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057.『無有』竹原義二 著/絹巻豊 写真

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“ ―― 建築を志す時、誰でもひとつの建築との出会いがある。私にとっての建築は閑谷学校との出会いから始まる “

素材の力、職人の技、「間」の観念を重視した建築は、自然との融合による静かな迫力をもって場に佇む。数々の建築に出会い、対峙することで空間を捉え、実作へと昇華してきたその試みは、新たな可能性の探求を伴って、101番目の家である自邸に結集された。これまでの住宅設計の軌跡と建築に込めた思想を余すことなく綴る。

●序(抜粋)

「建築の原点」

・閑谷学校

 建築を志す時、誰でもひとつの建築との出会いがある。私にとっての建築は閑谷学校との出会いから始まる。
 22歳の秋、初めて閑谷学校を訪れた時から、建築というものに魅せられてしまった。この時私は建築を志す学生であった。時間をつくっては、日本の民家や古建築を訪ね歩いた。目を凝らして見ないと見えてこないものが古建築の中には詰まっていた。その時出会った閑谷学校からは、その場でしか体得できない建築の美しさを感じた。古さの中に建築の果てしない力強さが潜み、私には閑谷学校が新しい建築として見えた。
 閑谷学校は1668年(寛文8年)岡山藩主、池田光政が、津田永忠に命じて開いた儒学に基づく士庶共学の学校である。永忠は閑谷の大自然の中に、教育にふさわしい場をつくり上げようとした。そして34年という長い工期の末、1702年、閑谷学校は完成した。一人の人間の強い構想力が訪れる者に場のもつ力を伝えてくる。
 岡山から備前焼の里、伊部の町並みを抜けると閑谷へと続く街道に出る。曲がりくねった山沿いの道を行くと、閑静な山と谷に抱かれた校地に入る。校門の左右から、かまぼこ型に積まれた水成岩の石塀が、曲線を描きながら校地を一巡し、山合いまで伸びている。門は四つあり、そのうちの東の端の門をくぐると、芝生に覆われた広場に出る。建物の配置は講堂、小斎(藩主の休憩所)、習芸斎(学習室)、飲室、文庫とあり、後ろには火除山が控える。火除山を挟んで西側に学問所がある。標高200mあまりの山を背に、講堂の東北に当たる台地に儀式所としての聖廟、その右に一段下がって閑谷神社、石塀を隔てて椿山がある。建物は南向きに配され、背丈の高さで組まれた石塀の中に整然と建ち尽くしている。建物の壁は漆喰、屋根は茶と紫の入り混じる煉瓦色のような色合いの備前焼の瓦で葺かれ、独特の風合いを醸し出している。私は今まで、これほどまでに自然と建築が融合している様を見たことはない。
 平行に配置された二つの建物―聖廟と閑谷神社―は地面の高低差によってずれて見えるように仕掛けられている。建物を取り囲む漆喰塀の高さが微妙に変えられ、二つの塀の間にスキマが取られている。閑谷神社から塀を通して聖廟を見た時に、初めてそのズレを捉え、スキマから視覚が連続していく。
 南の緩やかな斜面に植えられた2本の櫂の木は、建物の高さやレベル差の均衡を保つように、対になって寄り添い合う。夏は同じ緑色をしていた葉が、秋になると赤色と黄色に紅葉する。二つの色合いは、それぞれに美しく、閑谷の秋を彩る。
 講堂の板の間に座り、静寂な空間に佇み、火燈窓から外を見渡す。地面に跳ね返る雨の音、軒内へと滲み入る虫の声、肌を撫でる風の音に耳を澄ませると、時間が止まったように感じられる。寝転がっていると、時間が走馬灯のように駆け巡る。人が立ったり座ったりを繰り返すたび、外との視線のつながりが変化する。そして、地面、石塀、建物の軒、山の稜線は開口部の隙間を通して重なり合い、内外が連続し透明な空間となって水平に伸びていく。この時、視線と建築が絶妙な高さ関係を結んでいくのである。
 内部空間に漲る緊張感は不思議な感覚を呼び起こす。床に林立する10本の欅の円柱は漆で拭かれた床板に鈍い影を落とす。反射した光が空気を満たし、翳りある光を生み出す。外部空間へとつながっていく入側縁の連なりが、火燈窓から入る光を奥深くまで導き、長い薄暮れが優しく包み込む。
 閑谷学校は素材に対する意識が深い。それぞれの素材がカタチを伴い、床、壁、天井、屋根を躍動的に構成する。輝きを放つ素材の美しさとその仕上げに目を遣り、そこから細部に至るまでのデザインの心を汲み取る。素材がもたらす空間の透明感に、閑谷の精神が見えてくるのである。

