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政治、宗教、野球のタブー
社会人になり最初のマナー研修で聞いた覚えがある、「営業先で政治、宗教、野球の話はタブーです」と言うフレーズ。
当時は右も左もわからず言われるがまま、そんなものかと特に気にも止めることなく、敢えてそのような話をする機会も無く今に至る。
ほとんどの人が同じなんじゃないかな。
取引先とそのような話をして、もし議論になっても、落とし所が難しく、お互いの主義主張が平行線をたどるため、その話をするべきでないという理由なんだろう。
確かに熱狂的な阪神ファンの取引先の偉いさんに、自分は巨人ファンですとは言いにくいし、言って嫌われたらと思うと、安易にすべきではない気がする。
ただ、この2年ほどで様変わりした世の中を経験し、色々な情報を取りにいって今思うことがある。
それは、政治、宗教をタブーにすることで、政治、宗教に無関心な国民でいてくれた方が都合の良い人たちがいるということ。
ここしばらく日本の選挙の投票率は、絶望的に低い。
その仕組みは、
政治に無関心で投票に行かない。
組織票を取れば選挙に勝てる。
組織票を取るための政策に偏る。
仮に思い立って投票してもなかなか政治が変わらない。
個人の一票の無力さを感じる。
政治に興味が無くなる。
投票に行かなくなる。
といった悪循環に、ほとんどの国民がはまっているように感じる。
本来、国民が政治にもっと興味を持って色々な議論をし、政治家を自分たちで選ぶ、という意識があれば、政治家たちも緊張感を持ち、国民のために働かなければと思うだろう。
しかし、今はまったくそうなっていない。
一国の首相ですら平気で嘘をつき通し、時間が経てば国民は忘れるだろう、というスタンスで政治がなされている。
それを許しているのは確かに国民だが、その根底にあるのは、政治の話をタブー視させて、政治に関心を持たない国民を育ててきたことにあるような気がしてならない。
宗教も然りで、本来は信仰や考えの違う人たちの意見も聞き入れ、理解することで多様性を育むことができると思うのだが、そもそもそんな議論すら許さない雰囲気を作ってしまっている。
それが故に、「自分の意見を言えない日本人」が多いとも考えられるのではないか。
マスコミの言うことを信じて、我れ先にワクチンに飛びつく日本人が多いのも同じ理由が根底にあると思う。
いつ、誰が言い始めたかわからない「政治、宗教、野球のタブー」。
これが無くならないと日本は変わらない気がする。