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恋愛しても、他人事。

島本理生さんのRedを読みました。
大人向けとは知っていたけれど、かなり大人向けだった。(?)

本の中で一つのテーマとして結婚があったと思う。結婚すること自体だけじゃなく、してからの生活の変化、ましてや子供を持ったときなんて私にはまだ想像のできない世界だと思った。

とにかくこの本は、こんなにうまくいきませんか全てが。って感じだ。
私にはなんか早かった。それだけはわかる。

そして第三者のごたつきに顔出してしまったような後読感がある。「喧嘩はよそでやってくれ」的な。そこまで言う必要ないか。

自分の恋愛観をあまり開示しすぎてもとは思うけど、私は恋愛における性別を(他の人ほど)重視していないように自負しています。過去含め。

はっきりなにかそういう自認を感じたわけではないけれど、異性愛者の人が最初から異性を恋愛対象とするような、そういう自然さ。今付き合っているひとはこうで、前の人はこれで、という血液型のような、星座のような、そんな感じ。

とはいえそもそも恋愛体質ではないので、恋愛に関する関心と優先度はほどほど。

今付き合っている人とは結婚が可能な性別で、丁度昨日こういう話題を寝る前にLINEでした。

ある人の結婚式の話題があって、それを見かけた相手が私に結婚願望の有無を聞いた。私は少し回答に伴う責任感を感じ、まだ自分がそんな歳なんて実感がない、まだまだ子供みたいな感覚なんだよねと言った。
すこし軽口をたたくような言い方をしてしまった。

実際に同世代の友人とこういうテーマで話すことはあるけれど、みんなそれぞれ意見を持っていて面白い。結婚はまあしたい寄りだけど、なにより子供が欲しい!って人もいれば、結婚はしないって言い切る人、色々。意見が自立していて羨ましい。

私は前聞いたことを覚えていたので、相手の回答は既知たるものだったけど、相手以上に息をのんで相手の回答を聞いた。

相手は再度はっきりあると答えた。
すごく勇気を出して言っているよと、加えた。
だからその言葉が相手自身だけではなく自分にも向けられていると気付いた。自惚れでなければ。

何となく、聞いたことを後悔した、と言うより、自分との思考の重みの差に怖じ気づいた。???どういう表現が合っているんだろう。嬉しかったわけでも嫌だったわけでもなく、おっっっという感じ。これが一番近い。

いつか一緒に暮らしたいな、と続けて言う相手に、人生で一回も、良いも悪いも反応できたためしがない。それを伝え続けてくれる相手はいつしか「暮らそうね」ではなく「暮らしたいな」と自己完結の表現へと変わってしまった。勝手だけど、その違いを見つけてしまうほどに私も馬鹿になりきれなかった。罪悪感を抱いた。

そういう概念をまだ自分のなかで確立できていない。したい・したくない以前にもっと違うところに自分が浮いている。ぷかぷかしている。

一人暮らしをやめて、相手の家に住むのではなく実家に戻っていたことは自分は当然そうするものだとなぜか確信していたから。

自分だけが子供のままで、置いてかれてしまったようなさみしさと、結婚という何かの約束のようなものがまだ自分のポケットに入らないことで考えを放棄している。

本当に正直に書くなら、今から無限に始まっていく人生でこの人!!と確定させてしまうのって激すごすぎる。ましてや性別を重視していない自分に結婚は重要視すべき物なのだろうか。片方の性別との恋愛の時にだけ発生するイベントでしかない。ましてや人はそれをかなり重要視しているときた。


こういう際限の無いことで悩みがちである。まだ21。今を蔑ろにすると言う意味ではなく、もっとフラットに色々なことを吸収していこうと思う。



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