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曖昧さが動かす力
西元 舞(2年/事業委員会/大東文化大学体育会サッカー部)
平素より東京都大学サッカー連盟の活動にご理解・ご支援賜り、心より感謝申し上げます。
事業委員会所属、大東文化大学体育会サッカー部2年の西元舞です。
学連活動を中心に書こうかと迷いましたが、私はこれまでを振り返り、感じていることを綴りました。
少々長くなるかもしれませんが、気が向いた時に読んでいただけたら幸いです。
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私にとって、「好きかどうかわからない」という感情はすごく大切なものです。
あまり人に言ったことはありませんが、元々サッカーが「好き」なわけではありません。休日に試合観戦をすることはありますし、周囲の人や物がサッカーで溢れている環境にいる以上、「好き」の範疇には入るでしょう。
ただ、四六時中試合を追うわけでもなく、戦術やデータを語れる熱狂的なファンでもない。知識も経験も決して豊富ではない、そんな自分が、気づけばこの世界で生きています。
ですが、私がサッカーに関わり続けている理由は誰にも、そして自分自身にも説明できたことはありません。
兄二人がサッカーをやっていた影響もあり、「なんとなく」高校から始めたサッカー部のマネージャー業。そこから今に至るまで、部活動や連盟の活動に加え、Jクラブや社会人クラブ、スポーツメディア会社での仕事に携わる機会をいただきました。試合運営からマーケティング、広報、営業、ライティング…。有難いことに幅広い経験を積ませていただきました。
スポーツの華やかさと厳しい現実の間に横たわるギャップを感じつつ、それでも得られるものの多さに感謝しています。その過程で得た経験や苦労は、確かな財産であり、間違いなく自分を成長させました。浅い視点ではありますが、色々な世界を垣間見ることができました。
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スポーツ業界の仕事は「好き」という単純な感情だけでは乗り越えられないことが多々あります。時間、労力、対価、どれをとっても「割に合わない」場面ばかりです。心からの情熱や強い目的意識がなければ、簡単に挫けてしまう仕事です。仕事の現場には、熱狂的な感情を持つ人たちが多くいます。「サッカーが大好きだからやる」「目標や夢のために頑張る」という明確なモチベーションがある人たちです。
ですが、私自身、スポーツビジネスに対してはあまり「しっくりこない」というか、「ハマらない」部分があります。深く没頭することもなければ、心から「これだ」とスポーツビジネスの仕組みに特別共感しているわけでもない。なのでこの世界にいると、自分の「曖昧さ」が、時に後ろめたく感じることもあります。
「好きかどうかわからない」という感情。普通ならば、それは中途半端で心許ないものだと思われるでしょう。
それでもこの仕事をしている自分を「おかしい」とは思いません。それどころか、少し誇りにすら思うのです。
今日まで「なぜ私はサッカーに関わり続けているのか」と、自分に問いかけてきました。
以前、あるクラブの社員の方に「ここまで関わっているのなら、それは好きってことじゃない?」と言われたことがあります。そのとき私は「そうです」と自信をもって答えることはできず、「うーん、そうなんですかね?」と曖昧に返したのを覚えています。
好きとは言い切れない。けれど、サッカーの一部分、一瞬、あるいはその空気感にふと惹かれることがある。葛藤や迷い、そして得られる喜びや発見。それは私にとってかけがえのないものです。
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それが「好き」という言葉で括れるものなのか、それとも別のものなのか。ただ確かなのは、その曖昧さが私をこの場所に留め、前に進ませているということです。
それが何なのかはわからない。理由なんて見つかるのかもわからない。けれど、その「何か」を探し続けている自分が好きです。この曖昧さを受け入れ、それを力に変えていく自分を信じています。
なぜこの世界にいるのか、なぜ仕事を続けているのか。
サッカーは私にとって答えではなく、問いそのものです。
「好きかどうかわからない」
だからこそ見える景色があるし、この先も問い続けていく自分を楽しみにしています。
拙い文章でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。