7年目のACT HOUSEの話。
ひょんな思いつきで始まったワークショップスクール
『ACT HOUSE』も、今年で遂に7期生となった。
昨年、6期生を迎えた時に『遂に小学校全学年揃ったのか』と感慨深かったが、今年で7期。月曜から日曜まで網羅できる。
だから何だ。
7年を振り返れば、毎年変わらない事もある。
例えば僕が講師としても参加している。卒業公演の脚本も書かせてもらっている。初舞台となる子も多く、あえてはっきり言うが『卵』である生徒達の『羽化』となる舞台だ。当然、書く側の帯も引き締まる。
こればかりは、何年やっても変わらない。
当然、毎年変わる事もある。
卒業公演に出演する生徒は男女比や年齢層はもちろん、その出自や想いも毎年違う。そして、卒業公演に関するテーマも毎回違う。
今年のテーマは『変化』。
まさに、毎年変わる事や変わらない事に思いを馳せざるを得ないテーマだった。
僕は7年前に比べて何が変わっただろうか。
年齢の2桁目は2から3になった。
住んでいる家も7年前とは違う。
今年から花粉症にもなった。
特盛ラーメンは流石に選べない。
思えば、今この記事を書いているPCも7年前とは違う。
でも、あいも変わらず脚本を書いている。
お酒とタバコは大好きなままだ。
一番好きな映画も音楽も、変わってない。
ペペロンチーノばかり食べてしまう。
電話をする時に部屋の中をウロウロ歩いてしまう。
そして多少様変わりしたが、実家はまだあの街にある。
そこで、そんな想いを込めた物語として
『未確認飛行物体を確認しました』という脚本を書いた。
田舎町に新設されるショッピングモール計画をなんとか阻止する為に『UFOが出る』というデマを流し、ネガティブキャンペーンをしようという物語だ。住民達の想いはそれぞれだが、皆一様に変化を恐れている。
その変化と人はどう立ち向かうのか。
そして人は、何が変わるのか。
そんな事をセリフに込めた。
演出は、西本健太朗。
出会ってまもなく10年。彼もまた、相変わらず背が高い。
そんな彼がこの脚本を読み解く中で、
『"ただいま"と"おかえり"』という1つのモチーフを見つけてくれた。
言われてみればこの物語は『"ただいま"と"おかえり"』の物語だ。
書いた本人が、無意識に引き寄せられていた言葉を見つけてくれた。
やっぱり背が高いと見える物が違うのだろうか。
そんな経緯を経て、僕が描いた脚本は西本と出演者、そしてスタッフ達へと託された。
例年だと稽古にも数回参加し、共に作る事が出来ていた。
しかし今年は、自分は作演出を務める別舞台がほぼ同時進行で動いており、
どうしても稽古場に行けなかった。それどころか、実は7年目にして初めて僕は、本番を劇場で観る事が出来なかったのだ。
配信で流れる映像を頂き、自室で1人で確認した。
自分の書いた脚本に、色とりどりな演出が加えられている。
そこに、振り落とされまいと必死にしがみつく皆の芝居が乗っかっている。
お世辞にも、テクニカルとは言えない。
けれど、そんな言葉が本当に無意味なのだと思い知らされる程の熱量や『本物』がそこにはあった。
そしてそれは、舞台上を飛び越え、客席さえも乗り越え、劇場から軽く20キロ近く離れたこの僕の自室にも届いたのだ。
あぁ、生で観たかった。
本気でそう思った。
同時に、寂しさすら覚えた。
この脚本は間違いなく自分が生み出した作品だ。
が、いい意味でその面影は無かった。
生まれてすぐに離婚し、全く会えなかった我が子と、何十年ぶりに再会した状態に似ているのかもしれない。
お前、大きくなったなぁ。母さんに似てきたな。
また高い高いしようか?もう、無理か。
……あ、そんな事も出来るんだ。へー……父さん、びっくりだなぁ。
千秋楽が終わり、ささやかながら打ち上げがあった。
ご時世柄久々の打ち上げ。顔を出さない手は無い。
けれど、我が子は父の顔を覚えていてくれてるだろうか。
『親父、キモい』と言われないだろうか。
洗濯物を分けて欲しいと言われないだろうか。
『おかえり』と言ってもらえるのだろうか。
打ち上げ会場の扉を開ければ、
そこには両手で持ちきれない『おかえり』があった。
だから、その倍くらいの『ただいま』を渡しておいた。
例え僕の人生が今度、どんな変化をしようとも、
きっとこの『ただいま』の嬉しさは変わらないだろう。
思わぬ形で、今回の作品の『中身』を実感する事になった。
そしてあの脚本を思い出してみる。
そうか。
今度は僕が『おかえり』を言う番なんだな。
大丈夫。
ここには家がある。
背の高い家主も居る。
だから、いつでも帰っておいで。
おかえり。
立ち話も難だから、まぁ座りなよ。
お茶でも飲むかい。
それにしても、大きくなったねぇ。