 雨の閑谷学校はこの上なく美しい。石、漆喰、瓦、山の織り成す風景は、見事に雨を讃えている。敷地の手前には長方形の池がある。池から一段高くなった畦道の土留の石組みは、荒削りの野石で直線的に構成されている。その後方には亀甲形に刻まれた石でかまぼこ型に構成された石塀が控える。雨に打たれた風景の中に、二つの石組みの対比が溶け込んでいく。裏山を背景に建物を真正面に捉えながら近付いて行くと、石塀と瓦屋根、その奥にある緑の山々が濡れ色に変わり、灰色の空は水墨画の様相を呈してくる。石塀は単なる囲いから時間を超えた存在感のある結界になり、領域を感じさせる。雨に打たれた石塀のウロコ肌は艶めき、その隆起が躍動感を帯び、龍が天に昇っていくように見える。思わず身震いし、ひと時我を忘れる。西側にある聖廟と閑谷神社との隙間に小端に敷かれた備前瓦と赤土は、軒先からの雨の雫を吸い込み、建物と地面との境が消え、建物が地面からそそり立つ。壁に塗られた漆喰、腰に貼られた黒の敷瓦、ムラのある赤茶色の備前瓦が色めき、幅の狭い間合いの中にまた違った奥行き感を醸し出す。晴れた日には見えない、美しい光景である。
 雨の日は誰一人訪れない。いつもと同じ場所で、その場と向き合う。誰も見ていないその瞬間、自分だけが見つけ出した宝物をそっと胸の奥に仕舞って帰るのである。
 年に幾度となく、様々な季節に、その時間を変えながら訪れる。夜中バイクを走らせ、まだ明けやらぬ閑谷学校を訪れ、刻々と移ろい行く光の変貌に、時の過ぎるのを忘れてしまうこともある。その都度、閑谷学校から受ける印象は違っている。訪れる私自身にも少しの変化があるに違いないが、あの初めて訪れた時の感銘はいまだ覚めやらない。これまでも、これから先も、そこに結集した様々な人々の思いが、この建築を生かし続けるであろう。閑谷学校は私にとって、原点に還る場所なのである。


「建築への眼差し」

・本物を見て本物を知る

 建築を知るためには本物を見なければならない。本物を見て、本物を知る。同じものを幾度も見て、モノの本質を見極めていく。繰り返される建築巡礼、それは本物との出会いを探す旅である。言うまでもなく、建築の建ち姿というものは、風土に根差して初めてそこに溶け込むことができる。場の内包する空気や可能性が、カタチとして表現されたものでなければならないのである。私は風土の中にある建築をいつも追い求めている。その場所に住むということについて徹底的に考え抜き、気候をはじめ地形や植生など様々な土地固有の要素を考慮し、経験的に改良された建築には、人々の思いとエネルギーが結集され、「場の力」が再現されている。それは何もない場所からカタチになっていく建築の姿である。無に始まり有に還る場所。私はただひたすら「場の力」を追い求め、様々なモノと出会っていく。それは建築という長い旅の始まりなのである。

・動き出す建築

 建築と対面するとき、私は正面を外していく。あらゆる角度からその場所に迫り、幾度となく立ち止まり、周囲を巡りながら一歩一歩近付いていく。ひとつの建築の中から、自分の見方を見つけ出すのである。
 日本の空間は重心が低い。日本人の身長や上足・床座の生活、高床と地面の関係がその視座をもたらしている。座っているのか立っているのか、大人の目線で見ているのか、それとも子供や高齢者の目線で見ているのか。視線の位置と建築の見え方の関係は、実は無意識の中に潜んでいる。私は空間のシークエンスの中に、視線の変化やリズムをつくり出す。しかしリズムはいつも「単調」ではなく、そこで振り返るといった「変調」によってつなぎとめられている。ひとたび振り返り、何歩か進んでまた振り返る。視線の方向性を固定せず、あらゆる見方を探すうちに、建築の様々な表情が浮かび上がってくる。実際には建築は地面から動かないものではあるが、人の視線の変化は建築を動かし、空間のリズムや流れを身体に刻み込む。
 建築を見るという体験は、そのディテールが利いてくるスケール感を掴み取ることである。自分の身体スケールを意識しながら、地面に根を下ろした建築が動き出すのを感じ取る。体で憶えたその場所、その建築から漂う空気が記憶に刻まれるにつれ、縮尺を操りながら平面図の中を歩き出せるようになる。


●書籍目次

序章 建築の原点

閑谷学校
出会い
建築への眼差し

1章 手仕事の痕跡

箱木千年家
ものづくりの姿勢
建築家×職人
棟梁との出会い

works…..粉浜の家Ⅱ

2章 素材の力

イサム家・イズミ家
石と建築
土と建築
素材から空間へ

works…..石壁の家

3章 木の可能性

木の建築巡礼
柱の精神性
表現の可能性

works…..夙川の家

4章 内へといざなう

東大寺二月堂裏路地
空間への誘い
アプローチの仕掛け

works…..新千里南町の家

5章 ズレと間合い

後楽園・流店
間合いをはかる
断面のズレ

works…..東広島の家

6章 つなぎの間

大徳寺孤篷庵忘筌
中間領域
曖昧な空間

works…..広陵町の家

7章 余白と廻遊

桂離宮
都市に棲む
廻遊式住居

works…..住吉山手の家

8章 「101番目の家」へ

100+1の家─無有建築工房 作品一覧001─101


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『無有』竹原義二 著/絹巻豊 写真

体 裁 A5・240頁・定価 本体2600円+税
ISBN 978-4-7615-2400-5
発行日 2007/03/10
装 丁 竹原 義二

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