変わらねばならぬ。
これまでの立て方や組み方と、これからのやり方。
昨日の会議にていくつかの話題から感じたのですが私にこれまでの
やり方を変えていかないと、慣れ親しんだやり方ではこれ以上は大きくなれないということに気づいてしまいました。
仲間との判断基準の大きさに自分の在り方を見直したら
自分の器を広げることが必要なフェーズにやってきたんだなと感じます。
え?なに?今頃?と言われそうですが私にはこれだけの時間が必要だったなと感じますし、私が今までこうじゃなかったら、これまでのやり方もまず第一歩目は成り立たなかったから。
手持ちのものが何もない時に近くにある、手にしているものを必死に集め使いこなしてきたけれど、よりよくするために、快適に行うために、そしてより自由に進めるために新しいものを買ってでもそこにお金をかけて、いい環境をカスタマイズする、という段階なんだろうなと感じています。
まず、一歩踏み出し。手にしているもののなかから生み出してきたけれども。そして多くの方に私の気持ちで相手の気持ちで協力をお願いしてきたけれども。
それでうまく行かないときがごく時にあるのは、もうその段階からの卒業だよっていうお話なんだろうなと思います。
新しいものを買って使えば、みんなが快適になるであろうに、え、、、これ捨てちゃうの?こんなに大事につかってきたのに?って思うようなそんな戸惑いです。
実際はモノではなくてやり方断捨離。
人は変わりたくない生き物だ、だから変わろうとする人に対し、引き留めにも入る。そして自分のなかでも、いまのままでいい、という感情が起こる。
コンフォートゾーンを抜けるという言葉をよく聞きますが
コワがりながらもそれをしていくことが、自分の今後にとって必要で、そうしないと居られないからそうするんだろうなと思います。
新たな発達をするところに立ったとも言えるこれは、喜ぶことだと思います。何だろうな、この痛みは。
卒業式の時のようなこれまでのような自分ではいられない寂しさ。
ただのしがみつきだと思いますが、自分の思考を変えるために。うーーーん、がんばる。
よっぽど過去回想型で、持っているものを手放せない人なんだなと思いましたが、そこはココどまりになるので軽くならないと、ね。
「ずっと変わらないままでいるねと、すっと言われ続けてる生き方」
だけれども。
気づいてしまったのであれば
「輝いた瞬間を忘れない」まま
「昔のままではいられない」
仲間のやり方を、考えを間近に見せてもらえて感謝です。
いっぱい学ばせてもらっています。
ただわたしのやり方は全然間違いじゃなく、だからこそここまで来てる。
そしてここから
大きくなるには
わたしがこのメンバーの中でやっていくには。
まあ、自分の頭のなかを変えて器を大きくするためには、そっちがいいに決まっているんだから。まあ、これは当然の努力です。(ぐずぐず、ぐずぐず)
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