた。
二人は休むことなく、ディヴァを出て、グリアナロッド山脈の麓にあるという、魔法使いの住む家を目指した。
木漏れ日の降る林を抜け、猫の毛の様に柔らかな草原を抜け、鬱蒼とした森に入る。
「この森の奥に魔法使いモンティアの家があったはずだわ。」
ジーは思い出すように言った。
「知ってるの?」
「うん、まあ、昔ちょっとやっかいになったことがあるんだ。」
「どんな人なの?」
「遥か昔のことだからなあ。まあ、いい人には違いないわ。」
ジーはどこか懐かしむかのようにイシュに答えた。

森が急に開け、一軒の森に溶け込んだ切り株のような家が現れた。
屋根がとても大きく、窓もたくさんあるどことなく奇妙な家だった。屋根の中央に見える煙突からは、煙が立ち上っている。
「良かった、いるようね。」
ジーが喜びの声を上げた。
急いでドアを開けるまでもなく、すっとひとりでにドアが開いた。
「久しぶりだねえ、ジー。お入りなさいな。」
温かみのある低い女性の声がする。
ジーはさっさと家の中へ入っていく。慌ててイシュも入った。

窓から降り注ぐように光が入った部屋は、とても明るく居心地がよかった。部屋の隅には大きなツボが5つ置いてある。天井からはいろんな植物がぶら下っている。暖炉には火が入り、温かそうに燃えていた。重そうなテーブルの脇のゆり椅子に、声の主であろう一人の女性が座っていた。
ダークブラウンの豊かな髪をふわりと頭上でお団子に結っている。小さな黒い眼は、生き生きと輝いている。丸くちょっと赤い鼻の上には、小さな鼻眼鏡が乗っている。穏やかな微笑みと両頬に浮かぶえくぼが、とても穏やかで暖かそうな人柄を醸し出していた。

「モンティアおばさん、久しぶりです。元気でしたか?」
ジーは嬉しそうに言うと、女性に駆け寄った。
「ああ、元気だよ。ジーも元気そうだね。どうだい、シャクティーアとは追いかけっこは続いているのかい?」
モンティアは優しく微笑んだ。
「ええ…まあ。」
「この前来てくれたのは、随分前のことだったね。」
「ご無沙汰にしてしまい、ごめんなさい。今日は教えていただきたいことがあって来ました。」
ジーは神妙に丁寧に答えている。
「スギライ・ロー神殿のことだろう?」
「さすが、おばさん。お見通しだわ。」
ジーは目を輝かせた。
「ふふふ…
さっき水晶玉にヴィジョンを見たからねえ。その子がその少年だね。」
モンティアは、ジーの後ろから興味深げに見ていたイシュを見つめた。
急に見つめられ、イシュはうろたえた。
「こ、こんにちは。はじめまして。僕は…」
「イシュというんだろう?よくジーとここまで来たね。歓迎するよ。」
モンティアは落ち着かせるように、頷きながら優しく微笑んだ。
モンティアは二人を部屋の中央のソファーに座らせ、ストーブの上のポットから良い香りのするハーブティーを入れて、ジーとイシュに手渡した。

「スギライ・ロー神殿は、遥か昔世界の裂け目を封印させるために作られた建物なんだよ。神殿といっても見かけは大したことない。だがね、中はとても複雑な造りになっていて、知らないものが入ろうにも一筋縄ではいかないようになっている。その奥に、裂け目へと通じる小部屋がある。裂け目には強力な呪文がかけられてある。私等の今の魔法とはまた違うような魔法らしきものでね。そして、それを護る封印がある。その封印がルーイシュアンの宝石だ。もちろんそもそも小部屋への入り口は、光の使者が作った特別な鍵がなければ入れないがね。」
モンティアは言うと、一口お茶をすすった。
「だがね、恐ろしいことがおきたんだよ。数か月前、この地方に怪しい地鳴りが数日鳴り響いたんだ。自然現象ではなかった。恐らくモルバブジの魔法だろ。」
「モルバブジ!」
ジーは思わず声を上げた。
「そう。奴めいよいよ力を蓄えて、大元締めを裂け目からこの世へ呼び戻さんとしているらしい。スギライ・ロー神殿に強力な闇魔法をぶつけ小部屋を壊そうとした。ところがびくともしない。何か鍵が必要だということに気が付いたモルバブジは、鍵を護っていたボーボーラのところへやってきあ。ところが鍵は既にそこにはなかった。ボーボーラが言うには、なぜかシャクティーアが現れ、鍵を奪い去って行ってしまったのだそうだ。その辺ははっきりボーボーラもいわんのだがね。」
「何ですって?」
「ボーボーラに無理やり鍵の行方を聞き出したモルバブジは、怒り狂っておったそうだ。さすがの邪の最高司祭も、シャクティーアの聖なる光には近寄れないからね。モルバブジはボーボーラを岩に閉じ込めて、鍵を追って行ってしまったそうだ。」
「そのボーボーラという人は、無事なのね?」
「ええ。獣身に変化していたお陰で傷一つないようだ。でも私の魔法では彼を救い出すことはできなかったんだよ。異変を知って駆け付けたのだが、ボーボーラを閉じ込めた岩は、私ごときの魔力ではびくともしなかった。彼が言うには、岩を砕き彼を外に出す方法はただ一つ…」
モンティアはイシュを見つめた。
「この少年、イシュが下げているペンダント、これなんだよ。」

