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28歳から33歳まで。独立2年前から独立後4年目(今)までの5年間の話。


先日、自ら事業をはじめたり、独立しようとしたりしている年下の友人たち(28歳、29歳)に、自分がどういうプロセスを踏んで独立し、その後を歩んできたのか話す機会がありました。

自分はいま33歳で独立4年目ですが、この4〜5年はポイントポイントでブログを書き、その時の心境などを綴っていたので、今回、節目のブログをご紹介しながら少し振り返ってみようと思います。

20代後半〜30前後は、これからの道について思い悩む時期かと思いますが(特に28、29歳あたり)、僕も最初からうまくはいかず、ひたすら考え、地道に積み上げていきました。その変遷が誰かの何かのお役に立てればと思います。



◎独立1年前(29歳)/ やる気満々



" 準備が完璧でなくとも、
たとえやや不完全だとしても
多少見切りでも
大事なのはまず打席に立つこと
なんじゃないかと。
これは自分自身に言ってるのですが
できるできないを言い訳にせず
とにかく前に進まないといけないな、と
そう思って今は今を生きています。"

2016年4月。
「独立1年前」は、仲間と一緒にプロジェクト「Next Commons Lab」を共同創業しています。このために岩手県遠野市に移住したのですが、この後まさか1年で独立するとはこの時は全然考えてませんでした笑。移住45日目。まだ生活にも慣れず右も左もわからないような状態でしたが、新しい仲間と一緒に新しいプロジェクトを立ち上げるぞ!という意気込みが伝わってきます。今思うと、まだこの時、打席には立ってないのですけどね笑。



◎独立直前(30歳)/ 挫折と歩むべき道

"この数ヶ月を振り返ると
とにかく、苦しかったなぁ、と(笑)
この「(笑)」がつけられるぐらいに、
話せるようになったのも、ごくごく
最近のことだったりします。

2016年度というのは、
移住、転職、プロジェクト立ち上げ、
それから結婚と、色んな打席がありまして。
とにかく休む暇は一切ありませんでした。"

話は飛んで1年後。先ほどの共同創業時のイケイケな勢いから一転…。このNext Commons Lab 創業の1年目はとても苦しい1年となりました。広告の仕事しかしてこなかった自分にとって、事業の立ち上げや起業家のサポートは負荷が大きく、慣れない暮らしや環境への適応も相まって凹みまくりました。

ただ、その結果、「自分がやりたいこと、得意なことをやろう。てか、やらないとダメになる」と原点回帰して、広告やデザイン・企画など前職の経験を活かしたプロデューサーとして独立に至ったので必要なプロセスだったと思います。ただ、予想以上に早い独立。本当に仕事つくれるのだろうか…と心配で仕方なかったです。


◎独立1年目の終わり(31歳)/ がむしゃら


"この1年の仕事は、ガイドブック、組織のブランディング、パッケージ、ポスター、POP、Tシャツ、ポストカード、インタビュー&ライティング、商品開発、動画制作、写真撮影、ツアーの現地コーディネート、組織のファシリテーション、新規事業の企画、クラウドファンディング(380万円達成)、WEBサイト。

で、この中で東京で経験がある仕事はWEBサイト制作のみ。※ここ重要
つまり、99%が初めての仕事だった。これは意外と知られてないというか、初めて公にすることかもしれない。"

そんな心配しかなかった独立から1年が経ちました。この1年間が振り返ると大きなターニングポイントだったと思います。いただいた仕事が名刺がわりとなって次の仕事につながり、またその仕事を一生懸命やってという繰り返し。ただ、実はほぼやったことのない領域ばかりでした。やります!と言って追っつけるスタイルで、岩手のデザイナーさんやライターさんなど色々な方に助けてもらいましたが、この時、仕事の幅はめちゃくちゃ広がりました。

振り返ると線になっていますが、その時は点しか見えてませんでした。ただ、自分の得意なプロデュース業で地域の方に喜ばれるということが何より嬉しかったです。1年目が終わるころ、これはいけるかもしれない、と手応えを感じるようになりました。



