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学芸員、アーティゾンへ行く [しびれた!柴田敏雄と鈴木理策展]

行ってきました、アーティゾン美術館。

目的は、現在開催中の展覧会「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×柴田敏雄×鈴木理策 写真と絵画−セザンヌより 柴田敏雄と鈴木理策」(ちょっとタイトル長すぎません…?)と「Transformation 越境から生まれるアート」展。いずれも4/29〜7/10の会期となってます。

入館料を払えば、両方の展覧会(あとミニ・コレクション展「ピカソとミロの版画」も)を観ることができます。

でも先に忠告しておきます。

この2つの展覧会を同じ集中力で鑑賞することは不可能です。どちらも共に内容が充実し過ぎているので、ぶっ続けで観ると最後までこちらのパワーがもちません。

では、私がどうなったのか、お伝えしましょう。

誤算!オマケ展示じゃなかった!

行く前にこのチラシを見ていたんですよ、私。

表と裏

なんかこれを見ると「Transformation」展がメインで、「柴田敏雄と鈴木理策」展はサブの併設展なのかな、と思うじゃないですか。だから、サブをさくっと観てから、メインの「Transformation」展をじっくり観ようかなーと思っていたわけです。

到着。いつ来ても立派だ。

アーティゾン美術館はウェブ予約制。ゲートでスマホのRQコードをかざして入ります。

6階まで上がると、「柴田敏雄と鈴木理策」展のエントランスです。

あれ、入口の造作からして力が入ってる。思ってたのとちがうぞ…?

柴田敏雄、その写真は何も語らない

長い展覧会タイトルに含まれる「ジャム・セッション」という言葉の意味は、2人の現代写真作家柴田敏雄と鈴木理策が、自分たちの写真とどこか通じるポイントがあるアーティゾン美術館の所蔵品を選び、過去の巨匠たちと共演する形で展示を行うということです。
セザンヌ、モネ、アンリ、マティス、雪舟など豊富なコレクションがあるアーティゾン美術館だからこそできる、面白い企画ですね。コレクションからどの作品を選び、どういったテーマ性を持たせた展示構成にするか、すべて作家が主体的に考案したようです(黒子に徹した学芸員のレベルの高さよ)。

私、現代写真には詳しくないので、作家紹介はチラシから抜粋します。はい、作家について予備知識のない状態で今回は楽しませてもらいました。

柴田敏雄
日本各地のダムやコンクリート擁壁などの構造物のある風景を大型カメラで撮影、精緻なモノクロプリントで発表、2000年代よりカラーの作品にも取り組み始め、その表現の領域を広げる。

鈴木理策
一貫して「見ること」への問題意識に基づき、熊野、サント=ヴィクトワール山、桜、雪、花、ポートレート、水面等のテーマで撮影を続け、展覧会や写真集により作品発表を重ねている。

展覧会は6つのセクションに分かれています。

コンタクトプリント90点で埋め尽くされた壁

会場に入るとまず目に飛び込むのが、整然と並ぶコンタクトプリントの集合体。すべて柴田敏雄の作品です。会場を最後まで観てからもう一度この写真群を眺めるとよく分かるのですが、なるほど、柴田がレンズを通して風景と向き合う時のエッセンスがここに凝縮されているようです。

さて、柴田敏雄の作品を初めて見ましたが、風景を切り抜くキレ味がしびれるぐらい鋭利!

柴田敏雄《山梨県南アルプス市》
柴田敏雄《栃木県日光市》

最初のセクションタイトルに「サンプリシテ(=simple)」という言葉を柴田は使っています。写真に込める情報を徹底的にそぎ落としてると言えばいいんですかね。

正直に言いましょう。柴田の写真を見ていて戸惑いました。「何を感じたらいいんだ」と。

柴田の写真からは、その場にあったはずの匂いや空気、音、そういったものが伝わってこないのです。申し訳程度にタイトルに撮影地がそっけなく記載されていますが、それはあくまでラベリングに過ぎず、そこがどの地方のどんな場所なのか、はほとんど意味をもちません。極端な話、そこは何処であってもいいのです。

写真は、19世紀に技術が発明されて以来、何かを伝えるメディアでした。一般的に風景写真を指して「いい写真」という場合、風光明媚な景色や絵になる景色を実際に目にした時の感動を、鑑賞することで二次的に疑似体験させてくれる写真のことをいうでしょう。しかし柴田の写真は何も伝えません。

柴田敏雄、タイトル控え忘れた…

会場で紹介されていた柴田の言葉の中に

風景を撮る場合も静物を撮る時と同じように、という感覚がある

柴田敏雄

とありました。

なるほど静物。言い得て妙ですね。

画家が静物画を描く場合、モチーフとなるのは何の変哲も無い皿であり、リンゴであり、特別な何かである必要はありませんよね。柴田もまた、風景を構成している諸要素(フォルム、テクスチャー、陰影)を写し取ることだけに意識を集中しているのでしょう。