モンティアは立ち上がると、イシュの前に立った。そしてイシュのぶら下げているペンダントを見やった。
「このペンダントこそ、光の使者が作った鍵なのだよ。私も一度遥か昔、神殿を襲ったギロの災難の時にこの鍵、ペンダントを見たことがあるから間違いないよ。だから、このペンダントを、ボーボーラを閉じ込めてある岩に向かって使ってごらん。きっと邪の邪気から解放するだろう。」
「ど、どういうことなのかしら。」
ジーは訝しげに首をかしげた。
「何でイシュがその鍵とやらをもっているのよ。シャクティーアが何で鍵を持ち去ったのよ。なぜ?」
「それは私にも分からないよ。」
モンティアはくびをすくめた。
「イシュ、なんかそろそろ思い出さないの?」
ジーがじれったそうに言う。
「う、うん…」
イシュは唇をかみしめた。
「いいんだよ。お前が記憶をうしなっているのは、何か特別な事情があるのかもしれないね。」
モンティアは優しくなだめるようにつぶやいた。

「分かったわ。これからそのボーボーラを助けに行くよ。そうすればもっと詳しいことが分かるかもしれないものね。」
ジーは言った。
「そうしてくれるかい?」
モンティアがホッとしたように言った。
「私の魔力じゃ敵わないんだよ。私の得意分野は薬草を煎じてこさえ、点を読み精霊と会話することだからねぇ。ボーボーラなら、その少年のことも何か知っているかもしれないね。聞いてみるといい。」
「そのボーボーラは砂漠のどこら辺にいるの?」
「砂漠の中心にある、小さなリョッカというオアシスのほとりにある岩の中にいるよ今は。」
「ありがとう。じゃあ、早速行こう。あ、そうだ!」
ジーは思い出したように、イシュの持っていた小袋に手を突っ込んだ。
「忘れるところだったわ。はい、お土産。」
ジーの手に蜂蜜の瓶が握られている。
モンティアは満面の笑みを浮かべ、大事そうにジーからその瓶を受け取った
「おや、まあ!ありがとうよ。私はこれが大好物でねえ。」
モンティアはそういうと、瞬時に獣身である大きな茶色の熊の姿をとった。

「天のご加護あるよう、おまじないをしとこうかね。」
モンティアはそういうと、大きな熊の手を二人の頭上にかざした。
熊の厚い手の平から、キラキラした粉が湧き出してジーとイシュの頭上に降り注いだ。
「ジーは運が必ず味方するものさ。」
「ありがとう、モンティアおばさん。」
ジーはそういうと、モンティアの柔らかい毛皮に抱きついた。
「終わったらまた遊びにおいで。待ってるよ。」
モンティアは優しくジーの頭を撫でた。

「じゃあ、行きます。」
ジーは微笑み頷いた。
「モンティアさん、さようなら。」
イシュはモンティアと握手をした。
「これからどんなことが起きようと、ジーを信じて頑張るんだよ。いいね。ジーはお前の光だ。」
モンティは言い聞かせるようにイシュの頭を優しくなでた。
「それじゃあ、おいきな。気を付けるんだよ。」
モンティアは微笑んだ。
二人は、モンティアの優しいまなざしに見送られ、ゾロゲイラ砂漠を目指して旅立った。

10 グリアナロッド山脈

ダルコーズ大陸最大の山脈として知られる、グリアナロッドは、うかつに入る者たちに自然の厳しさを思い知らせることで有名だった。ジーとイシュは、その山に今歩みを進めていた。
ジーはイシュを助けながら、険しい岩が多い山を、慎重に進んでいた。
元々集団行動を好まず、単独で行動するのが好きなジーにとって、連れがいること自体驚異的なことだった。獣身に変化してイシュを乗せて駆け抜ければ、もっと容易に進めるのは分かっていたが、ジーはそれをすることをためらっていた。幼いころから他人に対して強い警戒心を持っていた。ジーは、獣身に変化したときは、更に誰にも体毛一本触らせることはなかった。カーロにさえも毛皮には触らせなかった。触られることによる恐怖感、嫌悪感は耐え難いものだった。カーロに聞いた、自分の一族の滅亡時の話のトラウマだろうかとも思っていた。

