尾島 巌「現代版「和魂洋才」のすすめ」
光陰矢の如し。筆者もいつの間にか喜寿を祝い、じきに七十八歳になる。米国大学で研究・教育に携わっているお陰で定年は無く、自分のエネルギー、研究費、研究指導を依頼して来る大学院生、博士研究員が続く限り現役で居られるので、現在も多忙な生活を楽しんでいる。ただ、大学院で研究を始めた頃に日本化学会、米国化学会の会員になったが、既に五〇年を超え、ニューヨーク州立大学に招聘されてロングアイランドにあるストーニーブルック校に赴任してからでも四〇年になる。そう考えてみると、筆者も若い世代の高校生、大学生、大学院生達と彼らの教官達に先達としてメッセージを残すべき歳になったのかも知れない。
二十一世紀に入ってから十年程経った頃、日本の社会、特に研究・教育分野で頻繁に問題提起、議論されていたのは、日本がその当時直面していた「グローバル化」への対応の遅れに関するものであった。筆者の記憶によるとこの標語(当時は「国際化」)は一九八〇年代末から頻繁に使用されており、この常識と思えることが特に高等教育の場でいまだに実現されていない状況に驚かされた。二〇一〇年当時「国際化アレルギーを克服せよ」との掛け声が聞かれたが、これは実用的英語教育と大学院国際化での著しい立ち遅れを明確に反映していた。ところが、それから十年以上経過した現在でも「グローバル化」への対応の遅れは解決されておらず、かえって状況の悪化を示すデータが多くの分野で示されている。
―『學鐙』2023年夏号 特集「いま私たちが学ぶべきこと」より―
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