山口 謠司「「経」を棄てるか」
はじめに
「経済」という言葉が「経世済民」を意味した時代が終わったのはいつだったのかと思うことがある。
「経済」は、もはや「世を経て、どんな時代が来たとしても、人々を済う」ことから、「利益」を追求するものでしかなくなってしまった。
人文科学、社会科学、自然科学などという分野でそれぞれの学問が分化し、さらにそれぞれの「専門」が極端に狭くなり、研究者同士の話が通じなくなってしまった。そして、研究教育が基軸であったはずの大学で、毎年「助成金」「科研費」「研究費」など、お金のことばかりが話題になる。
明治維新から百五十年余、わが国は、今、大きな岐路に立たされているのではないか。あるいは、わが国は、もしかしたら、これまで我々の先祖たちが培ってきた「文学」を蔑ろにすることによって、間違った方向に進もうとしているのではないかと思うのである。
少子化や高齢化社会、また国際関係なども含めた現前の大きな問題も、もし、本来の「経世済民」という意味での「経済」が篤く語られていたとしたら、問題として取り上げられることになる前に、解消していたのではないか。
さて、少し、明治維新前後の逸話を紹介しながら、混迷する令和の時代に生きる我々が何をどのように考えればいいのかということについて話をしたい。
―『學鐙』2023年夏号 特集「いま私たちが学ぶべきこと」より―
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