その結果、一枚のタブロー(絵画)として完成し、それ以上の解釈や意味づけを拒絶する気高さが柴田の写真には備わっているように私は感じました。ゾクゾクしましたよ、久々に。

鈴木理策、無限のレイヤーの中にある現実

何も語らないことに徹した柴田の写真に対して、もう一人の作家鈴木理策の写真は明確なメッセージがあるように感じました。それは「視る」という行為に対する問いかけです。

鈴木理策《りんご21》連作
鈴木理策《水鏡》連作

鈴木の写真を見ていると、「視る」という行為の不可思議さに気づかされます。

上の空になっている時に誰かに呼ばれても気づかないように、逆にざわつく雑踏の中でも知人の声には気がつくように、私たちの耳は音の取捨選択を行っています。
視覚も同じです。私たちは目の前にある光景をそのまま見ていると思いがちですが、たとえ網膜に映っていても、脳が認識せずに見えていないことは多々あります。

鈴木の写真は、フォーカス(被写界深度)をものすごく浅くして、ピントの合う範囲を限定することで「視る」という行為を深く掘り下げています。「見ると視るは違う」というのは使い古された言葉ですが、鈴木の写真はより踏み込んだ思索をこちらに促してきます。

カメラにピントがあるように、私たちは視ているものと視えていないものとがある。
ただし、ピントは合うか合わないか、の二択ではなく、「かっちりピントが合っている」「わずかにピントが合っている」「すこしピントがずれている」という具合に、その間には連続性があり、グラデーションがある。
そしてピントが合っている部分だけを見て私たちは何かを感じているわけではなく、モノの形も判別できないほどにボケている部分にも、美しさや情緒を感じ取ることもあるし、モヤのように判然としない何かの奥に見えるからこそ美しいと感じることもある。
私は「視る」ということに関して、そんな気づきをもらいました。

会場に掲げられていた鈴木の言葉の中に

カメラは風景の中に透明なレイヤーを差し込むようなものだ

鈴木理策

という一言がありました。

絵画では「前景、中景、後景」という画面構成の考え方があります。鈴木の言葉を借りるなら、3つのレイヤーで成り立っている世界です。鈴木はピントをごく限定的に合わせることで、現実世界にあるレイヤーを私たちに提示しているのです。ピントの合わせ方で、レイヤーは無限に生じます。いや、生じるというより無限のレイヤーの積層こそが私たちの目の前にある世界であり、私たちの視覚は常にそのレイヤーの間を自由気ままにさまよっているのです。

現実の中にある無限のレイヤー。優れた画家や写真家ほどそのわずかな階層の差を敏感に感じ取り、私たちに提示してくれるのです。

力尽きた「Transformation」展。そして・・・

全く方向性の異なるように見える柴田敏雄と鈴木理策の写真ですが、共通点として感じたのは、両者ともに被写体として何を撮るか、よりも、撮るという行為そのものに深く向き合っているという点でした。
写真一枚一枚に、こちらの価値観をゆさぶってくる力があり、何周かした後に会場を出た時には、心地よい疲労感を覚えました。

続けざま「Transformation」展を観たのですが、ごめんなさい、もう私の集中力は切れていました。なのでこちらの展覧会レポートは無しです…。
みなさんもどちらの展覧会を目当てにするか、事前に考えておいた方がいいですよ。

ミュージアムショップには、「柴田敏雄と鈴木理策」展の図録が売っていました(税込3,300円)。まだ興奮も覚めやらぬ中、パラパラめくってみたのですが、先ほど会場であれほど訴えてきた写真が、図録からは驚くほど何も訴えてこないのです。逆に先ほど感じた興奮が上書きされてしまいそうで、今回は購入を見送りました。
いや、決して図録の出来を非難しているわけではなくて、それぐらい印刷物にすると消えてしまうものがあるんだよって話です。

何が言いたいかというと、絶対会場で観ておいた方がいいですよ!てこと。

最後にもう一つ言わせてください。アーティゾン美術館は学生無料ですよ!学割料金じゃないですよ、無料です無料。太っ腹すぎます。
学生だったら、いつでも何回でも、国内一級のコレクションや気合いの入った企画展が観られるって、ものすごいことです。若者たちには無償で扉を開け放つ。これは数字には現れないでしょうけど、文化貢献という観点から言えば、とてつもなく有益なことです(じゃぁお前の美術館でもやれよ、と言われるのを覚悟で言ってます)。

いま幸運なことに学生の身分の人は、興味があろうがなかろうが、行ってみてくださいアーティゾン美術館へ。必ず何か得るものがあるはずですから(あ、もちろん大人も)。


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