映画を観る時の話。
なんと退屈な映画だ。
ふと目にした特報映像を信じた自分を悔やむ。あれは、この映画に散りばめられた要素をチラ見せしてくれたのではない。この映画の中で、比較的マシな要素を必死に繋ぎ合わせたハリボテだったのだ。
触れ込みは「かつてない恐怖」「その恐ろしさに動けなくなる」といったキャッチコピーだったが、この映画にそんなキャッチコピーをつけてしまう広告会社の会議の方が恐ろしい。一体どんな会話をしたらこうなるのだ。
ふと、昔聞いたこんな話を思い出す。
映画「猿の惑星」の話だ。
あの映画のポスターには、自由の女神が大きく描かれているのだが、映画を観た者なら解るだろう。あれ以上のネタバレは無い。まだ観てない人が居たらぜひ観て欲しいくらいだ。誰もが知る名作でさえ、そんな事が起きてしまうのだ。
左側の肘掛けに手を伸ばす。
感触が、ある筈のそれを掴めない。
何という事だ、ポップコーンまで食べ尽くしてしまったとは。
2列前の男性客は、眠気と戦っている様に見える。
あそこまでして途中退席せずにいるのは、この映画の真の実力が後半に詰まっていると期待しての事か。はたまた、チケット代を惜しんでいるのだろうか。¥1500円で昼寝とはちと高いが。
えぇい、もう我慢ならん。
視線をスクリーンから、左手首へ移す。
嗚呼、なんと恐ろしい事だ。
僕はかつてない恐怖を味わい、その恐ろしさに動けなくなってしまった。
まだ15分しか経って居ないなんてーーー。
× × × × ×
僕にとって腕時計は欠かせない。
日頃時間を確認する為は勿論、映画や舞台を観る時には必ず装着している。それは、僕なりにその映画や舞台が、どれ程面白かったかを測る方法なのだ。
良い作品の定義は難しい。
ジャンルも様々であるし、要素も多い。
職業柄シナリオを重視してしまいがちだが、演出も、その俳優の芝居も、美術も照明も欠かせない。
音楽好きとしてはBGMの良さに気を取られる事も少なくない。
だが総じて言えるとすれば、
「良い作品は時間を忘れる」
という事だ。
少しでも「長いな」と感じてしまった時点で、その作品はあまり褒められた物では無い。
どの要素かはさておき、何かの要素で観客に注目させ、その世界の虜にしなければ、作品の成功は無い。
これは、脚本家の端くれである自分にも日頃から言い聞かせている。
逆に、自分が観客である時も、その点は厳しい。
僕は少しでも「物語が失速したな」と感じた時に、腕時計を見る様にしているのだ。
例えば、思ったより時間が経過していた時。
これはいい事である。
日頃生きている時間感覚を超えるスペクタクルで魅了されていた、と言う事になるからだ。なるほど、上手いなと素直に感心する事が多い。
逆に、思ったより時間が経過して居なかった時。
これこそ退屈の象徴である。
時計を見てしまった事を後悔する。
体感ではその何倍にもなるはずの「残り時間」を知ってしまうからだ。
そして何より1番良いのは、一度も時計を見なかった作品だ。
それこそ時間を忘れ、作品世界に没入させられ、飲み込まれた証拠である。
「そう言えば時計見なかったな」
帰り道にこう思えた時の酒は美味い。
これは、その作品が自分にとってどれだけ面白かったかの、一部に過ぎない。意識して時計をみる、見ないと決めてしまってはダメだ。あくまで無意識に。これがコツである。
何も世間の評価や、作品を点数化する事が良い事な訳ではない。ただ純粋に、自分にとって好きな物が「どれくらい好きなのか」を知るのはとても大事な事だと思うのだ。
前置きが長くなったが、僕の作品を観に来る際に1つだけお願いがある。
どうか腕時計を外してきてはくれないか。