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芝井 敬司「ことば、本、読書」【全文公開】

芝井 敬司(しばい・けいじ)――学校法人関西大学理事長
1956年大阪市生まれ。京都大学文学研究科中途退学後、同大学助手。関西大学学長を経て学校法人関西大学理事長。専門は西洋近現代史。著書に『新版 新しい史学概論』(昭和堂、共著)等。

ことばと文化

 本の世界について考える前に、大事なことを確認しておきたい。
 一般に、言語はコミュニケーションの手段だと考えている人が多いように感じる。たしかにそのこと自体は間違いではない。『広辞苑』で「言語」を引けば、「人間が音声や文字を用いて思想・感情・意志等々を伝達するために用いる記号体系」と書いてあるのだから。しかしながら、私たちがことばを単なるコミュニケーションの手段でしかないと考えている限り、ことばや本、そして読書の重要性について、考えを広げ深めていくことはできない。
 長田弘は『読書からはじまる』のなかで、「わたしたちは日本という国に生まれたと思っていますが、そうではなく、日本語という言葉のなかに生まれたのです」と書いている。そして、「肝心なのは、どこの国の人かということより、一人一人がどういう言葉のなかに生まれ、どういう言葉によって育てられて、育ってきたかです」と指摘している。つまるところ私たち人間は、「言葉のなかに生まれて、言葉のなかに育ってゆく」生き物だと、長田は断定する。

 ことばと人間のこうした関係は、少し広くとらえてみると文化と人間の関係にたどり着く。文化人類学者のクリフォード・ギアーツは、『文化の解釈学』において、マックス・ウェーバーに同意しながら、「人間は自分自身がはりめぐらした意味のクモの巣のなかにかかっている動物であると私は考え、文化をこのクモの巣としてとらえる」と述べている。それゆえ、私たち人間は文化のなかに産み落とされ、文化のなかで育ち、ことばのなかで育てられる存在であるということになる。つまり人間存在にとって、ことばは欠くことのできない要素であり、長い歴史を背負った人間の文化の中核をなし、時に私たちの人としての成長を気遣い保証してくれている母そのものなのだといえる。
 そうであるならば当然のことに、ことばは単なるコミュニケーションの手段ではない。それは、私たちの認識を形成し、思考を育む。ことばは、その記号体系が有する認識や思考の枠組みを、私たちに教える。そもそもことばがなければ、事物や概念を認識したり、ものを考えたりすることなど、まっとうにはできないだろう。事物には名前がなく、概念認識があやふやで、概念操作ができないのであれば、それは私たちが思考できないということになる。
 私たち日本語話者の多くは、母語である日本語によって事物や概念を認識し、ものを考えている。たいていの人間は母語なしに思考できないことになる。いやそもそも、ことばなしには事物や概念の認識すら危ういのである。新しい事物や概念に名前を与える行為が、その人あるいはその社会の世界観に関わって時に重要な意味を帯びるのは、ことばと認識・思考とが、人間精神のなかで深くつながっていることを表している。こうした意味において、私たち日本語話者は、日本語の世界に産み落とされ、この社会の文化のなかで、ことばによって育ち育てられる存在に他ならないのである。

ことば、そして本

 二〇二四年三月四日に、全国大学生協連が発表した第五九回学生生活実態調査(概要報告)によれば、二〇二三年秋の調査時点で、一日の読書時間を「ゼロ」と回答した大学生は、四七・四パーセントだった。読書ゼロの大学生は、二〇一三年に四〇パーセントを超え、二〇一七年には五〇パーセントを超え、その後も四〇パーセント台後半に張り付いている。今や、ほぼ半数の大学生には本を読む習慣がないという残念かつ悲惨な結果である。全国の国公私立三〇大学約一万人の学生から得た回答を集計した結果であり、ほぼ最近の大学生の読書実態を反映しているに違いない。
 いったい全体、かれら大学生たちは自分の将来について、真剣に考えたことがないのだろうか。少しでも真剣に自分の将来のことを考える人であれば、学生時代のうちに本や新聞をしっかりと読む習慣を身につけることが、どうしても必要だと分かっているはずだろう。言うまでもなく、本を読むことは大学生にとってもっとも大事な基礎作業であり、また間違いなく自分自身の成長につながる。知識が増えるだけではなく、理解する力や考える力も養われ、コミュニケーション能力や表現力も確実に高められる方法に他ならない。お金はかかるが、そんなに高くつくわけではない。机に座っても、電車のなかでも、ベッドのなかでも本は読むことができる。
 ちなみに、一般にアメリカの大学生は、授業科目ごとにまとめられたリーディング・リストを受講時に渡され、平均して一年間に一〇〇冊、四年間で四〇〇冊ほどの関連書物を読みこなすよう求められる。レポートや試験のためだけではない。大学生としての基礎知識を身につけ、ある特定のテーマについて議論する場合には、そのテーマについて学生個人が十分に理解した上で自身の意見を持つために必要だからだ。端的に言って、学生の知的成長の中身とはこういうことだ。

