サリ・アガスティン「私の召命と日本への派遣」
日本にキリスト教を伝えたイエズス会士フランシスコ・ザビエルは来日前、インドのゴアを中心に活動をしていた。スペイン人のザビエルはポルトガルからインドのゴアにやってきて、「人々の救いのための福音」を宣べ伝えた。ゴアからさらに東に目を向けたザビエルは港町マラッカでアンジェロ(弥次郎)という日本人に出会い一五四九年八月一五日に鹿児島に上陸した。ザビエルは日本で約二年間宣教活動を行うと共に、東西文化、社会をつなぐ役割も果たした。後の日本におけるキリスト教迫害、鎖国時代を経てのイエズス会の再到来は一九〇八年である。その五年後の一九一三年に上智大学が創設された。それからおよそ九〇年後の一九九七年八月にインドから一人のイエズス会員が日本に派遣された。それが当時インドのプーナという町でイエズス会員として養成中だった私である。このことは私を歴史上の人物であるザビエルと日本に繋げた人生の一つの転換点だったと思う。
私の原点は、父が経営していたレストランで働きながら高校に通っていたことだと思う。私はインド・ケーララ州の敬虔なカトリック家庭に生まれ育った。当時の私は「勉強して大人になったら親を助けたい」という単純な目標しか持っていなかった。インドは多宗教・多文化の共生社会である。両親には厳しい環境でも「信仰」と「信頼」をもって、より良いものを目指すことを教えてもらったように思う。そのうちに親を経済的(物質的)に助ける必要はなくなり、人生は思わぬ方向へと向かった。しかし、その「信仰」と「信頼」が私を自立した大人として成長させてくれたことは確かだ。
原点はほとんどの場合、「与えられるもの」であり、それはありのまま受け入れざるを得ない。どのように転換点につなげていくかは自分次第である。親も兄弟も生まれた場所も時間も自分が選んだものではないから。しかし転換点は自分が「はい」(応えること)を通して迎えるものだ。つまり、人生という旅路では原点から始まり多くの転換点がつながって道をなしていく。私の人生のいくつかの転換点について分かち合いたい。
―『學鐙』2024年夏号 特集「私の原点、転換点」より―
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