元カノの写真消す?って話。

僕は消さない。

消さないというより、消しに行けない、だろうか。
消しに行くと言う事は、嫌でもその一回は写真を見てしまう。それがたまらなく嫌なのだ。だから残してるというより触れずにそのままになってる、と言ったほうが正しい。触らぬ神に何とやらだ。

ところが、技術の進歩が僕の何とやらを阻む。

iPhoneには「ウィジェット」と呼ばれる機能があり、今日の天気や予定が一覧となって表示される。
そこに、ご丁寧に「懐かしいでしょ?」と過去の写真がランダムに表示される。時には高校時代の修学旅行。時にはあの公演の集合写真。そして時には、はしゃいだデートの写真だ。

いや、ほんと。勘弁してくれ!!!

別に見たら泣いてしまうという程女々しくもない。むしろそうだったらウィジェットの機能から写真を外すなり対策を取るだろう。
見たらちょっと「あっ」ってなる程度。
秋口のぬるいそよ風が肌に触れる位の感じ。
嘘くさいほどの秋の気配に心がざわつく。
あの時のあの感じなのだ。

だから特にこれという対策を取らずに、時たま流れてくる風に当たっている。言われなくても解っている。内容としては十分女々しい。

では、もらった物はどうだろうか。

我々貧民にとって希望の言葉である「貰った物に罪はない」がある。そこそこの値段のするペアウォッチも、ハイカラなシャツも、今も残っている。

とはいえ使うかと言われるとこれまた困る。

別れた彼女と同じ時を刻んだ時計で時間を確認すると思うと何とも切ない。もうその時間は無いのに。でも時計はそこにある。つけないのに時を刻む時計。言わば、求められてない仕事を大真面目にやる老人アルバイターのようだ。山本さん、それもういいから。早く品出しやってくれる?山本さんも苦笑いだ。

使わないのに捨てない。これはこれで如何な物か。

地球の資源は限られ、リサイクルが叫ばれる。産まれた意味を探すだけでは飽き足らず、死んでからの新しい生まれ変わり方まで求められる世の中だ。なんてコトだ。それどころじゃないというのに。僕たちは今に忙しい。生まれ変わる先など考えてる暇は無い。
思い出すら溶かせていないのにリサイクル出来るハズも無い。

こういった別れは何も恋愛に限らない。
かつて毎日のように一緒に遊んだ同級生は元気だろうか。下校中に二人で考えた創作ゲームの物語は未完結のまま、すっかり疎遠になってしまった。あのゲームのエンディングは何だったのか。

あの頃お世話になった先輩は今どうしてるだろうか。
年始のご挨拶の度「今年は飲みたいね」と語るばかりだ。お元気にしているだろうか。


そういった別れを思い出す度に少し寂しく思う。
自分が選ばなかったもう一方の並行世界に思いを馳せる。あの別れがもし無かったらと。

でも、何度考えても、今がいい気がする。
いやむしろ、今がベストコースであると自分を言い聞かせる様に日々生きている気がする。
これ以上は無いのだろう。
どうだ、参ったか。
そんな風に「並行世界の自分」に向けて自慢をしながら生きている。

そう考えるとかつての恋人にもらった時計も悪くない。
並行世界からの唯一の語りかけのようだ。
「おい、そっちの具合はどうだい?こっちより幸せなんだろうな?じゃなきゃ承知しねぇぞ」と。

机の端で時計が鳴ってる。
もう出番などないのに。
大丈夫、こっちはこっちで元気にやってるよ。
それよりもほら、締切の音が聞こえるから。
ここらでさようなら。

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