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『裸眼思考』と『これは水です』


はじめに

今回取り上げさせていただく『裸眼思考』を書かれた荒木さんとは、かれこれ4年前くらいにvoicyを通して出会いました。私がこのvoicyを聴き始めたのは2020年。コロナで世界中が大騒ぎになり始めた年でした。

voicyのあまたある放送の中で、最初の2年間ほど、私は荒木さんの放送しか聴かないという、完全に「荒木推し」でした。荒木さんのお話ししか聴かないという偏ったリスナーであったからこそ、荒木さんの思考変遷も知っている一人なのではないかと自負しているところです。

今回、この書籍『裸眼思考』が発刊されると聞き、Amazonでの予約購入も果たしていたのですが、それプラス、荒木さんのメッセージ付きの特別な書籍も譲っていただくようにお願いしておりました。その際に、色々とやらかした私を、この場を借りて改めてお詫び申し上げます。「荒木さん!申し訳ございませんでしたm(__)m」

無事に手元に届いていたメッセージ付きのこの書籍には、ほかにも是非とも欲しかった「らがーん」*1 の缶バッチと、リクエストして描いていただいたイラスト*2  がセットで手元に届きました。
今回の書籍発売に関しては、私自身にとっても並々ならない関心と興味をいだいていたので、とても楽しみでワクワクして待っておりました。

この特別版の書籍が手元に届いたことを、荒木さんに改めてのお詫びとお礼のメッセージをしたのですが、それと併せて、この『裸眼思考』と『これは水です』に何かしら同じ匂いがする…ということをお伝えしました。そして、私自身の過去の体験を重ね合わせて拝読していくと、どうしても涙が出るということも、ちゃっかり混ぜて送信させていただきました。

そしてこれらを、久しぶりに言葉に表してみたいので、note記事に書かせていただきたい…という旨をお伝えして…。

荒木さんからのお返事が「楽しみにしています。」との温かいメッセージ。
それを真に受けて、調子に乗って、さっそく書いてみることにしました。

表したい想いをどんな言葉に乗せようか…
普段「書く」という行為に慣れていない私が、どうやって表現したらいいのだろうかと、迷うところも多々ありましたが、いつも優しく受け止めてくださる荒木さんの温かさに乗っかって、私の心のままに書き綴ろうと思います。

*1: 「らがーん」とは、書籍内にたびたび出てくるキャラクターの名前
*2: 荒木さんのコミュニティーにて限定で申し込み(既に終了)

裸眼思考/荒木博行 著

私が朝のルーティンとして、ほぼ毎日かかさず聴いている音声配信voicy。
なかでも、コロナ禍に聴き始めた『荒木博行のbook cafe』は、日々の朝活ルーティンになっています。

その番組の中で、本書について度々その進捗が語られていました。私が注目していたのは、本書が書かれる前に、実は荒木さん…別の書籍を書いていらっしゃったこと! ゲラまで仕上がり、いよいよ出版というタイミングで…なんと!!! この原稿をボツにして出版を取りやめたという経緯がありました。

「なんで??」
「いやいや…それ、読みたかったんですけど…。」
とスマホのこちら側の私は、そう叫んでおりました。

荒木さんの推しである私は、荒木さんが考えていらっしゃることを言語化されたものであるならば、それがボツにしたくなるようなものであったとしても、是非手に取らせていただきたい!そこから何かの変化があったとしても、「その経緯を踏まえてのこちら(裸眼思考)なのですね?」という流れを体験したかったからです。

ところが、ボツにされた。。。
多くの方々を巻き込んでいるにも関わらず、それでもボツにしたい…。
あの荒木さんが…
よほどの想いがそこにあられたのだろう…と。

本書の「おわりに」の部分に、『裸眼思考』はそのボツになったものと、ほぼ180度内容が異なるものであることが語られています。もしかしたら、裸眼思考の前にボツになったそれを書いている最中に、この『裸眼思考』に関わる意識や感覚が、荒木さんの脳を占めはじめていたのではないか…?と私はふと想いを巡らせていました。

その湧きあがってしまった、『裸眼思考』が止まらなかったのではないか?
だから、かつての思考を世の中に出すことを躊躇されたのではないでしょうか?とても可笑しな例えですが、元カノを引きずったまま、新たに現れたほかの誰かと結婚しようとしているのに似ているのかも知れない!(←考えが飛躍しすぎですが…)と。

