“Memento mori”
「パパさんと待ち合せしても楽なのよ。頭だけ抜けてるからすぐ見つかる」
「たしかに。あの時代には、180センチの身長は少なかったかもね」
先週、妹の連れ合いが亡くなりました。
東北大学の理学部卒で、要約すれば、
「石油からナフサを精製する」
今や、環境汚染の代名詞になった感があるビニールに関係した仕事をしていました。
で、晩年は、あまり気持ちが晴れるような時間を持つことがなかったようなのは、時代が1ページめくれたのだから仕方ない〜ではありますが。
東北大学といえば、理科教育では少なくない影響を与えた高橋金三郎先生を思い出します。
理学部出身者は、大きなプロジェクトに参加したがるが、そこが消滅すると“タダノ人“になる。
彼氏も当時は石油化学の最先端だったのでしょうが、個人でナフサなど精製できるわけがない。
原子力も、優秀な学生が平和利用の最先端に配属されて、今や、悪の代表にされて〜。
片手に自分が背負える仕事を持つことが大事、高橋先生はいつも言っておられました。
火葬場では、
「無臭、無煙、無公害なのに、設置の問題が起こると必ず反対運動が起こる。みんな必ず、お世話になる施設なのに・・・」
そこで働くエッセンシャルワーカーの嘆きを聞きました。
ま、元気な時代は、あまり近づきたくない“場所“ではありますが。
でも、ある人から、若い時こそ、
“Memento mori “
を唱えていなくては〜と言われた事、頭の片隅に住みついていた?ような。
“あの世“の処遇を脅しのネタにするなどの輩に振り回されない知的斧を子供に持たせることも教育の課題ではとか、勝手に妄想してます。
<追記>
都内900万人に対して公営の火葬場、たった2ヶ所。
今じゃ、亡くなってから1週間は順番待ちだそうです。
“葬式消滅“って本が出ましたが、火葬場は多分、エッセンシャル施設No.1であり続けるでしょうね。
動画提供:野口敦広(東京都中学校・社会科教諭)
(文責:経験豊かが尊ばれず?の世を嘆いてる Hさん)