煙草よありがとうって話
何を隠そう僕は愛煙家だ。
このご時世に反発している事は百も承知だが、好きなのだから仕方がない。恋は困難な方が燃え上がり、煙はどこまでも天高く行く。煙草だけに。
こうして執筆をしている今も煙草を咥えている。基本的に僕がキーボードの前に座る事と、仕事をする事と、煙草を吸う事は完全に切り離せない3点セット。そのせいで昨今流行りの電子タバコではイケナイ。アレは機械部分が重すぎて、咥えるとフィルター部分から折れてしまう。或いは3点セットにもう一つ、顎を鍛える異常な筋トレが加わる事になる。疲弊するに決まってる。
よく「百害あって一利なし」と言われる。
まず言おう。そんな訳が無い。一利も無いなら買わない。あるから買ってるのだ。貴方に一利も無いからと、決めつけないで頂きたい。
そして更に言おう。一利じゃ済まされないぞ、と。
煙草は20歳の誕生日に買った。昔からバンドをやり、ロックミュージシャンに異常な憧れを抱いていた僕は、20歳になったら必ず1度は吸ってみたいという片想いを募らせていた。いつかピアスを開けたい。あの人と同じバッグが欲しい。ノリとしてはそれと一緒だ。
同時にその頃、僕は映画会社で丁稚奉公をしていた。詳しい話もまたいつかココに書くが、仕事の内容はいわゆる「なんでも屋」。ありとあらゆる業種から「人手が足りない」と言われれば馳せ参じた。時には美術チームの下っ端。時にはエキストラ。時には映画のポスターを東京中の居酒屋に頭を下げて貼り周り、時には例年を大きく上回った憎き雪をひたすらにかいたりした。
映画の現場と言えば華やかなイメージがあるかも知れない。おめでとう、半分は正解です。あの世界は本当に華やかで美しい。それぞれの分野に精通した職人が、その長い職人歴をもってしても未だ撮った事の無いシーンと格闘している。「もっとこう出来るか?」「これは間違ってるか?」。自問自答を繰り返す様は実に美しい。
もう半分は違う。あえて形容するなら、泥まみれだ。あまり寝ていない助監督。朝からその日のロケ現場となる畑に、季節外れのブロッコリーを植え続ける美術部。理不尽に叱られるカメラアシスタント。準備時間を中々もらえない録音部などなど。それでも、美しさがそれぞれの中で上回っているのだから、多少の泥は皆平気。帰ってシャワーを浴びればチャラだ。
まだ大学生で、右も左も分からず我武者羅になんでも屋を経営する僕は、その美しさを傍から見る事は出来るのが輪の中には入れなかった。映画界の前線を歩む名優達と演出部による入念な演技プランの会話も、すれ違い様に盗み聞くのが精一杯だ。あの輪に入るには、まだまだ辛酸が舐め足りない。
ところが、そんな僕が唯一持っていた特急券がある。
それが、煙草だ。
当時、電子タバコが発売しはじめた頃だった事もあるのか、はたまた度重なる値上げが原因なのか。大学生のアルバイトスタッフから職人まで、現場での喫煙率は明らかに少なかった。
それでも根強いファンはいた。現場ごとに小さくなる「喫煙所」で肩身を寄せ合い煙をくゆらす。どんなに忙しい現場での、その瞬間だけは時が止まる。心も不思議と穏やかになる。いわば、つかの間の静けさを得た戦場のようだ。「坊主、どこから来たんだい」「恋人は居るのかい」。戦争映画でもそうなるように、ここだって同じだ。穏やかさを共有している「絶滅危惧種な戦友」の間に、年齢や職種の壁は無かった。
その為、ただの学生丁稚奉公だった僕でさえ、この時だけは監督やトップスタッフ、時には出演者とだって話をする事が出来たのだ。
これが如何に嬉しい事か。子供の頃、親戚が集まり宴会をしているおかげで、いつもより夜ふかしが出来たという経験は無いだろうか。1日だけ大人に飛び級して、背伸びした世界に入れてもらえた。そんな感覚を覚えた事は無いだろうか。コレはまさしく、ソレに近い。
煙草よ、ありがとう。君のお陰であんな人とも喋れたし、あんな友達も出来たよ。あんなイケナイ話を聞いた事もあったっけ。
でもそれは、君と僕だけの秘密にしておこう。
だからどうか、そうやってお高く止まらないでくれ。もうちょっと手頃な価格にならないものか。