そして今回、この『裸眼思考』の進捗を伺うなかで、私はどうしてもこちらのもう一冊の書籍…『これは水です』を思い出さずにはいられませんでした。著している内容そのものが同類ということではなく、その源泉となる深い深い奥底にある「何か」の存在に対して、同じ匂いを感じて仕方がなかったからなのです。

これは水です/David Foster Wallace

この書籍は、彼が2005年度ケニオン・カレッジの卒業式でスピーチした、卒業生に向けてのはなむけの言葉です。
本書が日本で初めて発売されたのは、2018年のこと。このスピーチは、かの有名なスティーブ・ジョブズの卒業式スピーチを抜いて、全米第一位となった珠玉のメッセージとして有名なものです。
そして彼は、この卒業式のスピーチ後、わずか3年後に自死されました。

「これは水です」

「これは水です」

「裸眼思考」と「ほんとうに大切な自由というもの」

私たち大人は、成長するにつれて自然な流れで、知識や知恵を蓄積してきています、様々な場面のなかで、またそこでの体験・経験をとおして、思考の癖を持ってしまったりします。そしていつしか、思考のレンズが目の前に現れるようになっていきました。それが大正解のようにそのレンズをとおして、短期的な戦略に血眼になって取り組み、そして成果を出していくわけです。そしてまたそれは、現場でリアルに求められるものでもありました。

そんなところに『裸眼思考』の発刊においては、心躍ること!
推しを続けていた私だから解かる、荒木さんがなぜ発売しないことにしてしまったのかが、このタイトルだけでも推測でき、読む前から色んな思いが、私の中にも湧き上がってきていました。

もしかしてこれは、グロービス経営学院で教鞭をとっていらっしゃった、そこでの授業内容まで覆してしまうような内容なのでは?

荒木さん自身のアイデンティティまでひっくり返った??

そこを想い巡らせているうちに、自分自身のものの見方の経緯も改めて振り返ることにもなりました。

首を横にふれ

17歳という多感な時に、私は一つの出会いがありました。
『ERECTRIC GARDEN』佐野元春 ニューヨークから戻って来た佐野元春が、それまでの「佐野元春」を凌駕した…。私にはそう映っていたさなかに出会ったカセットテープブックです。

この中にこんな一節

1 すべてのステロタイプに対して首を横にふれ
2 すべての物事に関して、“納得”は禁物

17歳だった私が、この2行の言葉を見て、感じて、かなり衝撃を受けたことを、『裸眼思考』と『これは水です』から、既にかすれていた記憶の向こうから、溢れるように思い出されました。

荒木さんとデヴィッド・フォスターそれぞれが、これらのメッセージに込めた想いの源泉は、ここにも繋がるものじゃないか?と、ゆらりと溢れてきたのです。

いつの間にかかけてしまったそのメガネ。今まで見てきたそのレンズを外して、見てごらんよ。世界はどう見える?

これは水です

誰かのレールに敷かれたその道を、知らずに歩いてしまったけれども、その道の周りに見えるものって何だい?

それは水です

今日の気分を、誰かの気分に乗せられて、誰の気分なのか分からないものになってしまっていないかい? 今日の空気はおいしいかい?

それは水です


おわりに

大人になってしまった、私たち社会人に与えられた「そこにコミットする」ことは、そこに至るまでの間にも、目に見えない戦略的な意図がはめ込まれていることがあるのではないでしょうか。

本当は簡単に解けるはずのない答えを、この時代を生き抜き、進化しているように見せるための何かを、それらしく演じる必要もあったのかも知れないです。

宙ぶらりんであることの不快さを持ち続けられるほど、私たちのマインドは強くないし、それが耐えられるものでもないだろうと簡単に想像ができます。

でも『裸眼思考』の中では、裸眼のまま解けない問いを保留し、そして忘れず、何度もポケットから取り出して確認していくことを推奨しています。

自分の身体の周りに、生まれたときから纏わりついている「水」に対して、お魚さんたちの誰がその「本体そのもの」に「気づき」「問い」を持ち、それを探究し続けられるのでしょうか。
気づこうが気づくまいが、
そこにあるのは紛れもなく「水」であるということです。

私たちが生きていく限り、
これらを自分の中に携えて生きていくことが必須なのだということ。
それらを愉快に愉しめたら、最高の人生かも知れないと、私はこれらの書籍をとおして、改めて感じています。

もしご興味があれば、荒木さんと私がお話しした宙ぶらりんであることについても併せてお聴きくだされば嬉しいです。



 

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