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行動するのは自分の気持ちが揺れたからである

やるもやらないもその人の特質というよりは、感情に何らかの揺れが生じたから、と言う可能性が高い。環境による外的要因から、結局は自分の中の内的要因が行動につながる、という話

今年に入り、色々な生活習慣に変化があった。コロナ禍という事もあり、自分と家族に向き合う時間が多分にあった。

一方で外に出て人と会う機会がめっきり減った。元々、あまり社交的な方ではなかったのでその辺はまったくストレスを感じずにすんでいるが、バランスとしてはやや内に籠り過ぎている。

そして内に籠るエネルギーはそれはそれで必要かと思うが、外に出て環境を変えたり、普段触らないような経験を自発的に(少し無理をしてでも)していくことでそれが刺激となり、新しい発想や世界観につながるのは間違いない。

オンライン上で事足りる経験や用事もかなり増えたが、やはり実際に現地に足を運び、五感で感じた経験値はその後の影響を考えると端折ってはならない部分があると思う。

今年、内に籠りまくり考えた事のひとつとして、人はなぜその行動を起こしたか?という自身のテーマがあった。

このテーマは中学受験をひかえた息子がびっくりするくらい勉強をしないことで現れた問いだ。

彼はなぜ勉強をしないか?答えは簡単である。私の息子だからだ。

これを言ってしまうと話は終わってしまうので、この答えは一旦置いておくとしてさらに考察してみたが、彼の場合は今のところ勉強する必要性も、勉強する動機もないのである。

今の私は青年期では想像もつかないほど本を読む。読書家の方からしたらたいした量ではないが、青年期の私を知る人がいたら考えられない事態だ。

そしてなぜ私が今、早朝4時前に起床し、本を貪るように読み、その内容を一心不乱にノートにまとめているか。

答えはというと、始めはやらざるを得ない状況で導入した習慣が、その後は完全にハマってしまったからである。

何が起こっていたかというと、やらざるを得ない状況の時点で感情が揺れ、ハマった時点でも感情が揺れたからではないだろうか。

極論、人は必要に駆られるか、欲求が高まった時にしか行動を起こせないのではと思うのだ。感情が上振れするか、下振れするかで揺らされてはじめて自発的に行動を起こす。

そしてその事柄が地味であろうが大変であろうが関係ない。はたから見たら何が楽しいのかわからないだろうが、ご心配なく、本人は最高に楽しんでいる。

話は息子の勉強に戻るが、最近、あまりに勉強に身が入らず、塾の成績がガタ落ちした。宿題もやらずゲームや漫画と、昔の私そのもののような体たらくだ。

自分の幼少期のことは棚上げして、とりあえず息子と話し合うことにした。

というよりは彼の心に揺さぶりをかけてやろうと思い、懇々と話をした。正直どの話が彼に響いたかは不明だが、次の週、自発的に塾の授業が終わってから自習室に残る習慣を実行し始めた。

息子曰く、家では兄弟がうるさいし、誘惑が多いからどうしても勉強する気になれない、自分が甘いのもわかってるし、成績がヤバいのもわかってる。じゃあどうしたらいいか考えたら、できる環境でやるのがいいじゃないかと思ったそうだ。

子供の場合は大人がある程度環境を整えてやる必要はある。大人はその環境を自分で作るのも感情の揺れ次第になるかと思う。

ではどうしたら感情が揺れるのか。それは感受性の個人差もあるが、まずは大量のインプットが必要だ。外に出て色々なものに触れる、未経験の分野に手を出してみる、本や雑誌、映画などからインスピレーションを受けることもあるだろう。とにかく可能性を大量に詰め込んでみて自分の感情の揺れを試すことを繰り返すことで何かしらにぶつかるのだ。

それか私のように借金まみれの赤字会社を引き継ぐのも手っ取り早く感情を揺さぶるのには有効だと思うが、このやり方だと最悪の場合、身ぐるみを剥がされてしまうので注意が必要だ。

何はともあれまずは大量のインプット、大量の行動に尽きる。そこに意味なんてまだなくていい。沢山取り込んで上手に吐き出せるようになってはじめて意味の様なものが輪郭を現す。




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