◎独立2年目の途中(31歳)/ まだまだ途中

"なぜなら、いま取り組んでいるものは、プロモーションする対象こそバラバラだけれど、根底はすべて同じスタンスで取り組んでいて、数年後にそれらが融合していくイメージがあって。その融合する時がシーズン1の最終章的な感じなのかなと思っている(全然関係ないが、妻はバチェラーにハマっている)。

いずれも根底にあるスタンスというのは、シンプルにいうと「地域性を感じられるものをつくる」ということ。

遠野は、『遠野物語』の物語性、異界感、里山的自然、古くから伝わる習わし、日常生活の中の郷土芸能、生活文化、農業、手仕事などの古きよき文化が詰まっている地域性が際立った場所であり、そこから生まれたものをプロモーションする際には、その辺りをきちんとストーリーづけてあげたいなぁと思っている(当たり前のことだけど)。その方が情報の受け手には届くし、心に残る。

なので、現在、種蒔き中の地域性を感じられる様々なコンテンツがやがて芽を出し、オセロがひっくり返るように同時多発的につながるとき、遠野の魅力が今よりも重層的に、強く伝わると考えている。"

独立2年目の途中。独立してから1年半頃に書いたブログを読むと、最初の1年間頑張ったことと、後の事業にもつながる『遠野物語』との出会いもあって、自分がやるべきこと、やりたいこと、この先もやっていきたいことの解像度がかなり上がっていることがわかります。やはり1年半ぐらいは時間がかかるのかもしれないですね。

そして、今もその感覚はありますが、今やっていることが積み上がり、シーズン2、シーズン3と進むに連れて、繋がり融合していくイメージを持ちながら取り組んでいる感じになっています。先日、前職時代の先輩と話していて思いましたが、地域で仕事をする醍醐味は、自分がチャレンジした結果生まれたものや変化が、地域の中で蓄積されていくことだと思います。蓄積されるから未来にも投資できる。その感覚が面白いと思います。


◎独立2年目の終わり(32歳)/ 実績と自信

"そんなプロデュース業をしている富川屋ですが、改めて提供できることを整理しました。これまでは企画/制作が中心でしたが、昨年からコンサルティング業務でお客さんの社内会議に参加したり、ビジュアルコミュニケーション全般のサポートをしたり、事業者さん向けのセミナー講師として一緒に情報発信のあり方をお客さんと考えることも増えてきました。

カッコいいデザインやいい制作物をつくることも大事だし好きなのですが、上記のようなニーズをふまえると、お客さん側(クライアントサイド)に寄り添って、情報整理や方向性の設定を一緒に進めていく部分で自分が最も貢献できるのかもしれないな、と思うようになりました。"

独立して丸2年が終わる頃のブログです。我ながらいいブログだと思います笑。プロデューサーとして岩手ADCのグランプリも獲ることができたり、遠野小学校の全校演劇が成功したりと、2年目は大きく飛躍しました。

このブログでは、そんな2年間積み上げてきたものを要素分解して、プロデューサーの役割を言語化しています。この裏にあるのは、「プロデューサー」という職種のわかりにくさです。デザイナーでもカメラマンでもない、この人は何をしているの?という部分が見えにくい職種No.1(自分調べ)。独立3年目に入るにあたり、もっとしっかりと仕事を生み、続けていけるための情報を整理していた感じです。

また、「これから力を入れたいこと」で書いてある3つ「商工会との連携」「顧問プロデューサー」「セミナー」は、プロデューサーと生きていくためには必要なことでしたが、1年後には、県の専門家派遣(商工会との連携)、広告代理店の常駐プロデューサー/プランナー、プロデュース塾「考えて動かす学校」 として実現しています。この時色々な方にご相談し、動いたことが今に繋がっています。よかった。


◎独立3年半(32歳)/ 法人化。本気。

"そこから今後の事業化について考える中で、
今の世の中・時代の中で、確固たる存在として立ち、表現し、対等に関係しあえ、なめられず(冗談のようだけど本気。個人事業主だと度々そう感じることもあり)、そして自分の背中に一本の筋を入れ、これからの活動に自ら発破をかけるために、株式会社で法人化しようと思うに至りました。(これが9月後半ぐらい。そこから準備を進め12月に至ります)"

