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シシになる。内なる野生、魂を取り戻せ。
「令和5年のいま、デジタルもバーチャルも進むなかで、己の身体を使って魂を削って踊る姿に感動しました」
遠野まつりを見ていただいた方からそう言われた。おっしゃる通りである。身体を使わずとも、情報が取得でき、コンテンツが楽しめて、仕事もできる時代。こんな大変なことをわざわざやることもない。実際、踊り終わって酸欠になり、しばらく立ち上がれなかった。
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岩手や東北で継承されている郷土芸能「しし踊り」をはじめて6年。今年は、一年で一番遠野が盛り上がる遠野まつりで、20分にわたって2人だけで踊り続ける演目「雌(め)じし狂い」をはじめて踊った。
2頭のシシがメスのシシをめぐり闘う踊り。ライトアップされた夜の空間に、闘いを促す速いビートと掛け声、また観客の声援が飛び交う中、幕を振り乱して踊る2頭。踊ってる最中はとにかく必死で周囲を見る余裕などないが、後からじっくり映像を見て、はじめて自分が踊っていた空間を理解した。
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人ではない「シシ」になること。春から夏は継続的に踊る機会があるため、一年の半分弱は日常的にシシになっている。獣をかぶり、踊る。遠野に伝わって400年続いてきた芸能。時代が変われど、そこには続けられてきた意味がある。
自分が踊る意味、それは「内なる野生、魂を取り戻す」ためだと捉えている。これは人類学者の石倉敏明さんから教わった言葉である。かつては「動物」という言葉もなく、獣も植物も、人間も区別なく生きていた頃の「野生」を取り戻し、魂を振動させる行為。そのためには、人でないものに変わるというか、「戻る」必要があるのかもしれない。そのために人は令和5年でもシシになる。
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Photo by Ryo Mitamura
さらに、今年は自分のしし踊り団体だけでなく、遠野市内の他団体とも深く交流する機会があり、違う縄張りのシシたちとも対峙した。踊りも哲学も異なる部族。最終的には酒を酌み交わし、お祭りですれ違う時は会話をしたりハイタッチをしたりする仲となったが、お互いのプライド、守ってきたものが交差するスリリングな瞬間もあった(板澤しし踊りとの交流はこの先もずっと続くだろう)。
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Photo by Ryo Mitamura
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Photo by Kanako Suzuki
メスを奪い合う「雌じし狂い」もそうだが、誰かと対峙した時に、内なる野生は強く表出する。昔ほど自分の拳を使った喧嘩も少なくなっている現代において、自分の身体を使って他者と対峙する、ぶつかる機会はそうそうない。野生が表に出る機会も少ないのかもしれない。
獣の頃の記憶を呼び覚まし、他者と身体的に対峙する。それは、踊り手はもちろんだが、観てる方もその感覚をキャッチして内なる何かが揺さぶられ、感動するのかもしれない(涙する方が多くいた)。
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岩手は日本一郷土芸能が多いと聞く。遠野には60団体ある。人ではない獣、神様、妖怪とも共存し、時にそれそのものになる人々。
日常にしし踊りがあることでその野生を思い出せるように、この土地には未だ遠い昔の記憶が残り、これからを照らす懐かしい未来* があるのかもしれない。
これからも踊りつづける。
内なる野生、魂を取り戻せ。
*懐かしい未来