舞姫から見る臆病なモーレツ社員
『上司の命令があれば地球の裏側でも飛んでいくのが、サラリーマンの鏡だ』
私の父はそう言って、仕事に励んでいた。朝早くに出勤し、終電で帰るような生活をしていた父は幼かった兄に「今度はいつくるの?」と言われたらしい。私が小学生になったころ、彼は単身赴任で日本中を飛び回っていた。いわゆる家族との時間を犠牲にして仕事に精を出していたのだ。私が生まれてから大学を卒業する間で父と過ごした時間は5年もないだろう。
森鴎外の『舞姫』は、ドイツに留学していた日本人が、現地の貧乏な少女と恋愛に落ち、孕ませるが、彼らを捨てて日本に帰っていくというストーリーである。
主人公の豊太郎は検束に耐えて学業と仕事に励んでいたのだが、それは功名心からではなく、使命感のようなものが原動力であった。そして、その使命感を後押ししているのは、周囲が期待するような道から逸れることを恐れる臆病な気持ちである。
少女と恋に落ちてしまい、彼の人生は大きく変わった。職を失って学費が払えなくなったのだ。しかし、彼女との生活は愛があり、決して嫌ではなかった。ただ、留学して何も得るものがなく日本に戻るのは恥であると彼は思い、友人から仕事をもらうのだ。それをこなしているうちに、彼女と出会う前の潮流にもどるように、仕事がうまく運んでいった。
そして、仕事の都合上で日本へ帰るか、少女とその子を選んでドイツで生きるかを天秤にかけるのだが、彼は即座に帰郷を決意した。彼は少女のお腹に子がいること、少女の彼に対する愛が深いことを知っていた。けれど、彼は単に自身の生きやすい、検束的な生きかたを選択をしたのだ。
私の父は上役からの期待に背けない臆病心や、家族に不自由のない暮らしをさせてあげたいなどの様々な感情があっただろう。そして、父は私たち家族と長い時間を過ごすより仕事に励む道を選んだのだ。おそらく、それが彼にとって生きやすかったのだ。
私は父と多くの時間を過ごしていないが、何一つ恨んでいない。もし父が私のことを想い、定時に帰宅したり、転勤を断り家族で過ごす時間を長くしようとしていたら、私は自分を責めたに違いない。それは、私が父の行動の妨げになっていたことを意味するからである。
欧州の働き方が正しいのでワークライフバランスが人間の最上の生き方といって、猛進するのでなく、ワーカーホリックもワークライフバランスも、その人に合った生活の仕方を模索できる社会が作れたらいいのになぁ。
文章はつたないし、わかりにくいかもしれないけれど、内容の構成はきれいにまとまった。ただ、残念なのはこの文章にユーモアがないことだ。そして、今書いている文章は全くの蛇足である。
自分の意見 キャッチーな言葉 具体的な例 教養や学術 ユーモア がそろえばいいノートになるだろうが、このノートにはユーモアがない。
最近、落合陽一氏が提唱しているワークアズライフも触れた方がいいのかもしれない。しかし、具体的な例は何も思いつかない。なので、ワークアズライフの私なりの解釈だけする。アズは前置詞でライフに掛かっている。
以上