独立から3年半。いよいよ法人化をしました。
その理由としては、大きな企業や行政などの組織と仕事をしていく場合、どうしても対峙する際に個人事業主だと限界を感じるところが多かったからです。また、遠野で起業している尊敬する仲間たち(遠野醸造、Brewgood)はみんな株式会社化していて、リスクを背負って戦っているのを見て、自分もリスクを背負わなければいけないタイミングだと思ったのもあります。

また、この時、法人化して事業を整理したことで、自分一人でやり続ける限界も見えてきました。経営、経理、アシスタント、ツーリズム、商品開発、SNS運用など。それらを担ってくる仲間集めと、そのための資金調達に向けてこの後動いていくことになります。



◎独立4年目(33歳)/ 仲間集め

"何もしなければ消えゆく地域文化に対し、その現場にある地域資源を活かしてどう今の時代に合わせてアップデートしていけるか。それは日本全体の課題でもあり、取り組むべき価値のある大きなチャレンジです。今回、協力隊として地域文化プロデューサーを募集するに至ったのも、富川がその価値やポテンシャルを強く感じていて、今、その仲間を増やしたいと思ったからです(1年前から行政に打診してきました)。"

独立1年前のブログから、ようやく現在にバック・トゥ・ザ・フューチャーしてきました。

先ほどの法人化ブログは独立3年半のタイミングでしたが、そこからの半年間は、 <事業を整理(富川屋の4つの柱:企画/制作事業、研修事業、ツーリズム事業、商品開発事業) → 仲間が必要 → そのためにお金も必要 → 資金調達&地域おこし協力隊でのプレーヤー集め> をしてきました。

ヒト・モノ・カネとはよく言ったもので、人とお金がないと事業は前に進みません。現在はその事業ごとに一緒に動いてくれる仲間が見つかり、加えて経営、経理、アシスタント、SNS運用などのサポートメンバーもいます。プロジェクト毎も含めて、富川屋に常時関わってもらっているメンバーは現在9人です。

本当にありがたいですし心強いです。また若い世代も多いので、彼女たち彼らの舞台も用意していきたいと思います。


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以上、独立から4年間の歩みを並べてみました。
こう見ると、なかなか面白いですね。

東京から移住 → 共同創業 → 1年で独立 → 頑張る → 法人化 → 仲間集め みたいな流れだったでしょうか。その都度、壁に当たりながらもなんとかコツコツバチバチ戦ってきたように思います。

このブログは「打席に立ちます」というタイトルでスタートしたのですが、振り返ると、とにかくたくさん打席に立ちました。サッカーでいうと、J1からJ2の地方チームに移籍して、とにかく試合に出まくったイメージでしょうか。

地方は生活コストの低さやプレーヤーの少なさと課題の多さが共存しているので、必然的に色々なことにチャレンジしやすい環境であると思います。とにかく一生懸命チャレンジし、経験を積み上げるサイクルをどんどん回していく。それが移住して地方でステップアップするポイントかもしれませんね。


大丈夫です。振り返ると、点は線になっています。


以上、長文&すこし先輩風を吹かしてしまい失礼しました。
ここまでお読みいただいた方々、ありがとうございました!
何かの参考になればと思います。



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さて以上となりますが、参考までに番外編です。独立する2年前。まだ28歳の頃のブログです。20代後半&移住前は自分のやりたいことの解像度が粗く、モヤモヤし、すごく焦っていましたね。

【番外編】独立2年前(28歳)/ モヤモヤ

"地域の何かや、古いものが、きちんと良いものであると、
伝わるような事を仕事にしていて、流行ものや量を追わないで、古くても本質的な事、質の良いことと向き合った仕事をして"

"絶対に泣ける、こころ揺さぶられる案件を今年は作りたい。自分が広告の中で一番好きなSONYの「歌え、10代。」をつくりたい。こんなん作ったら試写の時点で号泣です。
https://www.youtube.com/watch?v=1sGoOBGg9r8  "

今の原型がおぼろげながら読み取れますね。
岩手に、遠野に移住してよかったです。

28歳の自分へ。
最新の仕事は、高校生を応援する仕事ですよ。


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