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東北縦断の旅 ⑦秋田

宿泊したホテル、マタギの湯には、マタギ資料館が併設されています。
ここでは、マタギの生活の様子や、彼らの使っていた道具・武器、また、江戸時代の資料などが展示されています。

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「マタギ」とは、前近代の東北地方などにおいて狩猟を生業としていたハンターで、ここ秋田県阿仁はその発祥の地の一つでもあります。
マタギと呼ばれる人々の活動は平安時代頃から見られはじめ、当初や弓矢と槍(「タテ」と呼びます)で狩りを行っていましたが、近世になると、鉄砲を用いています。

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マタギはカモシカやイノシシ、サル、ウサギなどを狩っていましたが、彼らにとっての最大の獲物はツキノワグマです。ツキノワグマからは毛皮や漢方薬となる胆嚢がとれるため、マタギの重要な収入源でした。
ツキノワグマは北海道のヒグマに比べれば半分くらいの大きさとは言え、そのパワーは人間がくらえばひとたまりもありません。
都内でも奥多摩の山には生息していますので、出会わないよう対策をしましょう(ちなみに、熊の前で死んだふりは意味ないそうですよ)。出会ってしまったら、木にしがみつくなどして熊が去るまで動かない、腹部を見せないことが大事だそうです。なお、人里に降りていて人の食料などを口にしてしまった個体の場合はもはや運頼みです……。

漫画などでは、ハンターは凄腕の人物が一人で狩ったりしていますが、マタギは大人数で計画的に山狩りを行い、なるべく安全に狩りをしていました。普通に考えれば、狩猟は生活するための仕事なのですから、命の危険はなるべく少ない方がいいですよね。

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ホテルの近くには、くまくま園というクマ牧場があり、ツキノワグマとヒグマが飼育されています。

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エサを見せると手を振ったりするなど、愛嬌あるツキノワグマ。とは言え、やはり猛獣には変わりなく、看板には「救出不可能」の表記が……。
ツキノワグマは木登りも得意で、少しジャンプしたら柵を越えてきそうな迫力です。

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奥に進むと、北海道に生息するヒグマがいました。園に入ったときから怪獣のような唸り声と鉄をガシガシ叩く音が聞こえていましたが、このヒグマだったようです。
ツキノワグマよりも巨体で気性が荒く、「こんなのと弓矢と槍で戦っていたアイヌは何と勇気があるのだろうか」と思えるくらい、柵越しでも威圧感がありました。私なら、弓矢と槍を持っていても、ヒグマと出くわしたら腰が抜けてなすすべもないでしょう。

くまくま園の次は、阿仁銅山に向かいます。

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阿仁銅山は、前回出てきた院内銀山と同じく、久保田藩(秋田藩)が直営する銅山です。江戸時代中期に金・銀の産出量が減少する中、18世紀前半には日本一の銅産出量を誇りました。当時、幕府が運営するオランダ・清国との長崎貿易では、金・銀に代わって銅の輸出が奨励されましたが、輸出銅の実に40%がこの阿仁銅山産のものでした。日本の銅はヨーロッパに大量に輸出され、ヨーロッパの銅価格を左右するほど流通しました。

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明治時代になると、阿仁銅山も院内銀山と同じく古河市兵衛に売却され、昭和の高度経済成長期終了頃まで採掘が行われていました。その際の機械類なども展示されています。

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阿仁を後にして、大館市の秋田犬保存会の本部に行きました。犬好きというわけではないので、秋田犬は勝手に小さな犬だと思っていましたが、実際に見てみると大型犬でした。まあ、マタギが猟犬として使っていたということは、ツキノワグマなどと戦うことを目的に改良されたわけで、大型で強いというのは当然ですね。ちなみに、渋谷の忠犬ハチ公も秋田犬です。

次回は、秋田県にある、縄文の遺跡を訪ねます。

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高瀬 邦彦(たかせ くにひこ・地歴公民科)

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