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【成長】比較対象は自分より「できてる人」と設定せよ

目標を達成するに事において、比較対象を自分より劣る人に設定してはいけない。できていないことに安心しては前進は望めない、という話

少し年齢が下の同業者の話。

わたしより志が高く、上昇志向が強い彼は、会うたびに新しいビジネスプランを伝えてくれる。

ただ、残念なのはそのどれもが“プラン”に終わり、実行されている気配がないのだ。



そしてまわりのさらに動く気配のない同業者を小馬鹿にしたような態度を取るのだが、彼を取り巻く状況は10年前と何も変わらない。

このような妄想や空想ばかり描く人は少なくない。わたしも妄想好きのひとりであるが、それなりに着手している自負はある。



プランを実行に移せないのは彼自身の問題であるが、そもそも比較対象を自身よりやる気のない人に設定したところで得られるのは、ある種の“安心”のみである。

その安心とはできていない自分への保険であり、さらにできていいない(そもそもやる気がない)人を確認して「この人らよりマシ」と定義づけているに過ぎない。



はたから見ればどんぐりの背比べであり、分類すれば「やっていない人」と認定される。

この現象をクリアするには、あきらかに自分より「やっている人」に触れる必要がある。



触発される、ということだが、できればそんな意識高い系のグループに飛び込んでしまうのが一番の方法であり、その集団に属すると自分がいかにできていないかを痛感しつつ、自分を尻を叩くことになると思うのだ。

できていない自分、という現実を突きつけられるのはこわい。認めたくないがゆえにスタートを切らずまわりを見て安心する。



それではいつまで経っても前に進むことなどできやしないのだが、そうした自分がかわいいのなら傷つくことを回避して自論という空論を披露し続けるのもいいだろう。

やっている人は基本的に忙しい。

まわりと比べているヒマなどない。

比較対象としている自分よりやっている人に関しても嫉妬の対象ではなく、自分のモチベを引き上げてくれる引力として活用する。



プランは誰にでも簡単につくれる。それを理想通りに形にすることはその何倍もむずしい。

それを経験すれば目の前のことに集中せざるを得ないし、実行されないプランなど考えている余裕もなくなる。

前進を続けるには背中を押してくれる環境が必要。傷のなめ合いの場は居心地が良すぎる



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