読書離れと一〇〇冊の本

 先に触れたように、全国大学生協連が発表した学生生活実態調査において、読書時間を「ゼロ」と回答した大学生が初めて五〇パーセントを超えて五三・一パーセントとなったのは二〇一七年のことだった。当時、学長職にあった私は、その結果に大きなショックを受けた。そこで新入生に向けた四月の入学式の式辞を急いで書き換え、読書の意義について新入生に私のメッセージを伝えることにした。
 「あなたが自らの人生を大切に生きていくために、私たちは今回、一〇〇冊の本をリストアップしました。私が学長として二〇冊、さらに紀伊國屋と丸善雄松堂の二つの大手書店のご協力を得て、書店の目利きの方からそれぞれ四〇冊を推薦していただき、『新入生に贈る100冊』と題したパンフレットにして、いま皆さんの手元にお配りしています。」
 ところで、一〇〇冊の本といえば、私には忘れられない思い出がある。今から五〇年前、高校の卒業式を控えた私は、国語の先生から「私が薦める100冊の本」と書かれたガリ版刷りのプリントをもらった。著者、タイトル、出版社がびっしりと書き込まれたプリントをもらった私は、大学に合格してから、なけなしの貯金をはたいて薦められた一〇〇冊を買い求めた。一日一冊のペースでこなしていって、一回生の夏ごろには読み終えた。あくまで記憶の限りだが、トルストイやドストエフスキー、バルザックやスタインベックもあった。三島由紀夫や安部公房、大江健三郎や倉橋由美子もあった。シュリーマンの『古代への情熱』やロバート・オーウェンの『オウエン自叙伝』も心に残っている。
 この一〇〇冊の本のなかには、今も忘れることのできない思い出となっている作品がある。三浦綾子『塩狩峠』を読んだとき、私は大学から帰る途中の京阪電車のなかだった。『塩狩峠』は、一九〇九(明治四二)年二月に、北海道で実際に起こった鉄道事故を描いた小説だが、クライマックスで私の心は強く揺さぶられ涙が止まらなくなり、最後はしゃくりあげるようになるのを唇をかんでこらえていた。
 私は、入学式の式辞を以下のように結んだ。
 「あなた方は、身分・形式上の大学生ではなく、本物の大学生になるために、これからずっと本を読まなくてはなりません。お金をやりくりして、これはという本を買わねばなりません。本や新聞を読まない人を生涯の友人に選んではなりません。まったく本や新聞を読まない人を、会社が喜んで採用してくれるでしょうか。まさか、本や新聞を読まない人と結婚して、家庭を営むかけがえのない生涯の伴侶とされるつもりではないでしょうね。やがて、あなたが家庭を持ち子どもに恵まれた時、自分の子どもを、まさか本や新聞のない家庭環境のなかで育てるつもりではないでしょうね。もし今、あなたに本を読む習慣がないのであれば、今日から本と向き合う決心を固めてください。それこそ、これからあなたが自らの人生を大切に生きていくために、今しなくてはならない大事なことです。」

本の役割

 本はことばである。文化の中枢をなす母語の世界が精妙に織りなされている。どうか尊敬の念をもって本に向き合い、ことばに親しみ楽しんでほしい。私たちがこの社会の伝統を受け継ぐというのはそういう心構えを持つ読書行為に相違ない。
 本は単なる情報ではない。分かりやすい雑多な「知識のかんづめ」や、さまざまなノウハウを網羅している「お役立ち本」としてあるわけでもない。本物の読書は、私たちの心を世界に開き、歴史に広げてくれる。そしてそのことによって、今を生きる私たちの認識を鍛え、思考を促す。その時、ことばで成り立っている本は、私たちに認識と思考を約束してくれる。
 時に本は師である。私淑ということばがある。多くの場合、地理的にあるいは時間的に遠く離れているために、直接教えを受けることはできないが、その人を師として秘かに尊敬して、模範として学ぶことを意味する。私淑する人のことばを集めた本は、文字通り師そのものに他ならない。本のおかげで、私たちは時空を超えて交流し、学ぶことができる。
 そして本は、時に友のような存在である。友との出会いによって生まれ形成される人生があるように、本との出会いが生み出すあなたの豊かな人生がある。つらく悲しい時に、友の一言に救われるように、本はあなたを勇気づけてくれる。

―『學鐙』2024年秋号 特集「“読む”の諸相」より―

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