心の壁(『新世紀エヴァンゲリオン』レビュー)

庵野秀明監督のアニメ作品に『新世紀エヴァンゲリオン』というものがある。15歳の少年碇シンジは、ある日突然疎遠だった父に呼び出され、その地で謎の生命体「使徒」の攻撃を目の当たりにする。そして、その使徒に対する唯一の対抗手段である「エヴァンゲリオン」のパイロットとなり、戦闘を重ね、使徒と人類二つの生命体の存続争いに巻き込まれていくというストーリーだ。

謎の生命体使徒が使う特殊な力として、「ATフィールド」というものがある。ATフィールドは通常兵器を無効化し、エヴァンゲリオンでしか対抗することが出来ない。そんなATフィールドであるが、作中では「ATフィールドは心の壁」と語られている。ATフィールドは人それぞれ微弱ながら持っていて、その境界があるからこそ他者と自分の区別がされていると。そして使徒は、一体で強力な自我を持つからこそATフィールドが目に見える程大きいのだと。
物語の終盤では、ATフィールドを無くして人類を一つにまとめ、完全な生命体にしようという作戦が決行され、他者と関わり傷つくことが嫌いなシンジに、人類の未来が託されることになる。

このATフィールドはもちろん現実には目に見えて存在しない。しかし、自分と他者を区別するという点に関しては現実にも通ずるものがあるのではないだろうか。
人は、他者が思う自分像というものを基準にして自分を知る。他者と違いがあるからこそ区別され、自我が定まってくる。実際に他者と会って交流するからこそダイレクトに反応が返ってくる。だからこそ、自分というものを掴むことができたのだ。
しかし、現在はインターネットを介した仮想空間でコミュニケーションが成立する時代。使用しているユーザーであれば、いつでもどこでも誰とでもコミュニケーションが取れる。なんて素晴らしい時代だろう。しかし、実際にそこにあるのは誹謗中傷の嵐。なぜそんなことになってしまうのか。
インターネット上では、自分の知らない人が知る自分像がある。そんな自分の知らない自分像が増えることによって、自我が定まらなくなってくる。そして、現実ではあり得ないような発言をネットでしてしまうのではないだろうか。

作中ではその後、シンジは他人という存在と傷つけあうことになっても、他者との関係に不安を抱きながら生きていくことになっても、または、かつて父親に捨てられたときのように他人に裏切られるようなことになっても、その他人との共存を望むようになった。
現実でも、他者を受け入れるために、たとえ傷つけあうことになろうとも、直接人と会うということが必要なのではないだろうか。

(高校2年生)

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