かっこいい存在
棚橋憲典(4年/競技委員会/成蹊大学体育会蹴球部)
私事ですが3年間学生幹事として活動してきて感じたことを思いのままに綴らせていただきます。
お付き合いください。
この東京・神奈川大学サッカーリーグにおいて
学生幹事は「必要不可欠な存在」であると疑いなく思える。
でも、
それを実感できるかどうかは別の話。
やっていることの大半は、人の目には触れないような地味な作業。
同じようなことを、ミスの無いように丁寧に繰り返す。
時にはスピード感が求められ、自身のキャパを超えてしまうこともある。
誰かがやらないといけない。
こんな使命感に駆られて自分の時間を犠牲にすることも少なくなかった。
「学生幹事はサッカーが下手」
「選手としての活躍を諦めた人」
時にはこんな言葉も耳にした。
悔しかったし、選手としてもっと頑張りたいと思うようになった。
次第に、
この役割が自分じゃなくてもいいように思えてきてモチベーションの維持が難しくなった。
やりがいがない訳ではないけど、、、
自分は連盟活動で何を目的としているのだろうか。
自ら学生幹事をやると決めたのに本当に情けない。
途中までこう感じていた。
でもそれは間違い
すべて自分に言い訳しているだけだった。
楽しいと思えない、やりがいを感じない。
これらはすべて自分の取り組み方に原因があるのかもしれない。
自分の周りには
いつも同じテンションでいる人
何かしらの信念やこだわりを持っている人
どんな時でもでも頼りになる人
選手としても学生幹事としても手を抜かない人
こんな仲間たちがいた。
うらやましいと同時にかっこいいと思った。
やりがいや目的を自ら見つけている。
人のせい、環境のせいにしない。
決して受け身ではない。
自分にはこの姿勢が足りなかったと気づかされた。
それからは
自分にとっての学生幹事としてあるべき姿を追い求め
自分にできることを考え続けるようになったと思う。
いま振り返れば
自身に言い聞かせ、慰めようとしているだけだったのかもしれない。
それでも、
自然とこの連盟活動に対する向き合い方が変わった。
そして、
自分の中で学生幹事という存在に新たな価値を見出せるようになった。
サッカーにはいろいろな関わり方があるが
最も注目を集めるのは、競技者であり試合だと思う。
多くの人はその結果に期待し、闘う姿を見に来る。
そして選手だけでなくマネージャーや応援が作り出すあの熱気に心を動かされる。
では学生幹事とはどんな関わり方をしているのか。
学生幹事が試合に関われるのは”準備”だけ。
試合が円滑に行われるように尽力する。
当日のアクシデントに対応できる範囲には限度がある。
だから準備に時間をかけて””必然”や”想定内”を増やし
最大の準備で最高の舞台を用意する。
主役ではなく、目立つこともない。
むしろ気づかれないことのほうが多い。
試合をつくる当事者でないが、陰ながら支える存在。
これほどかっこいい存在は他にあるだろうか。
この3年間、
自分はそんなかっこいい存在の一員として活動してこれたのかもしれない。
本当に最高の舞台を用意することが出来たのか
もしかしたら選手としてだけ取り組んでいれば何か違った景色が見れたのかもしれない
いくら考えても分からないしどちらが正解だったのか、今だけの自分では判断できない。
だが自然と
ここでの経験が何にも代えがたいものだったと、
この先の自分の指針となるほどの体験だったのではないかと思ってしまう。
学生幹事を続けた意味があった、続けて良かったと思える。
たとえ実感がなくても確かに必要な存在。
それぞれが様々な思いを抱えながら自分の役割を全うしようとして、
責任というほど大層なものでなくても、
その思いや行動が積み重なって一つの形になっていく。
学生幹事のみならず、そんな存在はたくさんいると思う。
だからこそ、
直接の関わりがなく感謝の気持ちを持つことは難しくても
目の前の人に対して敬意を持って接していきたい。
そして、
自分にできることを考え続け、誰かを陰ながら支えられる存在になりたいと思う。
そう思わせてくれる3年間でした。
最後に。
この活動で多くの人に出会い、学び、特別な時間を過ごすことが出来ました。
今まで辞めずに活動してこれたのは間違いなく学生幹事の仲間や社会人スタッフのおかげです。関わってくださった皆様、本当にありがとうございました。
本当に学生幹事は魅力ある素敵な組織だと思います!
これからも大学サッカーを盛り上げるためにご協力、応援のほどよろしくお願い致します。
まとまりのない拙い文章でしたがお付き合いいただきありがとうございました。
この「学生幹事ブログ」を通して、連盟内の魅力を皆様にお伝えできていれば幸いです。
棚橋憲典