それでもかなり進んで、空気が高山のそれに変ったとき。
岩が立ち並ぶ坂道に入りかけて、ジーは急に歩みを止めた。
「ん…?」
ジーの研ぎ澄まされた感が、何かを感じ取っていた。
「イシュ、短剣を持ちな。」
ジーは鋭く言った。
「どうしたの?」
イシュは短剣をしっかり握りしめた。
「妖気を感じる。」
「邪?」
「いや、ゼラゼラ種だね。」
ジーは目を細めた。とび色の瞳が鋭く光る。
ジーは足元に落ちていた小石を拾うと、一つの岩の方に投げた。
その瞬間、地面の中から、細く長く黒い管のようなものが、何百本も飛び出してきた。
「きゃっ!」
イシュは悲鳴を上げた。
「ちっ…」
ジーは舌打ちをした。
「ゾジャルだわ。厄介ね。」
ウネウネとのたうち回るように、黒い細長い管の群れは、絡み合い蠢きあっていた。
「ジー、あれは何?」
「あいつは、吸血虫よ。あの管のような体でターゲットに巻き付いて、先端の顔にある口で噛みつき血を吸って来る。下等生物なのに生意気に人の顔を持っているの。」
ジーの嫌そうな言葉を聞いて、イシュは身震いした。
しばらくするとゾジャルの群れは、地面の中にその姿を戻した。何事もなかったかのように、山は静けさをとりもどした。
「前に通った時は、あいつはいなかったはずなんだけど。邪の力が強まって影響を与えているのかしらね。」
ジーはため息をついた。
「仕方がないわね。ここを通らなきゃ先へは進めない。戻るわけにはいかないし。あそこの灌木の上を静かに進んでいこう。」
ジーはそういうと、岩の間に丸木橋の様に転がる灌木を刺した。
「いいこと、イシュ、慌てなくていいから慎重に行くのよ。ゾジャルは刺激を与えなければ襲ってはこないから。」
そして二人は、ソロソロと灌木の上を渡り始めた。ところどころ腐って折れているところは、慎重に飛び越えて。

順調に進んでいたその時だった。飛び移ろうとしていたイシュの足が滑り、転げ落ちてしまった。
その瞬間、地面から黒光りする管の群れが一斉に現れた。
「ジー、助けて!」
イシュは悲鳴を上げた。
「イシュ!」
ジーは叫ぶと剣を抜き、うねるゾジャルを切り裂いた。
しかし、次から次へと管の群れは地面から湧き出てきた。イシュも必死に短剣を振り、切り払うが、あざ笑うかのように管がまとわりつく。そのうちイシュの細い足を、一本の管が捉えると、たちまちイシュの身体に巻き上がっていく。他のゾジャルたちもグニャリグニャリと這いずり、イシュに向かっていく。
ジーの持つ剣が光を放ち、ゾジャルたちの身体を粉砕していく。だが、悪夢の様にゾジャルの群れは湧き続けた。
「ちっ。どうすりゃいいのよ。」
ジーは自分の足元に巻き上がるゾジャルを切りながら叫んだ。
ジーも自分の周囲を片付けるだけで精一杯だった。
「イシュ、しっかりするのよ!」
ジーは声をかけたが、もうイシュの頭の先までゾジャルの管が巻き付き、イシュの返事は聞こえなかった。
「イシュ!」
ジーは思わず絶望の声を上げた。

目の眩むような光が、一瞬で辺りを包み込んだ。
ジーは思わず剣の動きを止め、目を閉じた。
「な、何この光は…」
はっとしてジーは目を開いた。
あれほど黒い海の様に広がりうねっていたゾジャルの群れは、目の前で溶ける様に消えていなくなっていた。わずかに残っていた黒い破片も、みるみるうちに地面へ溶け込んでいた。
「イシュ!」
地面の上に倒れているイシュの小さな姿を見つけ、ジーは駆け寄った。
血の気の失せた白い顔をして、イシュは気を失っていたが、呼吸は落ち着いて、傷も見当たらなかった。
「良かった!」
ジーはイシュの銀色の髪をなでて、その小さな身体を抱きしめた。
ジーはふと空を見上げた。
光り輝く鳥が、上空で音もなく羽ばたいている。
ジーが気が付いたことに気づいたのだろう。一度円を描くように舞うと瞬時に光の玉になり爆発するように輝き、東の空へと消えていった。
「シャクティーア…」
ジーは、鳥が消えていった空の方をいつまでも眺めていた。

「う…ん…」
イシュはゆっくり目を開けた。そして何かに気が付いたかのように飛び起きた。
「ゾ、ゾジャルは!?」
イシュは叫んだ。
「みんな消えてしまったよ。」
ジーの静かな声が優しく響いた。ジーはイシュの隣に腰を下ろし、優しく見つめていた。
「僕助かったの?」
「ええ、シャクティーアが一瞬で片付けてくれた。」
「シャクティーアが…」
イシュは呟いた。
「あんたはやっぱり、シャクティーアに護られているんだね。」
ジーはイシュの菫色の瞳を覗き込んだ。
「不思議な子ね、イシュ…」
ジーは静かに銀色の髪を指先で触れた。
「それにしても、危なかった。今回はシャクティーアのおかげで助かったけど。」
ジーは呟く。
「シャクティーアは何であんたを護るのか分らないけど、心強いわね。さ、先を急ぎましょう?歩けるわよね、イシュ?」
ジーは明るく言うと、元気よく立ち上がった。

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